セーシェルに日本大使館が開設

2019.11.14 Thursday 17:02
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    皆さんはセーシェルという国をご存じだろうか。セーシェルは、1976年にイギリスから独立してセーシェル共和国となった。アフリカ大陸のケニアとタンザニアの東に位置し、南にはモーリシャス、レユニオン、マダガスカルなどがある。

     

    115の様々な島からなり、インド洋に浮かぶ美しい島だ。首都はマエ島にあるヴィクトリア、人口は約9万人。大部分の人々はこの島に住んでいる。人種としてはインド系、中国系、それにクレオール(白人と奴隷との混血)と呼ばれる人々で構成される。

     

    先週、ロサンゼルスの友人アリースから、メールでセーシェルの最新ニュースが送られて来た。それによると最近、セーシェルに日本大使館が開設され、お披露目のカクテルパーティーが催されという。

     

    それに彼女の妹夫婦ローズとマイケルが招待された。ローズは若い頃にドイツに渡り、そこでドイツ人のマイケルと知り合い結婚。その後二人とも早期退職をしてセーシェルに移り住み、丘の上に家を建てて優雅に暮らしている。

     

    今年になってマイケルはアフリカ・ナミビアの領事に任命されたのである。何故ドイツ人のマイケルがナミビア人でもないのにどうして領事になったのか、不思議に思いアリースに事の次第を訊ねてみた。

     

    それによると2,3年前にナミビアの領事になりたい人の募集があり、マイケルはそれに応募していたのだ。しかし、そのことを忘れた頃合格の知らせが届いて、彼自身も驚いていたそうだ。そこで、彼はめでたくナミビアの領事となったのだ。

     

    とてもおおらかな話である。ナミビアと縁もゆかりもない人が領事になれるなんて、勿論マイケルはナミビアに行ったこともない。

     

    パーティーの話に戻そう。みな和気あいあいとパーティーを楽しんだ。おまけは何と大使夫婦が、招待者を前にしてデュエットで歌を披露したという。勿論そこにはセーシェル大統領も同席していた。

     

    常々、私はアリースに「日本人はフォーマルで恥ずかしがり屋、その上引っ込み思案だ」と話していたので、「日本人らしくない日本人もいるのね」と彼女はメールを送ってきた。いよいよ日本人も国際的になってきたのか。

     

     

    文:吉田千津子 写真:奧村森

     

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    サンタアナ・ウィンドは悪魔の風

    2019.11.12 Tuesday 18:15
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      毎年10月にロサンゼルスを訪れるが、行くたびに大きな山火事が起っている。日本でもテレビなどで報道されているから、ご存じの方も多いと思う。一度火が付くと、強風に乗ってアッという間に燃えひろがる。

       

      「サンタアナ・ウィンド」という名前は、風が激しく吹くオレンジ郡サンタアナ・キャニオンに由来している。この風は、砂漠から南カリフォルニアの海岸を吹き抜けるのである。

       

      サンタアナは、秋になると乾燥した暑い風が吹くことで知られる。一年中で最も暖かい圧縮加熱された空気の塊と定期的に吹く突風が相まって危険な火災気象条件を作り出すのだ。

       

      「悪魔の風」とも呼ばれ、山火事を扇動することで悪名高い風である。この現象は通常10月にピークに達する。時には時速74マイル(40メートル)以上ハリケーン並みの突風が吹くこともある。

       

      山火事の原因は、自然発火、タバコの火の不始末、放火などがあげられる。2019年10月の山火事は、富裕層が多く住んでいる、パシフィック・パラセイド、有名なポールゲッティー美術館の近隣、サンベルナルディーノ郡、サンタバーバラ郡等に次々と火の手が上がった。

       

      幸運なことに被害が大きくならずに済んだようだが、山側に住んでいる人々は10月になると戦々恐々としている。ロサンゼルスではお金持ちは見晴らしの良い高い所に住む傾向にある。平地の好きな日本人とは正反対だ。

       

      今年、日本は雨が降りすぎて千葉では大洪水となり、カリフォルニアでは干ばつで山火事となっている。世の中、なかなかうまく行かない。

       

       

       

      文:吉田千津子 写真:奧村森

       

       

       

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      雄鶏のモーリス君の勝利

      2019.11.04 Monday 10:42
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        フランス西部にあるオレロン島のサンピエール・ド・オレロンで事件は起きた。夜明けを告げるニワトリの鳴き声が、うるさくて眠れないと主張する住民が訴訟を起こしたのだ。

         

        原告は最近、この地に別荘を取得、その隣に渦中の雄鶏のモーリス君が住んでいた。彼らの言い分は、「毎朝4時ごろからモーリスの鳴き声がうるさくて眠れない」というものだった。

         

        それを確かめるため、県は職員を派遣しモーリスの鳴く時間と鳴き声の大きさを3日間に渡り調査した。その結果、モーリスは6時半から7時の間に断続的に鳴き、声は窓を閉めておけば、決してうるさいとは言えない音量だった。

         

        その結果裁判所は「モーリス」には鳴く権利ありと認める判決を下した。そして原告には1千ユーロをモーリスの飼い主に賠償金として支払いを命じた。

         

        モーリスの裁判が注目を集めた理由は、雄鶏がフランスの国鳥でもあることも一つだ。

        ラテン語の「Gallus」は雄鶏とガリア人との二つの意味があり、そこからガリアがガリア人とのシンボルとなった。雄鶏はフランスのシンボル、サッカーチームのユニフォームの胸にも雄鶏のマークがあることをご存じだと思う。

         

        多くの人たちが原告夫婦の訴えを昔から地方に根付く音や暮らしに対する攻撃ととらえている点もあげられる。カジュアルな暮らしを好む新上流階級「ボボス」ブルジョア・ボヘミアンズと田舎の住民との対立に単純化すべきではないと市長は苦言を呈する。

         

        今日はニワトリだが、次はカモメの鳴き声や風の音、あげくは我々の訛りが攻撃のまとになりかねない。

         

        最近問題になっているフランスでの都市と地方の住民間に広がる経済格差、大統領マクロンへの政策抗議「ジレ・ジョーヌ」(黄色いベスト運動)も核心とする問題だ。モーリスもフェイスブックの公式ページで黄色ベストを着た写真を公開している。

         

         

        文:吉田千津子 写真:奧村森

         

         

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        畑にパンツを埋めよう

        2019.11.03 Sunday 15:11
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          2019年の5月末から「パンツを埋めよう」というキャンペーンがフランスで行われた。

           

          これで、自分の畑の土壌をチェックしようという試みなのだ。

           

          まず、5月末から6月の初旬に100%コットンの新しい男物のパンツを用意する。

           

          畑に行き穴を掘る。

           

          そこにうやうやしくパンツを埋め、埋めたところにマークを立てる。

           

          3カ月してから、それを掘り起こし、そのパンツの状態をチェックする。

           

          ボロボロになっていればいるほど、その土地にはバクテリアや細菌が多く肥沃で生物学的には良質な土の畑ということになる。

           

          それを競うのである。

           

          そのボロボロのパンツを地元の農業団体に持って行けば、また新しいものに交換してもらえるというオマケ付き。

           

           

          文:吉田千津子 写真:フランスマルヌ県ランス情報より

           

           

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          アメリカ人高齢者の憂鬱

          2019.10.26 Saturday 19:46
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            2019年10月、ロサンゼルスに40年来の友人、シグを久しぶりに訪ねた。彼は日系2世のアメリカ人で、今年97歳になる。

             

            会ったとたん「僕の自動車免許と自動車保険がとうとう期限切れで、もう運転も出来なくなったよ」と悲しそうに訴えた。

             

            彼によると今年の4月まで運転していたという。もちろん近くにあるスーパーマーケットに食料を買い出しに行く程度で遠出はしていなかった。

             

            しかし、5年位前まではワイフを連れてラスベガスに行っていた。ちょっと怖い気がしたが事故を起こしたことがないというのが、彼の自慢だった。

             

            5月が彼の誕生日なので、その前に免許更新をしようと、いつも自動車のカギを置いてある場所に取りに行くと、有るはずのカギがない。近くに住む息子ジョーンに電話をしたが、彼も知らないという。

             

            本当はジョーンが足の弱っている父親を心配してカギを隠していたのだ。いくら話しても聞き入れてくれない父親への最後の手段だったようだ。それが判明した時には、シグは激怒したが息子に従うしかなかった。

             

            シグは2台の車を持っていた。一台は今月初め亡くなったワイフ、エスターの車、そして、もう一台は自分の四駆であった。直ぐに2台の車は売りに出された。こんな経緯でシグのドライブ人生は幕を閉じた。

             

            ロサンゼルスは日本とは違い公共交通機関が発達していない。バスはあるが、何時来るかも知れない乗り物を頼りにする訳にはいかない。

             

            日本の都会のように便利ではない。日本では電車やバスが次々とやってくる。ロサンゼルで車がないと手足をもぎとられた感がある。

             

            家族が4人いれば4台の車という具合。アメリカでは車と保険にお金がかかるのが頭痛の種だ。今日本でも高齢者の運転が問題となり、逆送やブレーキとアクセルの踏み間違えの事故が多発している。

             

            シグは「車がないと何処にも行けず、世の中から隔離された世捨て人の感じがして、寂しい」と言っていた。これは日本における過疎地域にも同じことが言える。

             

            公共交通機関に頼れない人々は本当にどうすれば良いのか。日本にとっても、これからの大きな課題である。

             

            友人シグは、たまたま近所に退職している息子夫婦が住んでいるので助かってはいるが、当分シグは運転が出来なくなったことを不満に思うだろう。

             

             

            文:吉田千津子 写真:奧村森

             

             

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            ロサンゼルスで聞いた話『電子レンジで被爆?』

            2019.10.25 Friday 16:33
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              今月10月15日からロサンゼルスに何時ものように出掛けた。青い空と乾いた風の気候はやはり南カリフォルニアの特徴だ。とても気もちがよい。

               

              レンタカーで友人アリース宅に向かう。午後3時を過ぎると、どのフリーウェイも交通渋滞が始まる。行くたびに混雑は酷くなっていく。

               

              アリース宅に到着すると、早々彼女は、こんな事を話し始めた。「兄が送ってきたメールで、日本では2019年末を以って電子レンジが使用禁止になるの、あと二か月で処分しないと逮捕され刑務所行きになるって本当」。

               

              とんでもない話、広島にある大学の先生の調査で、電子レンジから発せられる電磁波は広島の原爆被爆量よりも大きく、直ぐに廃棄しないと重大な健康被害を及ぼすというのだ。

               

              日本政府は2020年をもって、全てのメーカーに生産停止を命じたという。アリースは真顔で、そんなことが本当に起きているのかと訊ねる。

               

              私は笑いながら「そんな話初耳、聞いたこともない」と答えた。「広島の大学の先生の名前は」と彼女に質問した。どう考えてもバカバカしく、誰が考えても非常識きわまりない。

               

              その後、彼女はコンピュータで検索したら、やっぱりフェイクニュースの欄に、この記事が載っていることを発見した。デマの出所はロシアで世界中に瞬く間に広がったらしい。

               

              彼女の兄は、インド洋に浮かぶセイシェル諸島に住んでいる。セイシェルからロスアンゼルス、昔なら絶対に伝わらない情報が、便利で簡単なツールであるインターネットで瞬時に地球の裏側まで流れる時代。一方で、このようなフェイクニュースが一日で全世界に拡散するようにもなった。

               

              信じるか信じないかは自分次第と言えばそれまでだが、これがもっと信憑性の高い内容だったら、とんでもないことになると背筋が寒くなる思いがした。

               

                                                 

                                                  

              文:吉田千津子 写真:奧村森

               

               

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              ガレットとクレープ  レストラン&カフェ 『Gwenn Ha Du(グウェン・ア・ドゥ)』

              2019.08.11 Sunday 11:33
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                『グウェン・ア・ドゥ』

                  

                 

                レストラン&カフェ 『Gwenn Ha Du(グウェン・ア・ドゥ)』

                 

                阪急今津線、小林駅線路沿い住宅街に突如、お伽の国から飛び出してきたような小さな一軒家が現れる。ここがガレット、クレープ、ブフ・ブルギニョンが美味しいと今大評判のレストラン&カフェ『グウェン・ア・ドゥ』である。

                 

                オーナーのエリック・オリビエさん

                 

                ブルターニュ語で『グウェン』は白、『ドゥ』は黒という意味、白と黒はブルターニュ旗に使われている地方色である。ブルターニュ地方は、フランスに統合されるまでの500年程は公国であった。現在のブルターニュ旗は、その公国の国旗である。故郷をこよなく愛するオーナーのエリック・オリビエさんが店名を『グウェン・ア・ドゥ』と名付けた。

                 

                 

                昼食、夕食にガレット おやつ、デザートにクレープ

                 

                 

                左は、Galettes Complete ガレット コンプレット

                昔のガレットは質素で具材は卵、ハム、チーズのいずれか一種類が主だった

                その3種類の具材が全て入った豪華なガレットという意味のcomplete.ガレットの代表格メニュー

                右は、Crepe Caramel au beurre sale クレープ キャラメル

                ブルターニュ地方ではバターとミネラル豊富な海水で作った天然塩(ゲランドの塩)が有名

                お菓子には通常無塩バターを使うが、ブルターニュ地方では有塩バターを使用

                キャラメルにも天然塩を加えた伝統の“塩バターキャラメル”がある

                『グウェン・ア・ドゥ』自家製の“塩バターキャラメル“をたっぷりかけた人気のクレープ

                 

                日本人にとってクレープは馴染があるが、ガレットについてはあまり知られていない。クレープは小麦粉、牛乳、卵などを合わせ溶かした生地を使うが、ガレットは蕎麦粉を生地にしている。ともにブルターニュを発祥の地とする食べ物である。

                 

                ウィキペディアによると、ブルターニュ地方は、土地が痩せ気候も冷涼なため、小麦の栽培が困難なことから蕎麦を常食にしていた。古くは蕎麦粥や蕎麦掻にして肉と一緒に食べたりしていたが、偶然、蕎麦粥を焼けた石の上に落としたところ薄いパン状に焼き上がることを発見、蕎麦粉を焼いてパンの代わりに食べるようになったと記されている。

                 

                で焼いたことからフランス語で小石を意味するガレ(galet)にちなんでガレットと名づけられたというのが通説なようだ。小麦粉のクレープは19世紀になって出来たパンケーキの一種。日本ではおやつやデザートとして食べるのがポピュラーだが、ブルターニュ地方では朝食として食べている。その元になったのがガレットで昼食や夕食の定番料理とされている。

                 

                『グウェン・ア・ドゥ』メニュー

                 

                ガレットメニュー http://gwennhadu.jp/menu.html#galette

                 

                クレープメニュー http://gwennhadu.jp/menu.html#crepe

                 

                 


                夕食時限定の特別メニュー ブフ・ブルギニョン

                 

                Boeuf bourguignon ブフ・ブルギニオン

                フランス家庭の代表的なご馳走メニュー

                ワインの酸味と薫りが残るソースにフランス文化を感じる・・・ 素朴だがとてもフレンチな一品

                 

                ブフ・ブルギニョンは牛肉を赤ワインで長時間煮込んだ料理の名称だ。ブルゴーニュ地方で生まれたものだが、エリックさんによると、現在ではフランス家庭料理として全国的な料理になっているとのこと。

                 

                『グウェン・ア・ドゥ』の ブフ・ブルギニョンは典型的なクラシックでオーソドックスな家庭料理。このブルギニニョンは夕食時限定メニュー、本当に美味しい。よき時代のフランスを知る人には味わって欲しい逸品だ。

                 

                 

                エリックさん特製のフランス菓子

                 

                 Gateau Breton ガトー ブルトン
                 バターがたっぷり、塩味が加わったブルターニュを代表する伝統的なケーキ

                左は、お一人様サイズ、右は、15cmのホールサイズ、15〜22cmまでのサイズがあります

                Far Breton ファー ブルトン(ブルターニュの焼き菓子)

                プルーン&プレーン

                 

                「好きこそ物の上手なれ」エリックさんが大好きで得意な菓子づくり、これからますますバリエーションが充実していくことだろう。

                 

                 

                『グウェン・ア・ドゥ』2階に多目的レンタルスペースオープン

                 

                レンタルスペース

                 

                2019年6月から『グウェン・ア・ドゥ』2階に、お稽古ごと、ティーサロン、誕生パーティー、創作品展示など、多目的に使えるレンタルスペースをオープンした。

                 

                レンタル料金は1時間に付き1000円と手頃なので、誰でも気軽に利用できる。ただし、コーヒーなどの飲み物を注文して貰うのが基本だ。2階へは外階段を上って入室する構造なので、1階のように常設レストランとしては使用できないが、10人から15人程度の忘年会や食事会は受付けている。

                 

                 

                エリック・オリビエさんの『人となり』

                 

                エリック・オリビエさんと故郷ブルターニュの海

                 

                エリックさんの父親はパン職人だった。夜12時に仕込みを始め、終了するのは朝8時、毎日寝る暇がないほど働いた。当時の仕事場は粉塵がいっぱい舞う劣悪な環境だった。アレルギー体質の父は、ひどい喘息を患った。

                 

                エリックさんはパティシエを志していたが、父は息子に「お前も同じ体質だから小麦を扱う仕事はやめた方がいい」と気遣った。父親の苦しむ姿を見て、彼はパティシエになることを断念した。

                 

                エリックさんは、新たな人生の目標を抱いた。故郷のガレットやクレープ、家庭料理などの食文化を外国に伝えたい。そんな夢をもってエリックさんはフランス資本のリゾートホテル社員としてポリネシア、オーストラリア、イタリア、ブラジル、カリブ海、スイス、グァルダループなど様々な国々を飛び回った。

                 

                オーストラリアの仕事場で同僚の小林眞理さんと出会った。リゾートホテルは2年毎に勤務場所を異動しなければならない。二人の仲を知る上司の配慮があり、その後もカリブ海、スイス、タヒチと揃って赴任することが出来た。そしてタヒチに近いボラボラ島で二人は結婚した。

                 

                眞理さんは、エリックさんに日本を知ってもらいたいという願望があった。そのためには、二人で日本に暮らす時間が欲しかった。

                 

                従業員の中に日本人は数十名いたが、殆どが海外勤務を希望していた。眞理さんは、もし、自分が日本勤務を志願すれば受け入れられるのではないか。エリックさんと一緒の異動という条件を付けて、北海道にあるリゾートホテル支店勤務を本社に打診した。

                 

                その目論見は直ぐに叶えられた。彼女の仕事は、ブティックの仕入れから販売まで担当する責任者だった。北海道支社はブティック責任者の人材を探している最中だった。日本人なら自国の言語もマーケティングも理解できるから最適という経営方針とも一致したのだろう。

                 

                二人は北海道佐幌にあるリゾートホテルで働き始めた。エリックさんは、北海道がとても気に入った。夏は大好きな釣三昧、海釣りも川釣りも自在、イワナやニジマスなどがよく釣れた。

                 

                ブルターニュ人は、ガレットのほかにもカキ、ムール貝、カニ、アワビなどのシーフードも好んで食べる。生活環境に違和感はなかった。冬には大好きなスキーもできたから大満足だった。

                 

                エリックさん&眞理さん

                 

                その後、二人揃ってリゾートホテルを退職、眞理さんの実家に近い宝塚に縁あって住むこととなった。そして、2014年11月に夢を叶えるべく『グウェン・ア・ドゥ』を小林駅前に開店した。

                 

                ブルターニュのガレットと関西のお好み焼きは、どちらも粉もので好きな具なら何を入れても構わないという共通点がある。ガレットが関西人に受け入れられた理由は、そんなところにあったのかも知れない。

                 

                夢を達成した今、「この店を潰さないように努力したい」というエリックさんの謙虚な言葉が返ってきた。「これからはブルターニュの焼き菓子のバリエーションを増やしていきたい」と抱負を語る。

                 

                エリックさんは、料理やお菓子づくりを専門的に学んだ訳ではない。自分で食べたいものがガレット、クレープ、菓子だったのである。そんな趣味が高じてプロの世界に足を踏み入れるようになった。あくまでも原点はアマチュアリズムなのだ。

                 

                「子供が小さかった頃、何しているのかと思ったら、一生懸命自分の食べたいお菓子を作って、出来上がるとボーンとテーブルの上に置いて、まず自分で食べてから子供たちに与えていた」と眞理さんはエピソードを語る。

                 

                ブルターニュの人々は、サッカーワールドカップでもフランス国旗ではなく、ブルターニュ旗を掲げるという。それほど強い郷土愛を持っているのだ。「文化意識が強過ぎて石頭という感じがする」と眞理さんは笑う。エリックさんの『人となり』は料理にも、そのよさが生かされている。

                 

                 

                『グウェン・ア・ドゥ』

                 

                ブルターニュ旗

                 

                〒665-0072 兵庫県宝塚市千種1−12−11

                 

                Tel:0797-73-5511

                 

                営業時間:月曜日〜木曜日 11:00〜20:00

                金曜日〜土曜日 11:00〜21:30

                定休日:日曜日

                 

                ホームページ http://gwennhadu.jp/

                 

                 

                 

                 文と写真:奧村森

                 

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                東京駅構内 レストラン『RISO CANOVIETTA(リーゾ カノビエッタ)』の出来事

                2019.07.01 Monday 15:57
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                  宝塚からの宅急便

                   

                   

                  東京駅構内

                   

                  レストラン『RISO CANOVIETTA(リーゾ カノビエッタ)』の出来事

                   

                   

                   

                   

                  先日、友人と東京駅近くのオフィスビルを訪ねた。打ち合わせが延びて、お腹が空いたので軽食を食べようと東京駅構内にあるレストランを探した。

                   

                  たまたま目に付いたのが八重洲口地下中央口に隣接する『RISO CANOVIETTA(リーゾ カノビエッタ)』というカウンター形式で10数人座れる店だった。金曜日の食事時ということもあって1席しか空いていなかった。

                   

                  私は友人をその空席に座らせ、自分は席が空くまで待つことにした。カウンターを取り巻く椅子の後方はさほど広くはないが、立っていても食事をしている人たちへの不快感はないように思えた。女店員は「外で待って下さい」と言って店の外に私を追い出した。

                   

                  私は素直に従った。2分ぐらいすると1人の客が食事を終えて席を立った。再び店内に入って空席に座ろうとすると、再び女店員は片づけるまで外で待つよう、にこりともせず指示する。

                   

                  仕方なくまた外に出ると、今度は男性客2人が私のために急いで食事を済ませ「これだけ空席があれば大丈夫でしょう、どうぞ」と気を遣って言葉をかけてくれた。改めて中に入ると今度は、男コックが片付けるまで外で待つよう命令口調で言った。

                   

                  もう、最初の客が退席してから数分は経っているのに、女店員は片づける素ぶりもなく、iPhoneを見ている始末。堪忍袋の緒が切れて、友人に「こんな失礼な店出よう」と大声で言うと、友人も「そうですね」と同調した。それでも全店員が知らん振り、勿論、謝りもしない。

                   

                  駅構内の店だから一見の客が多く、そんな態度でいても商売できると考えているのだろうが、味は食物だけではなく雰囲気も大切な要素である。おまけに、店頭には料理人、植竹隆政氏の大きな写真がうやうやしく掲げてあった。値段も『トマトソースのリゾット』が1350円、『魚介とカラスミのリゾット』が1470円と、決して安くはない。

                   

                  その後、違う軽食屋に入り、怒りの収まらない私はそこの店員に「『RISO CANOVIETTA』は何という酷い店だ」と零すと、「皆さん同じ事おっしゃいます」と話す。どうやら東京駅構内レストランでは悪名高きレストランと分かった。

                   

                   

                  文と写真:奧村森

                   

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                  ペルー家庭料理『Huancayo(ワンカヨ)』 豊中市

                  2019.04.09 Tuesday 21:34
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                    宝塚からの宅急便

                     

                     

                    ペルー家庭料理『Huancayo(ワンカヨ)』 豊中市

                     

                     

                    友人に誘われ大阪府豊中にあるペルー家庭料理『Huancayo(ワンカヨ)』を訪ねた。これまでペルー料理を口にした経験がないので興味津々。『ワンカヨ』は、阪急電車宝塚線の岡町駅で下車、市役所通りと名づけられた岡町商店街のアーケードを750m(徒歩で約4分)進むと、右側にループトーワビルがあり、そこの3階にある。

                     

                    私たちは日替わりランチメニューを注文した。ひとり850円で健康的な食材が盛り沢山、加えてスタッフの笑顔が美味しさを際立たせる。とりわけ、インカコーラはお勧めだ。日本人が考案したドリンクだそうだ。

                     

                    オーナーのGladis Gargate Sakamoto(グラディス ガルガッテ サカモト)さんが3年前に開店したという。グラディスさんは日系3世、お爺さんが1918年に移民としてペルーに渡った。

                     

                    仕事もなく厳しい環境を強いられたが、工場の大変な仕事に耐え、ついには経営者になった。一方、グラディスさんは21年前に来日して大手食品メーカーで働き、お爺さんと同様、経営者としての道を歩むようになった。

                     
                    グラディスさんは「日本の子供から高齢者まで、また男女を問わず、多くの人にペルー
                    家庭料理を味わって欲しい」と言う。
                    
                    食文化を通して両国の交流を盛んにしようと思っているのだろう。
                    

                     

                    彼女は猫が大好き、猫好きの顧客は料理だけでなく猫談義もできそうだ。 店の一角には手作り民芸バックやアクセサリーなどを販売している。 ペルーの雰囲気を味わえるレストランである。

                     

                    
                    『Huancayo(ワンカヨ)』の営業時間
                    
                    
                    火曜日〜木曜日 20時まで
                    
                    金曜日〜土曜日 22時まで
                    
                    日曜日 17時まで
                    
                    月曜日 定休日
                    
                    ランチタイム 11時〜15時
                    
                    住所:〒561-0881 大阪府豊中市中桜塚2丁目25-12 ループトーワビル3F
                    
                    Tel :06-4867-4842
                    

                     

                     
                    

                    最近、ペルー料理は、世界的に注目を集めている。

                    スペイン・ビルバオで開催された2018年度『世界のベストレストラン50』では、ベスト10に2店もが選ばれたほどである。(参考資料 / MAGAZINE ヒトサラ) 

                     

                    1位 イタリア、モデナ【Osteria Francescana】
                    2位 スペイン、ギロナ【El Celler De Can Roca】
                    3位 フランス、マントン【Mirazur】
                    4位 米国、ニューヨーク【Eleven Madison Park】
                    5位 タイ、バンコク【Gaggan】
                    6位 ペルー、リマ【Central】
                    7位 ペルー、リマ【Maido】
                    8位 フランス、パリ【Arpège】
                    9位 スペイン、サン・セバスチャン【Mugaritz】
                    10位 スペイン、アクスペ【Asador Etxebarri】

                     

                    南米の国、ペルーはアマゾン川流域の熱帯雨林やアンデス山脈の高地に発達した古代インカの都市マチュピチュがあることで知られる。『Huancayo(ワンカヨ)』はペルー中部、標高3350mのアンデス山脈東部にある都市の名称、人口は30万5039人。日曜日には市場が開かれ食料品や手芸品を売る光景が見られる。

                     

                    『Huancayo(ワンカヨ)』Facebook Pege は下記をクリック 

                    https://ja-jp.facebook.com/Restaurante-Huancayo-231178443891082/

                     

                     

                    文:奥村森

                     

                    (重要)ここに掲載する記事、写真等は全て著作物です。

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                    画家・越後光詞さん

                    2018.09.09 Sunday 06:30
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                      宝塚からの宅急便

                       

                       

                      画家・越後光詞さん

                       

                      画家・越後光詞 Koji Echigo

                      越後光詞さん

                       

                      1995年、友人の西佳彦さんの紹介で越後光詞さんと出会った。東京のギャラリーで個展を開催していた。モダンな姿が強く印象に残った。先日、久しぶりに西さんと会った。西さんの両親は幼い頃離婚、越後さんの家族に育てられたのだという。多感な時期に越後さんは話相手となり、孤独に襲われる西さんを救った。現在、西さんは競争の厳しいテレビ業界で本格派のディレクターとして活躍している。


                      改めて越後光詞さんの作品を眺めると、優しいながらも秘めたる強さを感じる。西さんは、この絵を眺めて勇気づけられたのだろう。今も西さんは越後さんに感謝と尊敬の念を抱いている。                             

                      画歴
                      札幌、東京、京都、大阪などで個展開催
                      巨大絵画制作や様々なジャンルのアーティストとのコラボレーション
                      子どもや音楽アーティストとワークショップで絵画制作
                      ジンバブエの子ども達との絵画ワークショップ
                      児童会館の子供達と会館20周年記念作品を合同制作

                      展覧会
                      札幌 ・大同ギャラリー個展、市民ギャラリー1階全室使用個展、札幌パークホテルギャラリー個展、時計台ギャラリー個展、さいとうギャラリー個展、札幌市芸術の森工芸館ベストポケットギャラリー個展、札幌市資料館個展、コンチネンタルギャラリー個展、ギャラリーエッセ個展、 小樽 ・さとう画廊、宮井額縁店、三越ギャラリー、北一ガラスギャラリー、堺町浪漫館、北の誉酒造「酒泉館」石倉回廊、運河プラザ3番庫ギャラリー全室個展、京都 ・堺町画廊二人展、ヤマモトギャラリー二人展、東京 ・渋谷神宮前ギャラリーY&Y個展、新宿・ポルトリブレ二人展

                      フェンスアート
                      中島児童会館工事用フェンス 全長120M壁画制作、札幌市中央区南1条西2丁目まるいちさいとうビル建設工事用フェンス、札幌市芸術の森アートホール建設工事用フェンス215M壁画制作

                      ワークショップ他
                      大阪港区旧加藤汽船ビル1Fアートイベント参加、札幌琴似コンカリーニョ 巨大絵画制作 児童とワークショップ、小樽倉庫1 ライブペイント、白老飛生芸出祭参加、ジンバブエの子ども達と共同絵画制作、札幌宮の沢児童会館20周年記念作品 児童と共同絵画制作

                       

                      文:奥村森

                       

                      (重要)ここに掲載する記事、写真等は全て著作物です。

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                      保護猫広場ラブとハッピー

                      2017.01.06 Friday 11:25
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                        宝塚からの宅急便

                         

                         

                        保護猫広場ラブとハッピー

                         

                        Hacchi 保護猫広場ラブとハッピーの看板猫 ハッチ

                        Hacchi 保護猫広場ラブとハッピーの看板猫 ハッチ

                         

                        2015年11月20日、「保護猫広場ラブとハッピー」が東京都日野市南平にオープンした。保護猫広場を主宰する酒井裕見子さんが、猫の保護を始めたのは2000年の事件がきっかけだった。

                         

                        2匹のノラが虐待され、3本足になった猫事件からだ。その中の1匹は、お腹に子を身ごもっていた。後に、この猫たちをラブとハッピーと皆が呼ぶようになり、それに因んで施設の名称とした。

                         

                        ひとりでも多くの人に、猫を大切にする気もちを持って欲しい、1匹でも多くの猫を救いたい。これ以上ノラが増えないよう去勢手術を施し、傷を負った猫たちの治療に努めた。同じ活動をする仲間との交流も深まり、情報交換や助け合いも活発になった。

                         

                        ネットワークのなかに「きもと動物病院」の木本先生がいた。開業時から保護猫値段を設定、安価で去勢やワクチン注射をしてくれたので助かった。だが、酒井さんは活動に限界を感じ始めていた。その頃、近隣で同じ活動をする動物管理責任者の資格を持つ舟崎真理さんを始めとする仲間達と出会った。

                         

                        すでに酒井さんと舟崎さんの家には、多数の保護猫で溢れ、もう限界だった。同じ目的をもった者同士が意気投合、保護猫広場を設立することにした。

                         

                        まずは施設の場所探し、余程の理解者でない限り貸して貰えないと覚悟はしていた。しかし、たまたま訪れた動物好きの不動産屋さんが、同じく動物好きのビル所有者、多田眞砂子さんを紹介してくれた。

                         

                        次に、第一種動物取扱登録書や動物取扱標識などを東京都から認可を得なくてはならない。こちらも既に日野市三沢で保護施設を運営していた「にゃんぷく」の八木さんが懇切丁寧に教えてくれたのでスムーズに手続きが進んだ。

                         

                        開設するやいなや、保護されたノラが次々と運ばれてきた。最初は険しい表情をしていた猫たちも、時の経過と共に驚くほどゆったりとして優しい表情に変わっていく。痛々しい傷跡だけが過去の厳しい生活を推測させた。

                         

                        ラブとハッピーの気もちが人の輪を作り、出来上がった保護猫広場、これからの活動は里親会の随時開催、ペットホテル運営、猫の一時預かりと生涯預かり、捕獲相談などがメインだが、寄付だけに頼らず独自の営業展開で定収入確保を目指すため、猫カフェや手作りグッズの販売も手掛ける。

                         

                        里親は、届けることが可能な地区に限定、これは猫の住環境をチェックするためだ。高齢者の場合は、その猫を引き取り継承できる家族がいること。厳しい制約だが、これも猫たちの将来を思っての優しい心遣いである。

                         

                        保護猫広場ラブとハッピー ホームページ

                        http://lovetohappy.com/

                         

                        保護猫広場ラブとハッピー の猫ちゃんたちの画像

                        http://www.officeokumura.com/001-c-cat000kensaku.html

                         

                        文と写真:奥村森

                         

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                        ロスアンゼルス最新事情 コヨテに襲われたモニカの愛猫・マックス

                        2017.01.03 Tuesday 15:00
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                          宝塚からの宅急便

                           

                           

                          ロスアンゼルス最新事情 コヨテに襲われたモニカの愛猫・マックス

                           

                          ロサンゼルス

                          ロサンゼルス

                           

                          2013年10月、ロスアンゼルスのサンタ・モニカに住む友人のモニカを訪ねた。いつもロスアンゼルス到着当日は、彼女の家に泊まらせてもらう。彼女の家に着くと何時も迎えに出てくる猫のマックスの姿が見えない。

                           

                          「マックス!」と呼ぶと犬のようにトコトコと走って来るとても可愛い二毛猫だ。今日は天気が良いので散歩にでも行っているのかと思っていた。そうこうしていると、彼女が勤めから帰ってきて、早く夕食を食べに行こうと急かすので、ファミリーレストランに向かった。そこで、彼女は驚くべき話を始めたのである。

                           

                          それは、私がロスアンゼルスに着く4日前の金曜日のことだ。マックスがコヨテに襲われて食べられてしまったのだという。「えっ〜サンタ・モニカの町の中にコヨテなんかいるの」と叫んでしまった。

                           

                          そういえば私は、ロスアンゼルス郊外のグレンデールに住んでいたことがあった。家は、観光名所のグリフィス・パークの裏側にあり、自然豊かな場所だった。ある朝、道路の真ん中を歩く茶色の犬を見つけた。すると隣のおじさんのパピィが、あれはコヨテだよ教えてくれたのを思い出した。ロスアンゼルスにはコヨテが出没する地域が多い。

                           

                          モニカの家の近くには浄水場があり、そこにコヨテが群れで住んでいて、夜な夜な町におりて来ては近所の犬や猫を襲って食べてしまうらしい。サンタ・モニカでも多くのペットが犠牲になっているとのニュースを聞いていたモニカは、夜は絶対にマックスを外に出さないよう注意をしていたが、その時に限って朝早く外に出してしまったらしい。

                           

                          その日は、御主人のメディカル・チェックの日で朝4時ごろ2人で起床、マックスも一緒に起きて外に出たがったので出したのだという。冬の4時はまだ暗い。マックスは毎朝早く起きて、7時頃に朝ご飯をねだるのが習慣だった。

                           

                          しかし、その日は何時までたっても帰って来ない。さすがにモニカも心配になり、あちらこちら近所を捜しまわったが、ナシのつぶて。夜になってもマックスは姿を現さなかった。その夜、ご主人と一緒に迷い猫のビラを作って、翌日近所に配ることにした。

                           

                          ビラを近所に配る前に、ヒューメイン・ソサエティー(捨てられたり、迷子になった犬や猫などを保護して、里親を探す施設)に出掛けてマックスが保護されていないかを調べる必要がある。2人は、そこを尋ねたがマックスの姿は無かった。その話を聞いていた1人の係員が「ところで、マックスの毛色は?」と尋ねた。

                           

                          「白と茶の二毛猫です」と答えると、彼はちょっと口ごもったように「ちょっと待って下さい。昨日そんな猫を見かけたような・・・・」と話すのである。「見てみますか?」と彼らに聞いた。何か悪い予感がする二人は覚悟の上で確認する事にした。

                           

                          係員が持って来たものを見たとたん、2人は息をのんだ。マックスが、尻尾と後ろ足だけの無残な変わり果てた姿と化していた。それはマックスに間違いなかった。係員の説明によると、前日友人宅の近所の人から連絡があり、庭に猫の身体の一部が落ちているから回収してくれとの依頼電話があったという。

                           

                          モニカ夫妻には子供がなく、マックスを我が子のように可愛がっていたので家に帰って2人でオイオイ泣いてしまったそうだ。モニカは余りの悲しさで、マックスが使っていたものや、彼を思い出させるものはすべて次の日に捨ててしまったという。そのせいで、家の中にはマックスのものは何ひとつ無くなっていたのだった。

                           

                          その話を聞いた夜、私も余りのショックで眠れず、ウトウトしてベッドの中で耳を澄ますと、遠くでコヨテの遠吠えが聞こえた。それはマックスが外に出た時間と同じ午前4時だった。

                           

                          文:吉田千津子 写真:奥村森

                           

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                          ヤギの話

                          2017.01.03 Tuesday 14:18
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                            宝塚からの宅急便

                             

                             

                            ヤギの話

                             

                            山羊

                            山羊

                             

                            朝日新聞のコラムでヤギのおもしろい話を読んで昔のことを思い出した。昭和27年頃、生まれて間もない私の弟の顔全体に湿疹ができ、かくと皮膚が赤くなり、ボロボロと剥けて可哀そうな状態だった。母乳を飲んではいたが充分ではなく、牛乳も一緒に飲んでいた。医者の診断では、アレルギー体質なのではないかという事だった。

                             

                            塗り薬を塗っても一向に良くならなかった。母は近所の人からヤギ乳を勧められた。栄養的にも優れているので、線路の向こうにある農家から茶色のビンに入ったヤギ乳を毎日配達してもらうようになった。ヤギ乳は消化されやすく、アレルギー源もないうえ、おまけに栄養は母乳の2倍もあるという。弟はしばらく飲んでいたら、知らない間に湿疹は嘘のように消えていた。

                             

                            朝日新聞によると昭和50年代、今では高級住宅街となっている目黒区柿の木坂に日本初の「ヤギ乳処理工場」が設立されたという。現在、日本のヤギ頭数は、推定約2万頭で昭和57年当時は68万頭ものヤギが飼われていたという。その8割がミルク搾乳用だったとは驚く。草を食べさせるだけで飼えるヤギの別名は「貧者の乳牛」とは良く言ったものだ。

                             

                            時々、私も弟が飲みきれない搾りたてのヤギ乳を飲んでみたが、生ぬるく、青臭い香りがしたのを覚えている。余り美味しいものではなかったような気がする。ヤギで思い浮かぶのは、沖縄料理の「ヤギ汁」である。沖縄の人々はヤギを今でもよく食べる。最近沖縄にヤギ牧場ができ、ヤギ乳はもとよりヨーグルト、チーズなども作っているという。

                             

                            ヤギ乳といえば、フランスでは何処に行ってもヤギのチーズ「Chevre シェーブル」を作っていて、とても美味しい。かたちは乳牛のチーズよりも小さく、白く柔らかいチーズである。ポルトガルのコインブラを訪ねた時には、レストランでヤギのローストを案内人のクリスチーナが「ヤギの料理はグルメなのよ」と言いながら美味しそうに食べていたのを思い出す。アメリカのスーパーでもアレルギーの子供用にヤギ乳は売られている。

                             

                            鹿児島大学農学部の中西教授によると、牛に比べてあまり場所も取らない上、タンパク質豊富、糞は堆肥になり、草も食べるので草取り不要ということもあって、ヤギは世界中で増え続けているという。それなのに何故、日本だけが激減しているのかと疑問を投げ掛けている。

                             

                            特にヤギは、エコロジー的に考えてもとても優秀な家畜だ。最近増加しているアトピー疾患にもヤギ乳は良いのではないか。これからの食糧難時代を危惧する前に、もっとヤギを飼うことを奨励してみたらどうだろうか。

                             

                            文:吉田千津子 写真:奥村森

                             

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                            ちょっといい話

                            2017.01.03 Tuesday 13:49
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                              宝塚からの宅急便

                               

                               

                              ちょっといい話

                               

                              Dog 犬

                              Dog 犬

                               

                              私は無類の動物好きで子供の頃から捨て犬や猫を拾ってきた。あげくのはては、一度ヤギを拾ったこともあった。そんなわけで我家には何時も動物がいた。2年前の東日本大震災では、置き去りにされ鎖に繋がれたまま死んでいった飼い犬や家猫達が野生化して増殖し続けるている現状、やせ細った牛があちこち彷徨っている話を聞くと何とかしてやりたいと心が痛む。日本では毎年、何10万匹の犬や猫が殺処分されていると聞く。

                               

                              2013年6月24日付の朝日新聞で「捨て犬もアテネ市民」という見出しが目に入った。ギリシャは、すでに経済が危機的状況で生活が大変なこともあり、捨てられる犬猫が急増しているという。しかし、アテネでは日本のように殺処分はしないそうだ。

                               

                              まず、捨てられた犬猫をシェルターで保護し、その間に予防注射や去勢、避妊手術をほどこし、首にマイクロチップのIDを付けて住民(犬?猫?)登録する。この間に里親が決まれば引き取られるが、そうでない場合は再び路上に出されて、地域犬・猫として生活をするのである。

                               

                              餌をやるのは、住民や動物愛護団体にまかされる。この「アテネ方式」と呼ばれる方法は2003年から始まった。これまでの10年間に4400匹が保護され、その内の1000匹が里親に引き取られたという。ギリシャは財政危機で動物愛護関連の予算も半分に削られてはいるようだが、それでも獣医師会や動物愛護団体などが協力して、これまでどうりの対応をすると書かれていた。

                               

                              日本はギリシャに比べれば、アベノミクスとかで政府は経済的に上昇気流だと自慢しているが、今なお東日本大震災で災害を受けた人々の救済もままならない現状である。動物にやさしく出来ない国はイコール人間にもやさしく出来ない国なのではないだろうか。私は経済危機にあっても生き物にやさしいギリシャが好きになった。人間も動物も地球上の生き物なのだから。

                               

                               

                              文:吉田千津子 写真:奥村森

                               

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                              体操教室

                              2017.01.03 Tuesday 12:54
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                                宝塚からの宅急便

                                 

                                 

                                体操教室

                                 

                                Takarazuka city sports center 宝塚市立スポーツセンター

                                Takarazuka city sports center 宝塚市立スポーツセンター

                                 

                                私と相棒は毎週一回、スポーツセンターの体操クラスに通っている。約1時間半のクラスでは毎回違ったスポーツ競技をする。先日は、カーリングならぬカローリングという競技をした。カーリングの室内版でカーリングと同じような柄の付いた色とりどりのローラーを床にすべらせ、先にある的をめがけて入れるのである。

                                 

                                でも、氷の上のカーリングで見るような箒でローラーの前をシャカシャカと忙しくはく必要はない。簡単そうに見えても中々難しい。このクラスは60歳以上との制限はあるが、その他は何もない。40人余りが毎週集まるが、何故か女性ばかりで唯一、黒一点が私の相棒である。そのせいで、おばさん化しているおじさんは、増々おばさん化に拍車がかかる。

                                 

                                何しろ関西のおばちゃん達はエネルギーが有り余っている。先生が競技のルールを説明していても、お構いなしにワイワイ、ガヤガヤと話をしている。2人の先生は勿論私達より若いので、どうしても遠慮がちに「聞いていますか!!」とやさしく言うだけなので、ぜんぜん効果がない。

                                 

                                私達の町・宝塚は、あの有名な手塚治虫が育った町で「手塚治虫記念館」もある。そのため宝塚をアトムの町として売り出そうとしている。それを広めるために「アトム体操」なるものを必ず毎回する。私の一番お気に入りポーズはニワトリが羽根をパタパタするような格好である。

                                 

                                何時も一番後で体操をしているので、前の人達を見渡せる。そのポーズが始まると、皆一斉にニワトリの様に腕を肩まで上げパタパタと忙しく動かしているのを見ると、どんなおばちゃんでも、とても可愛く見えるのである。

                                 

                                ちなみに、私の相棒の好きなポーズは両手を前にならえをして握った手をパッと開くところで、それはアニメのアトムが今から悪を懲らしめるぞと言うときのポーズを連想させるからだという。毎週1回の体操を馬鹿には出来ない。相棒の体は以前より柔らかくなって来たし、やはり体操をするだけでも気分が爽快になる。

                                 

                                文:吉田千津子 写真:奥村森

                                 

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                                緊急速報!!「蛍発生」

                                2017.01.03 Tuesday 12:34
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                                  宝塚からの宅急便

                                   

                                   

                                  緊急速報!!「蛍発生」

                                   

                                  Shirase river 白瀬川

                                  Shirase river 白瀬川

                                   

                                  初夏になると、我マンション入口の掲示板に速報「蛍発生」の張り紙が出る。引っ越してきた当初は、これを見て一瞬何か緊急事態でも発生したのかと驚いたが、その後は、また蛍の季節がめぐって来たのかと感慨深い。

                                   

                                  大体、緊急速報といえば、地震や事故といった災害や良くないことが多いが、これは嬉しい緊急速報である。蛍の発生場所は、我マンション前の白瀬川。余り水量が多くなく川の中には草が生い茂っているところもある。それが蛍にとっては良いのかもしれない。夜になると近所の人達が数少ない蛍を見ようと集まってくる。

                                   

                                  そんなある夜、母と一緒に行ってみた。一番多いとされる白瀬橋の辺りから見てみると、ポァーポァーと光が点滅している。何か宝物探しでもするように「あっ、あそこ!!見えた見えた」と3人で喜んでしまった。確認出来たのは5〜6匹だが、何しろ街灯や車が引っきり無しに通るので明るすぎて蛍の光が見えずらい。暗ければ多分もっと数が見えるとは思うのだが残念だ。

                                   

                                  蛍といえば思い出すことがある。20年ほど前、縁あって新潟県の安塚町(現在は上越市)に築150年の茅葺家屋を借りていた。その頃は東京暮らしだったので、時々友人と一緒に訪れていた。丁度6月に行く機会があり、町役場の滝沢さんが「夜になると蛍が観られますよ」と教えてくれた。私たちは暗くなるのを楽しみに蛍が現れるのを待った。

                                   

                                  しかし、何時になっても現れない。翌日、滝沢さんに「蛍なんていないじゃないの」と詰め寄った。すると滝沢さんが「蛍の呼び方を知らないからですよ」と言う。勿論こちらは知らない。蛍なんて子供の頃見たきりで、その後、蛍鑑賞のチャンスは一度もなかった。滝沢さんは「今夜8時ごろになったら車のヘッドライトをパチパチ点滅させて下さい、そうしたら蛍が仲間だと勘違いしてやって来ますよ」と言うのである。

                                   

                                  「へえー、そんな事あるの」と私達は半信半疑で夜を待った。いよいよヘッドライトをつけてパチパチと点滅してみる。すると「何ということでしょう」山の向こうから蛍が車のライトにつられて、どんどんと飛んでくるではないか。

                                   

                                  そして友人の白いシャツは蛍で埋め尽くされ、それは星を散りばめたようにポーッ、ポーッと光り出した。こんな光景は初めてである。滝沢さんの言ったことは本当だった。私達にとって、この貴重な体験は後にも先にもこれ1度だけである。

                                   

                                  文:吉田千津子 写真:奥村森

                                   

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                                  category:宝塚からの宅急便 | by:tanukuro2013comments(0) | -

                                  所変われば品変わる

                                  2017.01.03 Tuesday 12:09
                                  0

                                    宝塚からの宅急便

                                     

                                     

                                    所変われば品変わる

                                     

                                    Night view & airplane of Takarazuka from Sakasedai 宝塚の夜景

                                    Night view of Takarazuka & Airplane 宝塚の夜景と飛行機

                                     

                                    2012年に東京から関西に引っ越して驚いた。所変われば品変わるという言葉があるが本当に、これが同じ日本なのかと思うことが多々ある。その一例として、とうてい想像も思いつかない、難読地名や町名が非常に多い。

                                     

                                    それでは、気がついたものを書き連ねてみるので読んで頂きたい。兵庫県宝塚市在住なので近隣にあるものだけである。

                                    1−伊孑志 2−波豆 3−清荒神 4−売布 5−昆陽池 6−栢堂 7−夙川 8-十三 9-御影(読み方回答は最後にあります)

                                     

                                    私は阪急電車沿線に住んでいるが、駅名もおもしろい。こちらに来て一番気に入っているのが「雲雀丘花屋敷(ひばりがおかはなやしき)」。駅名から優雅なお屋敷町を想像するが、知人に聞いてみると特別とりたててどうという町ではないと言う。

                                     

                                    隣の駅は「小林」と書いて(おばやし)、仁川と書いて(にがわ)、隣町は「三田」と書き(さんだ)、東京ではミタと読む。暴力猿ともみじのてんぷらで有名なのは箕面(みのお)、何時も、難しい読み名の代表格が宍粟(しそう)である。人生長く生きていても、まだまだ知らない事が山程あることを痛感する。

                                     

                                    (読み方回答)

                                    1−いそし 2−はず 3−きよしこうじん 4−めふ 5−こやいけ 6−かやんどう 7−しゅくがわ 8−じゅうそう 9−みかげ

                                     

                                    文:吉田千津子 写真:奥村森

                                     

                                    (重要)ここに掲載する記事、写真等は全て著作物です。

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                                    category:宝塚からの宅急便 | by:tanukuro2013comments(0) | -

                                    Beatrice Douillet ベアトリス・ドゥイエ

                                    2017.01.03 Tuesday 11:37
                                    0

                                      宝塚からの宅急便

                                       

                                       

                                      Beatrice Douillet ベアトリス・ドゥイエ

                                       

                                      Beatrice Douillet ベアトリス ドゥイエ

                                      Beatrice Douillet ベアトリス ドゥイエ

                                       

                                      ベアトリスと出会ったのは、1996年の初夏であった。私と相棒は、アート雑誌の取材でパリに来ていた。取材費を切り詰めるため、街外れにあるベルシーのホテルに泊まっていた。その日も取材を終え、地下鉄のシャラントン・エコール駅で下車、ホテルに向かっていた。

                                       

                                      もう街は暗くなり始めていた。途中、全面ガラスばりのアトリエが目に入った。そこには、大きなキャンバスに向かって絵を描いている女性がいた。私の相棒は日本にいると無愛想なのだが、海外に出るとやたらとお喋りになり愛想がよくなる。言葉が通じなくてもヘッチャラなのだ。

                                       

                                      彼は「あ、そうだ彼女を取材しよう」とガラス窓にペタッとはりつき、指でトントントンと叩いた。そして、中に入って良いかとのジェスチャーをしたのである。ジェスチャーは万国共通、すると彼女がドアの方に足早にやって来て見知らぬ外国人の私達を招き入れてくれた。私だったら何処の馬の骨かも分からない人を中には入れないだろうし、おまけに東洋人なんてもってのほかだ。

                                       

                                      とにかく、私は彼女とのインタビューの約束を取り付け、2日間でインタビューと写真撮影を終えた。ベアトリスは、絵画、立体、イラスト、コラージュ、エコアート、何でもこなすアーティストである。しかし、芸術家は、どこの国に行っても一部の人を除いて皆貧乏暮しをしている。彼女の作品の発想はユニークで色彩がとても綺麗なのが特徴だ。「もし将来、機会があったら日本で個展を開ければいいね」と話をした。

                                       

                                      しかし、今の私達には個展を開いてあげられる当てもない。漠然と夢の様な話をしていただけだった。それから暫くして、彼女の記事がアート雑誌に掲載された。その後は、彼女からパリや欧州各地で開かれる個展やグループ展の知らせが届いた。フランスを代表する新聞 Le Monde 紙のアートコラム記事の切り抜きも送られてきた。しかし、それ以上の進展はなかった。

                                       

                                      それから時が流れ、相棒がたまたま仕事で知り合った人が偶然にも画廊を持っていることがわかり、急遽ベアトリスの作品をそこで発表させてもらうことになった。2012年の11月のことである。ベアトリスは約1ヶ月の予定で来日、個展を開催した。沢山の来場者で個展は盛況だった。

                                       

                                      彼女のモットーは倹約で、それを個展と旅行にすべてあてるという暮らしぶりだ。そのため衣服はほとんどフリーマーケットで購入、それを自分好みの服に仕立て上げる。たとえば、綺麗な糸で刺繍をしたり、色とりどりのボタンに付け替えたり、2枚のセーターの虫食いのところを除いて色違いの袖を付け、一枚のきれいなセーターに仕上げたりと手間をおしまない。彼女の衣服は何処にも売っていない、この世に一つしかない逸品である。我が家の壁には、ベアトリスの作品が飾ってある。毎朝それを見るたびに彼女のことを思い出す。

                                       

                                       

                                      文:吉田千津子 写真:奥村森

                                       

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                                      保護猫クロちゃん

                                      2017.01.02 Monday 14:51
                                      0

                                        宝塚からの宅急便

                                         

                                         

                                        保護猫クロちゃん

                                         

                                        Kuro クロ

                                        Kuro クロ

                                         

                                        東京から関西への引越しともなると事前に引越し先に何度か通わなければならない。そこで問題になるのが保護したノラ猫のクロちゃんを何処に預けるかということ。ペットホテルでは、狭いケージに入れっぱなしで可哀想だし、それに料金も馬鹿にならない。そこで八王子市南大沢でノラ猫の面倒をみている木村さんに相談すると、用事が終わるまで預かってもらえることになった。

                                         

                                        これで一安心だが、我が家にいる時のように一晩中ギャーギャー騒いだら迷惑をかけるのではと気づかいながら出発した。2〜3日して帰ってみると、木村さんいわく、夜はおりこうさんにして静かに寝ていましたよと言う。

                                         

                                        えっ本当なの、私達に心配をかけまいと、そう言っているだけじゃないのと疑った。もしそうだとしたら、我が家でもそうして欲しいなとの思いも空しく、案の定夜になりケージに入れると力一杯暴れて、木村さんに借りたケージの隙間に体を入れて外に脱出していることもあった。

                                         

                                        何しろ7キロの巨漢猫である。それが全力でケージを押し開けるのだからたまらない。何度クロちゃんを元いた南大沢のスーパー前に連れて行って置いてこようと思った事か。しかし、木村さんから保護を頼まれ引き受けたからには責任がある。

                                         

                                        木村さんによるとクロちゃんは、もと家猫で、その飼い主が引っ越すときにクロちゃんを置いていったらしい。その後は近所の人や木村さんのグループの猫おばさん達のお世話になり、元気に自由猫生活をしていた。我々は、元飼い主の二の舞をしたくはない。

                                         

                                        外猫になって約5年、推定年齢は10歳位ではないかとの話だった。その頃、すでにクロちゃんは一目おかれるボス猫に成長していた。しかし、外猫生活もそんなに楽じゃない。中学生のワルガキ達にいじめられたり、スーパーの外で働いているおじさんに蹴られたりしていたのを見たことがある。雨が降るとビショビショのぬれ鼠。

                                         

                                        初めは、そんなクロは人と目を合わさなかった。目をみると必ず顔をそらす。きっと色々大変だったのだろう。とうとう引越しの日がやってきた。引越し屋さんの来る前日にクロは木村さん宅に一時避難させた。荷物がすべて運び出され、関西に車で向かう途中クロを木村さん宅へ迎えに行った。

                                         

                                        木村さん宅のケージにへばりついて、離れようとしないクロ。それを無理やり引き離し、やっとのことでぺット用バッグに押し込んだ。クロちゃんは観念したようだった。いよいよクロちゃんを連れて引越しスタート。途中クロちゃんはニャンともいわず静かにバッグの中にいた。8時間の長旅にも耐え、元気に宝塚の新居に着いた。

                                         

                                        玄関に入ると腰を低くして尻尾をさげ、抜き足差し足のヘッピリ腰でゆっくりと中に入って行く。好奇心と恐怖心が入り交っている歩き方だ。新しい家に早く慣れてくれればと思った。東京の家にやっと慣れたと思ったのも束の間、また新しいところへ引っ越しでクロちゃんも楽じゃない。人間でも新しい土地に慣れるのは時間がかかる。ましてや猫は家に付くと言う。

                                         

                                        引越し2日目の朝、クロちゃんの大暴れの洗礼を受ける。玄関前の廊下に簡易寝床と水、フードを置き、とじこめて置いたのだが、起きてビックリ廊下は水浸し、その上ダンボールで作ったクロちゃんの寝床が見るも無残にぬれてペッチャンコ。その上、水をふくんで何倍にも膨れ上がったキャットフードが所狭と散らばっていた。

                                         

                                        これを毎日されたらたまらない、とるものもとりあえずケージを買いに走った。2階建てのケージが欲しかったのだが、売り切れ。仕方なく高さ180センチもある3階建のケージを買った。選んでいる場合ではない。緊急事態発生、とにかくケージを買わなければいけない。

                                         

                                        2時間以上もかけて、やっとケージの組み立てが完成。クロちゃんを中に入れてみる。大きなケージにクロちゃんも満足の様子。一安心。ところが夜になり、クロちゃんは悪魔へと大変身。一晩中鳴きやまない。特に私達の足音がするとすぐに目を覚ましてニャーニャーと鳴きはじめる。クロは外猫生活が長かったせいか、非常に音に敏感であった。それは驚くほど。

                                         

                                        日中は家の中に放しておいて、なるべく運動させるようにした。朝起きるとブラシをする。ブラシをされるのは大好きらしく大人しくしていた。遊んでやろうとすると7キロの巨漢のせいか、すぐに疲れてしまいテーブルの下へ隠れてしまう始末。

                                         

                                        一方、私は室内に積み上げられたダンボールを開けては片づける、気の遠くなるような毎日を送っていた。ある朝ダンボールの隙間に水溜まりを見つけた。こんなところに水はない。案の定クロちゃんが自分のテリトリーを主張するための大量のオシッコだった。

                                         

                                        一度すると、また同じ場所にするのが常と聞いているので、臭いがのこらないように一生懸命に拭いたが効果はなかった。家中を自分のテリトリーにすべく、今度は私のベッドのまん真ん中にかりん糖のようなウンコを2本、相棒のベッドの上にもウンコのプレゼント。これじゃ引越し早々、おちおち休んでもいられない。

                                         

                                        これがやわらかウンコだったらと思うとゾッとした。幸いシーツの洗濯だけで助かった。クロをベッドのところに連れて行き「ここにウンコをするんじゃないの」とお尻をペンペンしてもクロは何で怒られるのという顔をしていた。何時までこんなことが続くのやら。引越しの片付けと洗濯の日々が続いていた。疲れきっていた。私達は真剣にクロちゃんを車に乗せて東京の元いた場所においてこようと何度思ったことか。人間と猫との根競べだった。

                                         

                                        2〜3か月たつと、やっとオシッコ・ウンコ攻撃は止まった。クロちゃんもやっと、のんびりと窓ぎわで日向ぼっこをしてくつろぐ姿を見せ始めた。それでも、外出時と寝る時は3階建のケージに入れることは忘れなかった。やっと私達の気持をクロが判ってくれたような気がした。不敵な面構えのクロちゃんが尻尾をクエスチョンマークの様にたて、走って逃げる後ろ姿はコロコロとして可愛かった。

                                         

                                        毎日、左目をふいてやるのも日課だった。他の猫にケンカをしてやられたのか、石でも投げられたのか定かではないが、眼球に傷がついていて、何時もダラダラと膿のような液体が流れ出ていた。図体は大きいが色々なハンディをクロちゃんはおっていた。木村さんいわく、肉球からバイ菌が入って1ヶ月入院を余儀なくされた時にクロちゃんが猫エイズの保菌猫であることが判明した。猫エイズは人間には感染はしないが、猫同士、ひっかいたり、噛まれたりするとうつるらしい。

                                         

                                        11月になってフランスからアーティストの友人ベアトリスが東京で個展をするためにやって来ることになった。私達の発案での個展だったので責任がある。期間中は宝塚と東京を行ったり来たりの生活となる。クロのこともあるので、変わり番子に行くことにした。どうしても2人共東京に居る必要のあるときは近所に住んでいる猫好きの弟に世話を頼んだ。

                                         

                                        せっかく日本にきたのだからと、ベアトリスは一週間ほど画廊を抜けだし京都見物することにした。その帰りに我が家に2日間泊まった。彼女も動物好きでクロちゃんはつきまとっていた。ベアトリスはクロちゃんを「クホ」「クホ」と呼んだ。「KURO」の「RO」はフランス語ではロではなくホと発音するらしい。

                                         

                                        それがおかしくて時々私も「クホ」と呼んだりしていた。1ヶ月のクロのお留守番生活は終わった。後に気付いたのは、クロが以前にもまして、おりこうになり、無駄に鳴かなくなっていたことである。相棒がいうには、私の弟が特別な秘薬を留守中にクロに飲ませたんじゃないかといって笑った。

                                         

                                        12月になり、いよいよ寒さも本格的になった。我が家は六甲山の山裾にある。そのせいで下界よりも2〜3度気温が低い。毎晩クロちゃんはテント型をした寝ぐらの中に大判のホカロンを2枚敷き詰めて寝ていた。ごはんは我が家にやって来た当時は、何をやってもガツガツと食べていたが、落ち着いてからは食欲も普通になっていた。

                                         

                                        2013年1月に入り、毎日寒い日が続き、クロは日中暖房のある部屋で小さな行李の中に毛布を敷いて、その下に電気マットを入れてぬくぬくと過ごしていた。今、思い出してみると、時々クシャンとクシャミをしていた事があった。その時はクロ自身の毛が鼻にでも入ったぐらいにしか思っていなかった。

                                         

                                        朝3階建のケージから勢いよくドンドンと降りてきて、前足をつっぱり、お尻を高く上げて伸びをするのが日課だった。私たちが外出先から帰って来ると、必ず廊下と居間の間にある、ガラス戸に迎えに来たクロの影が動くのが見えた。クロは窓とカーテンの間に入るのが好きで何時もそこで、ひなたぼっこをしていた。まさか、クロが病気になるなんて考えもしていなかった。元気に暮らしていると思っていた。

                                         

                                        ところが1月の末、ちょっと食欲がなくなり、寝ている時間が多くなったような気がした。猫はよく寝るのでネコというというのを聞いたことがある。その週は相棒が東京で仕事があり、電話で「クロが何だか元気がなく、食欲もないみたい」と話したことを思い出す。

                                         

                                        相棒が東京から帰った次の日、早速クロを獣医さんのところに連れて行った。血液検査では、少し肝臓の数値が悪いぐらいで、特に悪い所はないとの診断だった。一安心。ところが食欲は戻らない、7キロもあった体も心なしか、痩せた感じがする。

                                         

                                        アメリカにいる、動物好きのシャーロン(彼女は捨て猫ばかりを6匹も飼っている)に「クロが食欲不振なんだけど、何かいい方法はない」とメールをしてみた。次の日「うちの子は人間用の食べ物をやると、すぐに元気になるわよ」と言ってきた。人間用のツナかん、マグロのお刺身など色々試してみたが、少し口をつけるが駄目だった。

                                         

                                        今まで、ピンクだった片方の耳や肉球、鼻の先は少しずつ色を失っていった。余りに元気がないので、獣医さんに相談して、一日おきに点滴で栄養を補給することになった。クロは自分が病気だと判っていたのか、大暴れをするどころか、一度も暴れることもなく、驚くほどおとなしく点滴をされていた。獣医さんに褒められたぐらいだ。今、思い起こしてみるとクロはその時、すでに衰弱していて、暴れたくても暴れられなかったのかもしれない。

                                         

                                        それでも、クロは毎朝のケージの3階からドンドンと降りてきては伸びをした。家の中を歩き回ってもいた。ただ食欲だけが回復しない。何回目かの点滴の時、先生が点滴で栄養が足りているので食べないのかもしれないということで、薄く紙のように切った1センチ四方のとり肉を無理やりピンセットで食べさせた。クロちゃんは、首を少しふったが、小さな破片を飲み込んだ。家でも試して下さいとのことだったので、やってみたが気持ち悪そうに何度口に押し込んでも、吐き出した。

                                         

                                        体重はどんどんと減ってゆき5キロになっていた。窓べで弱々しくたたずむクロちゃんは以前の精悍な面影はなかった。最後の一週間は、毎朝起きてクロが息をしているか心配で夜中に起きてケージの中のクロを何度も様子を見に行った。元気だった頃とちがいグッタリとしているクロ。もし喋ることができたら、何をいうのだろうか。夜中に行くと、ゆっくりと目を開けてこちらを見るクロ。「クロ早く元気になって、また一緒にあそぼ」と心の中で話しかける。今、思い出しても涙が出る。水曜日の朝、今まで歩いていたクロが寝たきりで起きて来ない。

                                         

                                        「クロ」と呼んでも反応が悪い。緊急事態だ。すぐに獣医さんのとことへ。しかし、病院では原因を調べるためと血液検査、お腹のエコーと山のような検査を次々とする。私達もクロちゃんの為だと思っていたが、良く考えてみると、あの状態で検査のためとはいえ、血を何度も採血されたら弱った体にもっと負担をかけ、良くなるものも良くならなかったのではないかと後悔している。

                                         

                                        あのまま、そっとしておいてやった方が良かったのではないか。どちらが良かったのかは今となっては判らない。結局、検査はしたものの本当の原因は何も判らなかった。午前中に病院に入り、気がついたら午後五時をまわっていた。外はもう真っ暗だった。クロをキャリーバッグに入れる時、先生が「今日が山場でしょう」とボソッと言った。クロの体はグニャリとして何時もより重く感じた。家に帰り、すぐに暖かくした行李の中に寝かせた。クロはハアハアと苦しそうな荒い息をしていた。

                                         

                                        「クロ、クロ」と呼んでも、もう答える気力はなかった。ときおり、こちらを見る目だけが「苦しいよ」と訴えていた様だった。どんどんと呼吸は荒くなり「ギャーギャー」と今までに鳴いたこともない叫び声をあげた。私はどうしてよいのか判らず「クロチャーン、クロチャーン」と泣きながらクロの名前を呼びながら、クロの体をさすることぐらいしか出来なかった。苦しそうなクロを見ながら「クロが死んだらどうしよう。でもこんなに苦しんでいるのなら早く楽にさせてあげた方がいいのか」頭の中は混乱した。

                                         

                                        相棒と私は行李の中で苦しむクロちゃんには何もしてあげられない、その無力さだけが残った。どれだけの時間が経ったのか、とうとう最後まで叫び声をあげて苦しみながら逝ってしまったクロ。「クロちゃん、ごめんね。最後の日あんなに色々検査をさせてしまって、あのままそっとしておいてあげていたら、こんなに苦しまなかったかもしれない」後悔だけが残った。クロはあっけなく逝ってしまった。もう呼んでも走っては来ない。

                                         

                                        クロちゃんが逝った日は2月13日くしくもヴァレンタインデーの一日前だった。クロの死をクロを知っているベアトリスに報告した。彼女はメールでこう書いて来た。「2月13日はフランスでは聖ベアトリスの日です。クロちゃんは、この日を選び、聖ベアトリスに見守られて天国に旅だったのですから、悲しまないで下さい」と。

                                         

                                        文:吉田千津子 写真:奥村森

                                         

                                        (重要)ここに掲載する記事、写真等は全て著作物です。

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                                        category:宝塚からの宅急便 | by:tanukuro2013comments(0) | -

                                        関東から関西へ

                                        2017.01.02 Monday 13:52
                                        0

                                          宝塚からの宅急便

                                           

                                           

                                           

                                          関東から関西へ

                                           

                                          Hankyu line Sakasegawa station 阪急電車 逆瀬川駅

                                          Hankyu line Sakasegawa station 阪急電車 逆瀬川駅

                                           

                                          2012年、兵庫県宝塚市に引っ越してきた。これまでの人生で海外生活を除けば、ほとんど東京での暮らしだった。良しにつけ悪しきにつけ、東京人としての習慣が体に染み込んでいるのは間違いない。そんな僕が、慣れない関西に住むのだから戸惑うのは当然である。

                                           

                                          関東と関西では文化が異なり、基本的な考え方やマナーなどで大きな違和感を感じることが多い。外国人なら、お国柄の違いと諦められもするが、同じ日本人となると、そうはいかない。

                                           

                                          初めのうちは理不尽と思っても、これから暮らす所だから事を荒立てないようにと我慢をしてきた。だが、堪忍袋の緒が切れる事もあった。転居して間もない頃、近くにある兵庫県の保養施設を見つけ、利用しようと車で出掛けた。この施設には温泉があり、湯ぶねからの眺めは絶景、しかも入浴料が500円と安価なのも魅力だ。温泉好きの僕は、施設の常連になろうと思った。

                                           

                                          3度目に訪れたのは日曜日だった。いつもはガラガラの駐車場だが、今日はいっぱいだ。受付カウンターに何処に停めたらよいが尋ねようと、邪魔にならない場所に車を停めた。その時である、送迎バスの運転手が近づいてきて「どかんかい、そこは停めたらあかんとこや」と怒鳴る。どこに停めたらよいのか丁重に聞いても「邪魔やから、帰らんかい」と追い払う仕草をする。

                                           

                                          さすがに腹が立った僕は「客に向かって、そんな言い方はないだろう」と語気を強めた。すると、「なんやて」と物凄い形相でにらみつける。僕は、怖くなって車を降りて受付に駆け込んだ。若いマネージャーが僕の話を聞いて冷静な対応をしてくれたので事なきを得たが、運転手は「こいつ客やないで」と大声でわめきたてる。

                                           

                                          どうして客と思われなかったのだろうか。いろいろ推測すると、僕のカーナンバーが東京であったのと東京弁を喋った事に起因していたようだ。その後、車のナンバーを神戸に変えると、そうした事件に遭遇する事はなくなった。

                                           

                                          大阪では、ライバル意識と地元愛から東京人に対して排他的な行動をとる人が多いと聞かされた事はあったが、宝塚でも同じなのかと唖然とした。

                                           

                                          文と写真:奥村森

                                           

                                          (重要)ここに掲載する記事、写真等は全て著作物です。

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                                          category:宝塚からの宅急便 | by:tanukuro2013comments(0) | -

                                          親の責任

                                          2016.12.23 Friday 15:40
                                          0

                                            南大沢日記

                                             

                                             

                                            親の責任

                                             

                                            Pasadena Kids festa パサディナ 子供フェアー

                                            Pasadena Kids festa パサディナ 子供フェアー

                                             

                                            最近の日本人はどうしてしまったのだろうか、と思うことが度々ある。あの礼儀正しい、思いやりのあった日本人は何処にいってしまったのか。日本社会の何かがガラガラと崩れ落ちて行くのを感じる。

                                            毎日、新聞やテレビで流される事件や事故のニュースを見ていると、人災と思われるものが多々ある。

                                             

                                            親の不注意で事件に巻き込まれる子供達。パチンコに熱中して子供を車の中に何時間も放置してしまう親、道路を横断するのに子供の手をつながない親、バスから降りる時、先に子供を降ろして左右をみずに危うく車にひかれそうになっている子供。

                                             

                                            公園の遊具で遊んでいた子供がケガをしたり、死亡事故が発生すると日本中の遊具が使用禁止になる。ビルの回転扉の事故が起きると全ての扉が危険とされ使用出来なくなる。何処に生活していても何時も危険と隣あわせだ。やはり注意を払って生活することが大切だと思う。特に小さな子供を持っているお母さん達には、もっと子供に注意を払って欲しい。

                                             

                                            ベビーカーを押しながら子供を見ずにケイタイに夢中になっている母親、買い物に夢中で子供をほったらかしにし、エスカレーターで遊ぶ子供に気付かない母親。事故が起こると、何時でも人のせいにし、注意書きが書いてなかった、柵がなかったと責任を転嫁する。

                                             

                                            電車での「飛び乗りは危険ですから止めてください、手を挟まれないようにご注意ください」とか電車に乗っている間中アナウンスされるのは嫌になる。しかし、人によってはこれを言わないと怒る人達もいるらしい。いいかげん日本人も大人になって人に頼らず、一人ひとりが責任を持って自分のことは自分で守る人間をめざしたらどうかと思う。

                                             

                                            長年アメリカに住んで思ったのは、子供は小さい時から厳しく躾られている。ファミリーレストランでさえも、走りまわる子供を見たことがない。もし、そんなことをしていたら即刻、親にたしなめられるかレストランのスタッフに注意される。親も子供がある年齢に達するまでは責任を持って育てる。

                                             

                                            こんな事件があった。アメリカに住み始めてまもない日本人夫婦がスーパーマーケットに子供と一緒に夜間出掛けた。子供が寝てしまったので、ほんの短時間、子供をそのままにし、買物を済ませて車に戻た。すると、警察官が来ていて逮捕されてしまった。

                                             

                                            カルフォルニア州では季節、時間を問わず1分たりとも子供をある年齢になるまでは1人にすると犯罪になるのだ。勿論1人でお留守番などもっての他。それで学生のベビーシッター制度がうまれた。登校についても小学生は必ず誰かが送り迎えするか、スクールバスの停留所まで送る。もし出来ない場合は、同じ学校に通うお母さん達と順番を決めて送り迎えしていた。

                                             

                                            今は昔の日本と違い、知らない人と喋るなと教えられる物騒な世の中になってきている、だからこそ親がもっと子供に注意を払う必要があるのだ。

                                             

                                            文:吉田千津子 写真:奥村森

                                             

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                                            category:南大沢日記 | by:tanukuro2013comments(0) | -

                                            やっぱり、ブラジルが好き

                                            2016.12.23 Friday 15:21
                                            0

                                              やっぱり、ブラジルが好き

                                               

                                              Borinho de  bacalhau たら入りのコロッケ

                                              Borinho de  bacalhau たら入りのコロッケ

                                               

                                              最近、たびたびブラジルが話題にのぼる。私がブラジルに住んでいた1960年代は、日本人にとってブラジルといえば、アマゾン、原住民、大蛇、コーヒー位しか知らなかった。今はサッカーをきっかけとしてブラジル料理、音楽(サンバ、ボサ・ノバ)が日本社会にも少しずつ浸透して来たことは、とても嬉しい。

                                               

                                              私にとってブラジルは、第二の故郷だ。私の住んでいた町はブラジルの一番南にある、Rio Grande do Sul(リオ・グランデ・ド・スル)州の州都 Porto Alegre(ポルト・アレグレ)であった。ブラジルといえども、この州では冬には雪が降ったりもする。

                                               

                                              イタリアやドイツからの移民が多く、イタリア移民は、とても美味しいワインを沢山生産しているし、ドイツ移民は靴やバッグを作って輸出している。ご存じのようにブラジルは南半球にあるので、季節は日本と正反対になる。8月が真冬で2月が真夏だ。

                                               

                                              カーニバルが開催されるのは真夏の2月。クリスマスはサンタが汗をダラダラ流しながらやって来る。ソリの代わりにサーフィンに乗ってくるのである。ブラジルは人種のルツボと言われ、世界中の人種が混血して成り立っている。基本的にはコスモポリタン人である。日本と違い多民族移民国家なので様々な文化や言語が混じり合い興味深い。

                                               

                                              イタリア、スペイン、ポルトガル、ドイツ、中国、韓国、レバノン、ハンガリー、勿論日本も含む世界中からの移民の集まり。ブラジル人は、とても気さくで、人なつっこいので、すぐに Amigo(アミーゴ)といって仲良くなるので余り自分が外国人であることを感じないですむ。

                                               

                                               

                                              文:吉田千津子 写真:奥村森

                                               

                                              (重要)ここに掲載する記事、写真等は全て著作物です。

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                                              category:南大沢日記 | by:tanukuro2013comments(0) | -

                                              阪神淡路大震災体験記

                                              2016.12.23 Friday 14:59
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                                                南大沢日記

                                                 

                                                 

                                                阪神淡路大震災体験記

                                                 

                                                Hanshin Awaji Earthquake disaster 阪神淡路大震災の現場

                                                Hanshin Awaji Earthquake disaster 阪神淡路大震災の現場

                                                 

                                                1995年1月17日午前5時46分、突然ベッドがグルグル回転する感覚、そして振り落されそうな揺れで目を覚ました。一体何が起きたのか判らず、ただベッドにしがみつくだけで精一杯だった。揺れは、もの凄く長いように感じられた。やっと止まった時、初めて地震だと気づいた。

                                                 

                                                次の瞬間、私のベッドの下で寝ていた犬のドンを思い出した。真っ暗な中、大声で叫んだ「ドーン」。揺れと物の落下の凄まじい音、その後の異常な静けさが不気味な感じだった。暗闇の中でベッドに飛び乗ってきたドンを抱きかかえた。ドンはブルブルと震えていた。次に頭に浮かんだのが二階で寝ている弟のことだった。

                                                 

                                                崩れ落ちた物で足の踏み場もなく、思うように部屋から出られない。気ばかりが焦り頭が真っ白になるが、僅か3メートルほどの階段下まで随分時間がかかった。階下から大声で弟の名を呼んだ。しかし、返事がまったくない。10回ほど叫んだ時、やっと弟の声がした「大丈夫、生きている」。

                                                 

                                                脱出してきた弟は仕事に疲れ、こたつに足を入れて寝ていたら2メートル先に置いてあった大型テレビが飛んできて、足を挟まれたので脱出に時間がかかったのだと言う。大きな揺れの後にも次々と余震が続いた。弟は、出口確保のために玄関の戸を開け放した。外は真っ暗で冷たい風が家の中に流れてきた。

                                                 

                                                玄関にあった厚底のブーツを見つけて直ぐに履いた。そして、ガスの元栓を締めようと台所に向った。台所は割れた食器などが山積、夜明けの光がガラクタをうっすらと照らしていた。元栓を締めようとしたその時、再びグラッと余震が襲った。すると、つけてもいないガスが突然パッと点火した。多分、点火用の種火が衝撃で作動したに違いない。

                                                 

                                                台所は瓦礫の山で靴を履かないと足を怪我してしまう。床から膝のあたりまで壊れた食器でいっぱい。居間は天井板が剥がれて垂れ下がり、父のビデオコレクションや本が床いっぱいに埋め尽くす。私の寝ていた寝室は、箪笥の上に置いていた洋酒のびんが割れてウイスキーの海、部屋中ウイスキーの香りが充満していた。

                                                 

                                                実家と同じ敷地内に住んでいるもう1人の弟夫婦の家は、幸運なことに余り被害もなかったが、電気、水、ガスは勿論止まっているので、一応避難場所となっている宝梅中学校に行くことにした。私と2人の弟、義理の妹、それに犬のドンの計4人と1匹で中学校の講堂に行くと、そこには既に家族やペットを連れて避難してきた人々でいっぱいだった。

                                                 

                                                講堂に入ったがスペースは皆がやっと座れる程度の場所しかなく、横になることなど到底出来なかった。板の間は寒いので弟が家から布団や毛布を車につんで講堂に持ち込み寒さをしのいだ。校庭には、車の中で避難している人も沢山いた。暫らくすると炊き出しが始まり、おにぎりが1人に1個ずつ配られた。慌てて作ったのだろうか、米に芯があってまずかったが、文句を言うものは誰もいなかった。

                                                 

                                                余震は続きグラッとするだけで、その度にワッーとかキャーとか悲鳴をあげた。でも、家にいて家具などが倒れてくることを考えれば、この冷たい板の間のほうがよっぽど有難かった。一番困ったのは、やはりトイレの問題だった。学校のトイレの数は限られており、水洗便所はすぐ使用不能になってしまったが、知恵の働くひとがプールの水をみつけて、それを利用してバケツで水をトイレに運んでいた。

                                                 

                                                電話で一番通じたのは公衆電話で、そこには長い列が何時も出来ていた。1995年当時は、今のように携帯電話が普及していなかったので携帯も通じたらしい。今は、ほとんどの人が携帯を使用しているので緊急事態が発生した場合、一斉に皆が通話するとパンクして不通になるのではないかと思う。最近、公衆電話がどんどんと取り除かれているが、緊急時の際にはきっと困るのではないかと危惧する。

                                                 

                                                夜も明け揺れも少しずつ収まり始めたので、被害の少なかった弟夫婦の家に私と下の弟とドンが身を寄せることになった。電気は震災後4〜5時間で復旧したのには驚いた。寒かったのでコタツに入りテレビをつけた。画面にはあちらこちらからモウモウと煙を上げて燃えている神戸が映し出されていた。初めは映画のシーンではないかと目を疑ったが、それが現実だとわかると唖然とした。

                                                 

                                                燃えさかる長田区周辺、丸ごと倒れた三宮のビル、倒壊した高速道路、そこにぶら下がるバス、全てが破壊されていた。幸いにも私達家族は、誰一人けがもしなかった事は幸いだった。その上、運良く両親は震災の起こる2日前から山形の親戚のところに遊びに行っていたので、水、ガスが復旧するまでの約2ヶ月間、親戚宅に厄介になっていた。水のないときは、1人でも家族が少ない方が楽だ。

                                                 

                                                トイレは我が家の場合、幸い家に庭があったので皆で話し合い、小便は庭で、大便はたまたま母が風呂のお湯を抜かずにおいてあったので、バケツで1回ずつ運んで使用した。この水は水道が復旧するまでトイレに使用できた。食事は母が買い置きしていたカンズメなどを食べ、煮炊きはカセットコンロを使った。水は貴重なので、皿や器はティッシューペパーやキッチンタオルで拭いた。

                                                 

                                                水は、近くの中学校に給水車が決まった時間にやって来るので、ポリタンクやパケツに入れて家まで運んだ。重いので家が遠い人やお年よりには、とても苦痛だったと思う。それ以来我が家は、ペットボトルを常時備えることにした。緊急持ち出用バッグの中には懐中電灯、ローソク、マッチ、カンパン、携帯ラジオ(これは大変役に立ちます)、小銭(公衆電話用)、缶きり、下着、三角巾、アルミフォイル(これはお皿のかわりに使える)、ラップ、携帯ナイフなどを入れている。

                                                 

                                                震災後、トラウマとなって2、3年は何時でも逃げられるように洋服を着て寝ていた。阪神淡路大震災で亡くなった方は6千人以上、毎年1月17日には神戸で慰霊祭が行われている。災害は忘れた頃にやって来る。亡くなった方々の命を無駄にしないためにも私達は何時起こるかわからない地震に備える必要がある。

                                                 

                                                文:吉田千津子 写真:奥村森

                                                 

                                                (重要)ここに掲載する記事、写真等は全て著作物です。

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                                                category:南大沢日記 | by:tanukuro2013comments(0) | -

                                                Thanksgiving Day

                                                2016.12.23 Friday 14:00
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                                                  南大沢日記

                                                   

                                                   

                                                  Thanksgiving Day

                                                   

                                                  Thanksgiving Day food 感謝祭の準備

                                                  Thanksgiving Day food 感謝祭の準備

                                                   

                                                  11月になると思い出すことがある、Thanksgiving Day(感謝祭)である。感謝祭はアメリカ人にとっては大切なイベントの一つであり、それは毎年11月の第4木曜日に行われる。この日のために、彼らは1〜2週間前から七面鳥、パンプキンパイ、クランベリー・ソース、ヤム(さつまいもに似たいも)などの準備にとり掛かる。

                                                   

                                                  七面鳥はスーパーマーケットによっては50ドル、100ドル以上の食料品を買った人に「お買い上げの方には無料の七面鳥を差し上げます」との広告をするので、主婦たちは値段を見比べながらスーパーを選ぶ。

                                                   

                                                  たいていの七面鳥は冷凍されているので2〜3日前から解凍する必要がある。解凍が終わったらオーブンで焼き上げるが、なにしろ10キロ以上もある七面鳥を夕方のディナーに間に合わせるには朝から焼きはじめなければならないので大変だ。

                                                   

                                                  私も一度七面鳥を焼こうとしたが、うっかりして解凍が遅れ、その日に間に合わなかったことがあった。それ以来、我が家では七面鳥のかわりに何時も簡単なハムを焼くことにしていた。七面鳥を焼く係りは、何故か男の役目となっている。今は亡き隣家のパピーも毎年感謝祭の日には、朝から腕をふるっていた。勿論、夕方には私はちゃっかりとパピーの家族の一員として、彼の焼いた美味しい七面鳥のご相伴にあずかっていた。

                                                   

                                                  クランベリー・ソースは、1センチくらいの赤い実で感謝祭やクリスマスには欠かせない果実である。この実を砂糖で煮て七面鳥と一緒に食べると、甘酸っぱい味と七面鳥との相性は抜群である。私達は、粒のあるクランベリー・ソースを Real(本物)クランベリー・ソース、ゼリー状のものを Artificial(人工)クランベリー・ソースと勝手に呼んでいた。

                                                   

                                                  ヤムは、マシュマロをのせてオーブンで焼く。パンプキンパイは沢山のホイップクリームを乗せて、この日ばかりは皆ダイエット返上で家族や親戚が集まってワイワイガヤガヤと食事をするのである。勿論食事の前には感謝の祈りを忘れない。

                                                   

                                                  もうひとつ Thanksgiving Day で思い出すものは、アメリカン・フットボールである。この日は一日中フットボール試合が放映され、ビールを片手にポップコーンを食べながら男達はテレビの前に釘づけになる。フットボール・ウィドー(フットボール未亡人)という言葉が生まれたぐらいだ。

                                                   

                                                  このシーズンが始まるとテレビにへばりつく旦那に嫌気がさして、離婚する夫婦が増えると聞いたことがある。感謝祭が終わるとクリスマス商戦が始まり、あちらこちらで飾りつけされる。いつも楽に駐車できたパーキング場も、獲物を狙らう鮫のようにぐるぐると回り、駐車場所を探す車でいっぱいになる。こんな思い出も今となっては懐かしい。

                                                   

                                                  文:吉田千津子 写真:奥村森

                                                   

                                                  (重要)ここに掲載する記事、写真等は全て著作物です。

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                                                  category:南大沢日記 | by:tanukuro2013comments(0) | -

                                                  友人ケイチャンのモッタイナイ精神

                                                  2016.12.23 Friday 11:06
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                                                    南大沢日記

                                                     

                                                     

                                                    友人ケイチャンのモッタイナイ精神

                                                     

                                                    Garage sale ガレージセール

                                                    Garage sale ガレージセール

                                                     

                                                    私は子供の頃、父の転勤で2〜3年ごとに引越しをした。小学校3回、中学校3回、高校2回と日本中を転々としていた。父の転勤場所は兵庫、大阪、香川、愛媛、愛知、岡山県とさまざまで、再度住んだ場所もある。中学校時代には10カ月で転校する事になり、ちょっと嫌になった。

                                                     

                                                    引越しは悪いことばかりではない、そのお陰で引っ込み思案だった性格も高校生になった時には別人のように外交的になっていた。友達をつくるのも早かったが、忘れるのも早かった。そんなわけで日本にいる友人は極端に少ない。

                                                     

                                                    友人のケイチャンとは、めずらしく数十年の付き合いである。といっても海外生活が多かったこともあり、年に何度かの手紙と年賀状、クリスマスカードのやりとりぐらいだった。最近2人とも60代に近づいたせいか、メールや電話をする機会が増えた。

                                                     

                                                    ケイチャンは男の子3人、女の子3人の大家族である。子供のいない私には、6人の子供を育てることを考えるだけでも気の遠くなるような話である。ケイチャンの子育ては苦労が多かったと思う。少子化が進む日本にあっては表彰されてもよい。

                                                     

                                                    先日、一枚の見慣れない女の子の写真がメールで送られてきた。ケイチャンの孫の写真で、どこか見覚えのあるロングドレスを着ている。ケイチャンいわく、このドレスは私が30年前に一番上の娘にプレゼントしたものだという。

                                                     

                                                    30年に渡り5人(娘3人に孫2人)に大切に着てもらっているのを聞いてびっくりした。こんなに1枚の服を大事にしてもらえていることに嬉しく思い感謝した。このケイチャンのモッタイナイ精神、物を大事にする考えは見上げたものだ。メディアでは、マータイさんの「モッタイナイ」運動が世界に広がっている。

                                                     

                                                    私の母の時代は、物も少なくモッタイナイ精神が普通だったが、今の日本は物があふれ、使えるものでもすぐに捨ててしまう風潮がある。以前、世田谷に住んでいた頃、3〜4月の引っ越しシーズンになると、まだ使える電化製品がゴミ集積所に山のように捨てられていた。この浪費社会に待ったをかけるモッタイナイ精神を、私達日本人が推進すればゴミの少ない世界が実現するに違いない。

                                                     

                                                    文:吉田千津子 写真:奥村森

                                                     

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                                                    アメリカの経済対策

                                                    2016.12.23 Friday 10:44
                                                    0

                                                      南大沢日記

                                                       

                                                       

                                                      アメリカの経済対策

                                                       

                                                      American House アメリカの家

                                                      American House アメリカの家

                                                       

                                                      2010年9月29日から一週間、ロスアンゼルスに行ってきた。毎年2回のアメリカ旅行は恒例となっている。着いた週の月曜日は華氏113度(摂氏44度)を記録したという。カルフォルニアは日本と違い乾燥しているので湿気の多い日本の44度とは違うが、それでも市街では初めてのことだという。日本も2010年の夏は猛暑だったので、世界中異常気象になっていることは間違いない。

                                                       

                                                      アメリカも日本と変わらず、不景気風が吹いている。6ヶ月前には大型家電店だった店が、今回行ってみるとスーパーマーケットになっていた。ところが週末のファミリーレストランのブランチは大変なにぎわいで、何処が不景気なのかと目を疑ってしまう。日本もファーストフード店は不況しらずと聞く。

                                                       

                                                      夕方、ニュースをみているとコンベンション・センターに朝から珍しく大勢の人がつめかけて、長蛇の列をつくっている。彼等は家のローンが払えなかったり、2〜3ヶ月延滞していて、このままだと家を失ってしまう人達だ。プライムローンやリーマンショック、様々な問題が起こるなかでレイオフされたり、職を失うアメリカ人が増えている。

                                                       

                                                      この人達を救済するために9月30日から数日間、国が銀行と交渉し救済対策を講じたのだ。例えば、10年前に家を購入した人の金利は5%だったが、今は2.5%から1.5%になっている。それに家の価値も以前よりも下がっているので銀行と話し合い、現在の家の価値に見合った支払いと金利の見直しをすることによって、毎月のローン額を下げ、家を失う人々を救おうという作戦だ。

                                                       

                                                      家がフォルクロージャー(差し押さえ)になってしまうと、ますます不景気におちいるからだ。インタビューされた主婦は「これで、毎月1千ドルもローンが減って、家を失う心配がなくなりホットしています」と答えていた。

                                                       

                                                      日本の新聞には、今日も競売物件の知らせが載っている。日本政府も、こんな粋な計らいをする国家になったら競売にかかる家も減り、ローンの支払いに困っている人々を少しでも助けることが出来るのではないかと思った。

                                                       

                                                      文:吉田千津子 写真:奥村森

                                                       

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                                                      かけがえのない友人の死

                                                      2016.12.23 Friday 10:16
                                                      0

                                                        南大沢日記

                                                         

                                                         

                                                        かけがえのない友人の死

                                                         

                                                        Pappy

                                                        Pappy

                                                         

                                                        2009年6月、私はかけがえのない友人を失った、100歳だった。彼の名は、Percy Becker。みんなは、彼をPappy(パピィー)と呼んでいた。彼と知りあったのは、30年以上も昔、ロサンゼルスと日本を仕事で忙しく飛び回っていた頃だ。

                                                         

                                                        ある朝、「ハァーイ」と声をかけてくれたのがベッケル夫妻だった。2人ともネブラスカ出身、とても気さくで話し好きだった。すでに退職して年金暮らしだったが2人の生活はとても楽しそうで、私も老後は彼らのような人生をすごしたいと何時も思っていた。

                                                         

                                                        1年のうちの3〜4ヶ月はキャンピングカーに乗ってアメリカ全土を旅行。行く先々で沢山の友人を作っていた。ロスアンゼルスの自宅にいる時も、朝からスケジュールがいっぱい。決してボーッと座ってテレビなどを観ない。

                                                         

                                                        朝の運動は2人で近所を一周して、前庭に投げ込まれる新聞を各家の玄関のドア前におく。アメリカの新聞配達は車の窓から玄関めがけて投げるからだ。日本のように丁寧にポストに入れてはくれない。アメリカの新聞は日本のものよりぶ厚く、新聞受けに入らないからだ。

                                                         

                                                        パピィーが退職したのを期に妻のビューラも主婦業を退職、朝、昼の食事は各自が作り、夕食はビューラが作るのだ。パピィーの朝食は何時もオートミールと果物。昼食は前夜に残ったミートボールサンドなどを食べていた。妻のビューラはガールスカウトの連中と昼食だ。

                                                         

                                                        生活は質素そのもの、そして毎週木曜日が買出しの日。木曜日は、新聞のフード欄に添付されるクーポン券が利用できるからだ。彼はそれを丁寧に切り抜きスーパーマーケットへ持って行くと、何セントか割引される。ダブルクーポンの日に重なると、それが2倍となるからたまらない。その日を待っているアメリカ人は相当多い。パピィーもその中のひとりで「ごらん、今日は5ドルも倹約したぞ」とレシートを自慢げに私に見せるのであった。

                                                         

                                                        お気に入りのワーゲンも全て自分の手で整備をするし、2〜3年に1度は家の内外の壁をペンキで塗りかえる。屋根の修理、台所、浴室のリフォームもお手の物だった。私には彼がスーパーマンに見えた。アメリカでは人件費が高いので、なるべく人に頼まず自分でする人が多い。

                                                         

                                                        我が家の雨漏りがひどくなり、パピィーと一緒に屋根に登りコールタールと格闘しながら修理したことを思い出す。彼の自慢は、子供のころから病気ひとつしたことがないことだ。処方箋の薬も飲んだことがないし、入院もしたことがない。

                                                         

                                                        何時も考えがポジティブで、私が必要なときには必ず助けてくれた。その頃、私はアメリカ人の夫との離婚問題もあり、最高の相談相手だった。自分の父より身近で、いろいろな話をした。その後アメリカに行った時には、必ずパピーの家を訪ねた。

                                                         

                                                        娘のバーバラによると亡くなる3日前まで元気で散歩し、最後の2日だけ病院に入ったと聞いた。彼の最初で最後の入院だった。

                                                         

                                                        文:吉田千津子 写真:奥村森

                                                         

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                                                        悲しいモラルの低下

                                                        2016.12.22 Thursday 17:39
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                                                          南大沢日記

                                                           

                                                           

                                                          悲しいモラルの低下

                                                           

                                                          010

                                                           

                                                          長年使用していた携帯電話のバッテリーが弱り、充電できなくなったので買い換えることにした。店を訪ねると店員が「無料で音楽が聞けるOOサービスをオプションで付けましょう」と言う。私は「そんな機能は必要ない」と断った。電話やテレビで音楽を聴くのは邪道だと思っているからだ。

                                                           

                                                          「電話は単なる通信機器だからいらない」と私が何度言っても、彼はしつこく引き下がらない。そして「3ヶ月間は無料ですから、必要がなければ3ヶ月後においで下されば契約解除できます」とスッポンのように食いついて放さない。

                                                           

                                                          とうとう根負けして、その勧めに乗ってしまった。冷静に考えると、あの時もっと強行に断れば良かったと思うが後のまつり。3ヶ月経って店を訪ねると「2ヶ月間は無料とは言ったが、3ヶ月間とは言っていない」と嘘ぶく。請求書には、すでに料金が自動引き落としされている。

                                                           

                                                          「これでは詐欺ではないか、たとえ小額だとしても嘘をついて客を騙すのはよくない」語気を強める。店員は「誤解を与えるような説明をして申し訳ない」とまるで私が理解力の足りない人間だといわんばかりである。

                                                           

                                                          その嘘が証明されたのは、「私は忘れっぽいから、3ヶ月後に解約と書いておいて」と購入時に、彼から一筆書いてもらった領収書が残っていたからだ。それでも私の聞き間違いだと譲らない。その態度がますます癇にさわった。「はっきりした証拠があるのに非を認めない、こうなったら出る所にでましょう」。さすがの彼も「売り上げを伸ばすために嘘をついてしまった」と詫びた。

                                                           

                                                          最近よく感じるのだが、自分の失敗を人のせいにする人が多い。「こんな事件を起こしたのは親のせいだ、こんな結果になったのはあの人のせいだ」と何でも他人の責任にして謝らない。そういう不届きものが、どんどんと増殖しているのが悲しい。

                                                           

                                                          文:吉田千津子 写真:奥村森

                                                           

                                                          (重要)ここに掲載する記事、写真等は全て著作物です。

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                                                          category:南大沢日記 | by:tanukuro2013comments(0) | -

                                                          言語

                                                          2016.12.22 Thursday 17:12
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                                                            南大沢日記

                                                             

                                                             

                                                            言語

                                                             

                                                            Bamboo 竹林

                                                            Bamboo 竹林

                                                             

                                                            楽天やユニクロが社内公用語を英語にすると発表して話題になっている。日本人は、どちらかというと外国語アレルギーだと思う。それはヨーロッパのように隣接した国がなく、島国で隔離されているからかも知れない。

                                                             

                                                            私は人生の半分を海外で暮してきたおかげで、英語とポルトガル語を話すことが出来る。しかし、今回ニュースになった楽天やユニクロでの社内英語公用語については、ちょっと違うような気がする。この2社の内のどちらかは忘れたが、2年以内に英語をマスターしないと首になるという話も聞いた。果たして英語ができると、その人は世界に通用するグローバルな人間なのだろうか?

                                                             

                                                            グローバルな人間とは、異文化の違いを互いに理解し合って共生できる人のことであり、言語を話せるだけの意味ではない。ただ言語を話せるだけでは片手落ちのような気がする。まずは、日本人として日本語、文化、歴史を勉強して、ちゃんと日本人として確立された人格形成ができてから、他の言語を学ぶほうが良いと思う。国籍の分からない根無し草の人間を作ってもどうしようもない。

                                                             

                                                            海外に住んで、つくづく思うのは、いかに自分が日本のことを知らないかということである。日本好きのアメリカ人から色々質問され、あたふたとして困ったことがあり、自分の不勉強を恥じたものだ。言語というものは、単に伝達の道具であり、その背後にある生活、文化、考え方などを理解することによって、やっとその言葉が完成するのだと思う。

                                                             

                                                            テレビで英語の出来る幼児が得意そうに、脳のシステムを英語で外国人の先生と質疑応答していたが、あれはただの言葉遊びで脳のシステムを理解して話しているわけではない。勿論小さい子供の脳はやわらかく、吸収力や好奇心が旺盛なのは理解できる。だが、憶えるのも早いが忘れるのも早いのである。

                                                             

                                                            最近、若い人達の国語力や常識のレベルが低下しているように感じる。私の姪が、小学一年生になった時、その教科書のうすっぺらい事、私の子供時代と比べると比較にならない。日本語の教育をないがしろにして、外国語を学んでも二兎を追うものは一兎も得ずになるのではと危惧する。

                                                             

                                                            文:吉田千津子 写真:奥村森

                                                             

                                                            (重要)ここに掲載する記事、写真等は全て著作物です。

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                                                            category:南大沢日記 | by:tanukuro2013comments(0) | -

                                                            公衆電話

                                                            2016.12.21 Wednesday 11:16
                                                            0

                                                              南大沢日記

                                                               

                                                               

                                                              公衆電話

                                                               

                                                              Stanton Av

                                                              Stanton Av. Glendale スタントン通り グレンデール

                                                               

                                                              1989年、長年住みなれたロスアンゼルスから帰国したとき、電話が必要となり(その頃、携帯電話はまだ普及していなかったので家庭用電話だった)、近所の家電量販店に買いにいった。私はシンプルな電話機が欲しかったのだが、そのようなものは1台もなかった。

                                                               

                                                              すべての電話機には、ボタンがやたらと付いて煩雑きわまりない。店員に「話をするだけのシンプルなものはないの?」と尋ねても、「何を言ってるんだ、日本の電話機はこうなんだ」と馬鹿にされた。腹が立ったので彼に「それじゃ、この機能を全部使いこなせる人はいるの?」と聞いてみた。すると、「イヤ、それはいないでしょう」との返事。

                                                               

                                                              必要ない人には余計な機能をつけず、シンプルなものを作ったらどうなのだろう。その時は仕方なしにボタンの少ない安価なものを買ったが、それでも2万6千円もした。値段もアメリカに比べたらベラボウに高い。

                                                               

                                                              日本人は金持ちだなと思った。その頃、アメリカの電話機は20ドル位から購入でき、日本円にして5000円も出せば良いものを買うことが出来た。勿論日本の電話機のように多機能ではないが、シンプルでとても使いやすいものであった。

                                                               

                                                              以降、毎年ロスアンゼルスを訪れているが、改めて電話代の安さにビックリする。私が住んでいた頃には、日本はアメリカの4倍の電話料金であったことを思いだす。今回5ドルのテレホンカードをチャイニーズ・マーケットで購入したら、これでアメリカから日本に2時間50分もかけられるのである。

                                                               

                                                              このテレホンカードは地域別になっていて、アジア、ヨーロッパ、アメリカ国内、アフリカなど様々な種類がある。自分がかける地域カードを買えばよい。日本も以前から比べると安くなったが、まだまだ高いのが実情だ。毎日の生活費は安いにかぎる。

                                                               

                                                              話は変わるが、ある事件をきっかけに100歳以上のお年寄りが多数行方不明になっていたのが判明した。朝日新聞(2010年8月13日付)によると279名もの不明者が見つかったという。長寿国と称された日本は、このような現実みのない統計の上に成立っていたことが暴露された。真実を知れば、世界一の長寿国と浮かれている場合ではない。今こそ、基本を大切にした社会づくりが必要なのではないか。

                                                               

                                                              文:吉田千津子 写真:奥村森

                                                               

                                                              (重要)ここに掲載する記事、写真等は全て著作物です。

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                                                              category:南大沢日記 | by:tanukuro2013comments(0) | -

                                                              Calender
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