宝塚からの宅急便 No.18 文:吉田千津子 写真:奥村森

2016.12.25 Sunday 11:27
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    Arc de triomphe de l'Étoile 凱旋門

     

    フランス旅行顛末記 東京からパリへ

     

    2011年5月12日、朝4時起床、5時20分に自宅マンションに前日から頼んであったタクシーが待っていた。女の運転手さん、10分程で南大沢駅のロータリーに到着。予約料金、送迎料で合計1670円を支払う。時間外なので少々高いが、荷物が多いのでお金にはかえられない。朝のフライトは眠い。

     

    南大沢駅からのリムジンは5時50分発、多摩センター、聖蹟桜ヶ丘に止まり客を乗せる、バスは半分程の乗客で埋まった。8時20分頃予定通り成田空港に到着。エールフランスは第一ターミナルの北ウィング、コンピュータでチェックイン済みで荷物を持ち込むだけなので、とても簡単だった。実をいうと、私達は初めてコンピュータでチェックインを試みたのである。二人でこわごわ喧嘩をしながら作業した経緯がある。

     

    一番に並んで荷物をチェックインしてもらう。ヨーロッパ線は1人荷物1個、23キロの制限がある。ボーディングパスをもらう際、係員の女の人が「何時も乗って頂いているので Premier Economy にアップグレードしてあります」と言う。

     

    エールフランスは、1993年と1998年に2度乗ったきりなので、何でそう言われたのか判らなかったが、アップグレードという言葉はとても響きがよく気分がいい。旅のさい先は良い。昨日は、フランスの友人、クロードから電話でパリに来るなら自宅に泊まってもよいとのオファーがあった。共通の友人から彼女は、その時期パリに居ないと聞かされていたので、最終日まで連絡をしなかったのが悪かった。

     

    彼女は、パリ、ラングドッグ、シンガポールと3か所に家があり、動き回っているので何処に居るのか判らない。パリのホテルは今年、日本市場に参入した旅行会社エクスペディアで前払い予約済み、おまけにキャンセルはもう出来ない。

     

    天候は上々、エールフランス275便は時間通り飛び立った。飛行時間は約12時間、映画 Morning Glory と Sex Frend を観る。飛行機は真新しく、座席は2席4席2席になっている。Premier Economy は座席も広く快適、後方のエコノミークラスは満席だ。Premier Economy は空席もいくらかあり、2人座席が空いているところもあった。

     

    食事は昼食、豚肉のブレゼ・パプリカソース、人参、マカロニ、インゲン、チーズ、パン、チョコレートケーキ、ポテト・サラダとスパイシーチキン。豚肉はちょっとパサパサ。一番美味しかったのはポテト・サラダだった。赤ワインのミニサイズを相棒と一緒に1本飲む。梨のリキュールも始めて味わった。

     

    フライトは余り揺れもなくスムーズ。パリ・シャルル・ド・ゴール空港に日本を出発したのと同日の12日午後5時頃に到着。ちょっと寒い。空港からリムジン・バスに乗りモンパルナス駅まで行き、そこからタクシーで予約したアパートメントホテルへ。

     

    そのホテルは高速道路のすぐそばにあった。なるほどホテル代が安いはず、でも夜寝るだけだから、まあいいかと思うことにした。アパートメントホテルなので家族にはよいかもしれない。台所もあって食器や料理器具全て揃っているので休暇に自炊する人には便利だ。

     

    フランスで一番気になるのは水事情、特にお風呂だ。日本人みたいにお風呂に入る習慣のないフランスは、何処にいっても不満が残る。このホテルも例外ではなかった。シャワーをすると仕切りのガラスが半分しかないので水が床にどんどんこぼれる。ガラスを固定するパッキングが外れていて、その隙間から水が流れほうだい。

     

    また、バスタブが高く取手もないのでバスタブから出る時、床にこぼれた水でツルツル滑る。転んで、もう少しで頭を打ちそうになった。子供や老人には、とても危険である。部屋からクロードに電話をかける。彼女の声は聴こえるが、私たちの声が向こうに届かないらしく「アロー、アロー」と言うクロードの声が聴こえるだけ。

     

    受付に行って説明をするが、夜勤の受付嬢は英語が全く分からない。フランス語でまくしたてるのを相棒がある程度理解できるので、それによると明日修理してくれることになった。仕方がないので公衆電話でクロードに連絡をとる。明日、彼女宅で夕食を一緒にすることになった。楽しみ。だが、このアパートメントホテルでの4日間滞在中に電話は修理されることは無かった。

    宝塚からの宅急便 No.19 文:吉田千津子 写真:奥村森

    2016.12.25 Sunday 11:56
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      Musée de l'Orangerie オランジェリー美術館

       

      フランス旅行顛末記 シャンゼリゼからオランジュリー美術館へ

       

      2011年5月13日、パリ初日はオランジュリー美術館に行くことに決定。シャンゼリゼ通りでメトロを降り、コンコルド方面に少し散策することにする、丁度昼時になりお腹がすいてきた。途中シャンゼリゼ通りと Marbeuf 通りの角にある L'Alsace という名前通りのアルザス料理レストランが目にとまる。アルザス料理といえばシュクルートが頭に浮かぶ、勿論二人はシュクルートを選んだ。

       

      シャンゼリゼ通りに面するレストランのお値段はちょっと高めだ。ランチ・メニューは19と26ユーロがあった。少々ランチにしては高いとは思ったが、今日はパリ初日ということもあり、奮発して26ユーロの料理を食べることにした。

       

      食事を待っている間まわりを見回すと、外にあるテーブルにも沢山の客がいる。中国人らしい10人ほどの東洋人グループのところに、ウェイターが大きな牡蠣のプレートやロブスターの皿を次々と運んできた。前回パリに来た時には、こんな光景はなかった。やはりチャイニーズ・マネーは世界を制覇しているようだ。

       

      やっと注文した料理が運ばれてきた。私の前菜は鴨のテリーヌ、デザートはクレームブルレ、それに紅茶である。相棒はチーズの前菜とガトーショコラとカフェ・エスプレソ。勿論メインデッシュはシュクルートである。

       

      このシュクルートの量が尋常ではなく多い。一皿で2人分はある。フランスでの料理の量はどちらかというと少な目なのに、この量には驚いた。アメリカのそれはサラダでもなんでも馬の食事かと思われるほど某大な量が出てくる。それでもモッタイナイ主義の私達は一生懸命完食に務めた。味は最高だった。

       

      食事後、両替をしてから美術館に向かった。道すがら何やら人だかりがしている。見ると若い女の子が多い。通り右側にある建物に注目しているようだ。野次馬根性まるだしの私達も、今から何が起こるのか見物することにした。

       

      数分して女の子達がザワザワ、キャーキャーと奇声をあげはじめた。建物の入口に目をやると、上半身裸で下は黒のパンツの長身で引き締まった身体を見てくれと言わんばかりの若い男達20人ほどが、記念写真よろしく綺麗に並んでいる。

       

      それもみんなハンサムで雑誌から飛び出たような感じ。建物の門扉の文字を読んでみるとアバクロンビー&フィッチとある。どうりで皆イケメン揃いなはず、彼等は今をときめくモデル達だった。女の子はもう興奮してワーワー言いながら、そのモデル達と一緒に写真をとろうと争って列を作っている。私の相棒はカメラマンなので、その光景にすぐさま反応してシャッターを切った。

       

      アバクロンビーの建物は5〜6階建でその屋上にも、やはりイケメンの若者が鈴なりになって僕達も見てよとアピールしている。相棒がカメラを向けると手を振って喜びを伝えた。充分すぎるほど目の保養をさせてもらった。

       

      シャンゼリゼ通りをどんどん歩いて行くと、グラン・パレとプティ・パレが右手に見えてくる。そのへんの道から靴が砂埃で白くなってしまう。完全に舗装されている東京とは違いパリでは歩くと靴が埃だらけになることが多い。これも雨をしみ込ませる対策になっているのかもしれない。

       

      やっとオランジュリー美術館に到着。思ったよりも小じんまりしている。入口で荷物をすべて預けて、切符を買って絵を鑑賞する。入場人数を制限しているので、ゆっくりと鑑賞できるのがとても良かった。日本の美術館などは、余りに人が多くて絵を鑑賞するより人の頭を鑑賞する場合が多いので、どうしても大きな展覧会は行く気がしない。

       

      モネの絵が360度パノラマで見られる部屋は圧巻だったが、でも一番印象に残ったのはスーチンだった。彼の作風はとても情熱的、キャンバスを染める赤色は如実にそれを現わしているように思われた。また、皮を剥がれた牛、毛をむしられた鶏が気味悪く、それが何時までも頭に残ったが、それもスーチンの真骨頂なのだろう。

       

      夜はクロード宅で夕食をご馳走になる。シャンペン、白ワイン、いちじくの葉で包んで蒸した白身の魚とインゲンの付け合わせとサラダ。さっぱりしていてとても美味しかった。デザートはチーズの盛り合わせとフォアグラ入りパテ。やはりフランスはチーズ天国でどれを食べてもウーンとうなりたい程美味しい。特にシェーブル(山羊のチーズ)は気にいった。パテも美味しすぎて帰国の際5カンも同じものを買い求めた。昼からフルコースを食べ、また夕食もフルコースだったので小食の相棒はもう限界といいながらも全て食べきった。

      宝塚からの宅急便 No.20 文:吉田千津子 写真:奥村森

      2016.12.25 Sunday 13:59
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        Beatrice Douillet ベアトリス ドゥイエ

         

        フランス旅行顛末記

         

        2011年5月14日、今日は10時に友人のベアトリスに会う。モントーユの仕事場を訪ねる約束をした。ベアトリスは画家、グラフィックデザイナー、コラージュ、エコアートをこなすマルチなアーティストだ。

         

        1998年、ある雑誌の取材中、偶然パリで出会った。たまたまホテルへの帰り道ブラブラと歩いていると全面ガラス張りのアトリエが眼にとまった。中では女性が大きなキャンバスに向かって絵を描いていた。私の相棒はどちらかというと人見知りタイプなのだが、何故か外国に出かけると突然お喋りに変身する。そのお陰でガラス窓の外からずうずうしくも話かけ取材をさせてもらうことに成功した。

         

        その頃から彼女は人が捨てたガラクタ、古着などを使ってエコアートも試みていた。昨夜会ったクロードも一緒にベアトリスに会ってみたいというので、クロードの家に寄ってから3人で訪ねることになった。8時に起床、アレジアにあるクロード宅に向かう。待合せ時間が9時15分なのでバッチリ時間通りにアパート前に到着する。

         

        パリのアパートには、日本と違い鍵が何個も付いている。まず、外の分厚い、大きな扉を開けなければならない。そのためには、入口に付いているコード番号ボタンを押さなくてはならない。セキュリティー保護のため、この暗号番号は時々変更される。

         

        早速クロードが教えてくれたコード番号を押してみる。重い扉はビクともしない。何度押しても開かないので電話をかけてクロードを呼び出すことにした。フランスの公衆電話を使用するには、テレフォンカードが必要なので Tabac(バーでタバコや切手などを販売するキヨスクのような店)で購入することにする。

         

        遠方まで歩いてやっと店を見つけカードを買い、近くの公衆電話にかけ込む。時間がどんどん過ぎて気がきではない、短気な私はだんだん腹が立ってきた。でも、電話をかけないことにはどうにもならない。まずは、カードを入れる。するとフランス語で録音された冷たい女の声で訳のわからないことをベラベラ喋る。その喋りが終わってダイヤルしてみるが全然つながらない。

         

        何度しても同じなので一層腹が立ってきた。あとで落ち着いて聞いてみると、まず言語を選ばなければならないのである。女の声で説明していたのはフランス語か英語かを選んで下さい、フランス語は1を英語は2をと言っていたのである。言語を選んでから、やっとダイヤルできるのである。

         

        結果的に電話はつながらず、道を歩いている通行人に電話の使用法を尋ねてもラチがあかない。5月だというのに外はまだ寒く、今日は風が特に冷たい。この寒空、二人は外で立ちんぼをすることになった。こんなことをしている間にベアトリスの約束時間10時は、とっくにすぎてしまった。クロードも私達が時間通り来なくても、まったく気にならないらしく窓から顔を出す気配もない。

         

        もうお手上げ状態、仕方がないのでアパートから誰か住人が出てくるのを待つことにした。やっと住人が出てきたのは2時間も過ぎた頃だった。その住人はクロードの知り合いだったので、やっと入れてもらうことができた。時間はもう12時、クロードは「あれっ、あの番号で入れなかったのおかしいわね、ハッハッハ」と笑った。

         

        確認してみると、彼女がくれた番号は変更前の番号だった。急いでベアトリスに謝罪の電話をして、すぐにメトロの駅に3人で向かった。40分ほどで最寄り駅に着いた。モントーユ地区は芸術家が多く住んでいる所。駅を降りたとたんアフリカに迷い込んだのかと思うくらい、道を歩く人、商店の人、みんな黒人ばかりである。中にはアフリカの民族衣装をまとった黒人もいる。

         

        なんだかチョット緊張する。多分、このあたりは物価も安く生活しやすいのだろう。慣れていない私達は、背中に背負っていたバッグを胸のところに持ち替えた。ベアトリスのアトリエは、駅からすぐのところにあった。以前と違って、今は一人でアトリエを借りていた。久しぶりに会ったベアトリスは以前と余りかわっていなかった。

         

        抱き合って、フランス式にホッペにチュ、チュと二度キスをした。最後に会ったのが1998年からだから、13年も経っているのに何故か時間をまったく感じさせなかった。アトリエの中は様々な物で一杯だった。引出しには、色とりどりのビールの栓、ボタン、くぎ、豆など細々したものが整然と並べてある。絵具、ベンキ、筆、大工道具が所せましと置いてある。

         

        芸術論、ドイツでの個展のこと、ボーイフレンドのことなど、カフェ・エクスプレッソを飲みながら4人は英語とフランス語チャンポンで喋り、時間はあっという間にすぎた。3時間程話しこんで、また帰国するまでに会う約束をして別れた。

        宝塚からの宅急便 No.21 文:吉田千津子 写真:奥村森

        2016.12.25 Sunday 14:41
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          Boulevad Peripherique ペリフェリック通り パリ環状道路

           

          フランス旅行顛末記 カフェ探し

           

          2011年5月15日、パリに来て初めての日曜日。フランスの日曜日は、ほとんどの店が休みとなるので旅行者にとっては退屈である。今日は約束がないので朝ゆっくりして、遅い朝食を食べようとホテル近くのカフェに出掛けるが、すでにサービスは終わっていた。

           

          仕方なしに近所を歩いてカフェを探すことにした。高架線の Boulevard Périphérique(ペリフェリック通り/パリ環状道路)に沿って歩いていると、スポーツレジャーセンターの看板が見えた。小規模な施設だが、人がどんどん吸い込まれるように入っていく。この辺で営業している店は此処しかないので、時間潰しに寄ってみることにした。

           

          外観の印象より中はかなり広く、スポーツジム、ゲームセンター、ファミリーレストラン等があり、子供やティーンエイジャーで賑わっていた。お腹がすいていたので何か食べようとしたが、ろくなレストランもない。結局間違いのないファーストフードで朝食兼昼食のハンバーガーを食べた。

           

          何か損をした気がした。フランスまで来て何故ハンバーガーを食べなければならないのか、自分に腹が立った。帰りにデザートのケーキを二つ買ってホテルに戻った。このホテルは、日曜日になると一日中ドアロックがかかっているので、外出する宿泊客は事前に貰ったコード番号を押さなければ中には入れない。

           

          入口左側にあるコード板を押したが、ドアは開かない。アレッ、番号は間違っていないのに。ガラス越しに見えるホテル従業員を呼びつけた。従業員いわく、毎週金曜日にコード番号を変更するのだという。それなら、もっと早く言ってくれなきゃ。なんと気の利かないサービスの悪いホテルなのだろう。二度と泊まってやるものか。

           

          おまけに普通のホテルと違って、滞在中は誰も掃除にも来ない。自分で部屋備え付けの掃除機できれいにしなければならないのだ。テーブルを紙で拭いてみると、真っ黒で掃除した形跡がまったくない。きれい好きな私は、不満とストレスがたまった。

           

          相棒は、持ってきたノートパソコンを回線に接続しようとやっきになっていた。ホテルのカウンターと部屋を行ったり来たりしながら、アメフト選手なみの体格の黒人従業員にいちいち質問をしてはコンピュータをいじくりまわしていた。

           

          出発前、荷物が多くなるので、私は相棒に持って来るのを却下していた。にもかかわらず持参した手前、接続をしないと私に何を言われるか判らないので、目の下にくまを作りながら必死の形相になっていた。相棒はカメラマンという職業上、撮った写真をすぐに入力しておきたいのは判る。それは出来るとしても接続をしないとメールは送受信できない。何度も試みたが、ことごとく失敗して自信を失っていた。

           

          ホテル・カウンターの黒人大男は「君のコンピュータがフランス語か英語で書いてあれば助けてあげられるのにね」となぐさめられる始末。結局接続は出来ず諦めた。相棒はかなり落ち込んでションボリしていた。しかし、もっと落ち込む事件が待ち受けていようとは、その時は知るよしもなかった。 

          宝塚からの宅急便 No.22 文:吉田千津子 写真:奥村森

          2016.12.25 Sunday 16:28
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            Atelier du Lunain 絵画アトリエ

             

            フランス旅行顛末記 パスポート盗まれる

             

            2011年5月16日、いよいよ今日からレンタカーを借りて4〜5日間の予定でブルターニュ地方に出かける。行き先はレンヌ、サンマロ、モン・サン・ミシェルだ。相棒は、モン・サン・ミシェルにはすでに行ったことがあるし、観光地なのでとても嫌がっていたが、私は一度も訪れたことがないので一度行ってみたいと話すと、彼は渋々承諾した。

             

            泊まりはサンマロあたりにして車でゆっくりと、あちらこちらに止まりながら行けばいいと思いホテルの予約もしていなかった。10時にレンタカーを予約してあるので、ハーツのあるモンパルナス駅に向かった。駅に着き大量の荷物をずるずると引っ張りながら店に入った。

             

            店内には小さなカウンターがあり、白人と黒人の従業員が接客していた。白人の若い従業員が「レンタカーですね」と言ったので、私は車の予約票を彼に手渡した。彼はコンピュータを見ながら「それでは、運転する人のパスポート、運転免許書、クレジット・カードをお願いします」と流暢な英語で話した。

             

            相棒はバッグの中に手を入れてガサゴソ探し始めたが、何度も「あれっ、あれっ」と繰り返し、何時までたってもパスポートも免許書も出てこない。私が「どうしたの?早く出してちょうだい」と言うと、相棒は「それが、確かにここに入れておいたのに無いんだ、おかしいな」と答えるだけ。私は「なくしちゃったの!」と詰問口調で相棒を攻めた。

             

            「そんなはずないよ、ちゃんとバッグに入れておいたんだ」と言った。「本当にそこに入っていたの?他のところ に入れた憶えはないの?」と私はますます語気を強めた。そういえば昨夜、大きなスーツケースは邪魔になるので旅行中預って貰うようクロードの家に置いて来た。多分その中に入っているに違いない。

             

            早速、クロードに電話をしてみるが留守番電話になっている。とにかく身分を証明するものが無ければ車は借りられない。相棒は慌ててクロード宅に置いてあるスーツケースを調べに行った。あればいいのだがと祈るような気持だった。私はレンタカー店で大量の荷物と一緒に待つしかなかった。

             

            時間はどんどんと過ぎてゆく。相棒はなかなか帰ってくる気配がない。2時間以上たって、やっとハアハアいいながら汗だくになって帰って来た。彼の話によると、クロード宅にいってみたが、やはり留守のようで入口でウロウロしていたら、先日ドアのコード番号が間違っていた時に救ってくれたクロードの友人にバッタリ出会った。

             

            事の次第を説明したら、それは一大事だとういうことになり、急きょアパートの知り合いを呼んで話し合いがホールで始まった。結局、クロード宅のドアの下に 伝言を書いたメモを残して戻ってきたとのことだった。これで今日は車は借りられない。クロードは何時戻って来るのかも判らない、万事休す。

             

            4時間以上も待たせてもらったレンタカー店を後にしてクロード宅に向かった。何しろ今日はブルターニュで泊まる予定だったのでパリでは泊まる所も行くところもない。彼女もまだ帰宅していないし荷物はあるしで動くことも出来ない。

             

            近くのベンチに腰掛ける、パリの街角に東洋人のホームレスが出現したかのようだ。二人でションボリ座っていると、相棒がちょっと様子を見てくるとブラブラと歩いて行ってしまった。まったく、パスポートを無くしてしまったというのに呑気なものだ。命をとられたわけではないし、パスポートは取りなおせばいいかと自分自身に言い聞かせてはみたものの、やっぱり腹が立つ。

             

            そこへ相棒がニコニコ顔で戻ってきて、クロードのアパートの真向かいにアトリエがあって、そこで写真をとらせてくれるので早く行こうとさそいに来た。大量の荷物をゾロゾロと引っ張ってアトリエへ。この場所はクロード宅の玄関を見渡せて格好の場所にある。中では3人のおばあちゃんが絵を描いていた。先生はマリアンといって50代のやさしそうな先生だった。

             

            話を聞いてみると以前クロードも彼女の生徒だったことが判り、急に親しみが湧いてきた。ことの顛末をマリアンに話すと「それは困ったわね、ここは夜9時まで開いているので、それまでは此処に居ても良いわよ」と言ってくれた。地獄で仏とはこのことだ。

             

            写真撮影も無事終わり、大量の荷物も預かってもらい安心したら、急におなかがすいてきた。考えてみたら今日は一度も食事をしていなかった。早い夕食を済ませ戻って来てもクロードは帰って来なかった。それから少したってマリアンが「あっ、クロードが帰って来たよ」といった。もう時計は6時をまわっていた。早速、荷物を運び入れ、預けてあったスーツケー スの中をひっくり返して調べてみたが、やはりパスポートは無かった。

             

            何処かで盗まれたに違いない。土曜日ベアトリースのアトリエに行った時か、それとも地下鉄の中か、いろいろ考えてみても後のまつり。結局、何処で盗まれたのか判らなかった。こうなったらブルターニュ旅行どころではない。パスポートが無いと日本にも帰れない。

             

            クロードが「今夜はうちに泊まって明日、日本大使館に電話をしてパスポート再発行の手続をしに行かないとね」と言った。楽天家のクロードは「私なんか、ベトナムとシンガポールで2度もパスポート盗まれちゃって」と自慢気に話した。

             

            「パスポートを盗まれるなんて何でもないわよ、また発行してもらえばいいんだから」とシャーシャーとしている。相棒は落ち込んでいた、昨日コンピュータを接続出来なかった以上に。パスポートが盗まれたことよりも、青春時代7年間過ごした、この大好きなパリでパスポートを盗まれたことがショックだった。明日は朝一番に日本大使館に行かなければならない。

            宝塚からの宅急便 No.23 文:吉田千津子 写真:奥村森

            2016.12.25 Sunday 17:12
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              Train depot 列車車庫

               

              フランス旅行顛末記 やっぱりブルターニュへ行こう

               

              2011年5月17日、相棒がパスポート、国際免許証、この旅のためにワザワザとったクレジットカード、すべてを盗まれてしまったので日本大使館に電話をする。大使館員は大変親切で丁寧に説明してくれた。まず、クレジットカードを止めること、次は所轄の警察署に行き盗難届を出し証明書をもらうこと。

               

              私達はアレジア地区にいたので、アレジア警察に行くことになる。その証明書を持って日本大使館に行けばパスポートの再発行が申請できるとのことだ。まず、クロードに警察署の場所を聞いて向かった。15分程で着くと、そこにはもう長蛇の列が出来ていた。黒人やアラブ系の人々が多い。

               

              フランスの警察署は一度に大勢の人を建物内に入れないので、暑くても寒くても外に並んで待たなければならない。入口の横に別のガラスドアがあり、婦人警官が立っている。よく観察すると、彼女と話をして列に並ばず中に入る人がいる。それを見ていた私は、ダメもとでガラスドアに駆けより、へばりついてトントンとたたいて婦人警官にアピールした。

               

              東洋人は目立ようで、彼女がやって来た。「どうしたのか?」と尋ねるので、実は相棒がパスポート等を盗まれて困っていることを伝えると、彼女はすぐにドアから私達を招き入れてくれた。ラッキー。 中に入ろうとすると、私達の前に並んでいた人が「何でお前達だけ特別扱いなのよ、不公平だ」と不満顔で叫んでいた。でも、警察が許可したのだからと、さっさと入る。

               

              受付で名前と訪れた理由を尋ねられ、廊下右側の小さな部屋に通された。若い小柄なキビキビとした婦人警官がやってきた。名前、国籍、住所、出生地を聞かれた。相棒が長野県生まれだと伝えると、長野という響きに彼女が反応した。

               

              「ナガノ、あのオリンピックが開催された、あのナガノね」と急に場がなごみ、ニコニコ顔になった。調書のスピードはますます上がり、数分で書きあげてしまった。「ちょっと待って、部署上役のサインが必要なの」といって出て行ったかと思うと直ぐに戻り、盗難届はあっという間に終了した。「Voila(ヴォアラ/さあ、どうぞ)」と言って書類を手渡してくれた。感謝の握手をして、その足で日本大使館へと向かった。

               

              日本大使館は Ave.Hoche(オッシュ通り)にある。相棒がいうにはパリに住んでいた1960年代後半から、この場所にあったという。建物の入口には、日本の旗がはためき、ドアを入ると物々しい空港のセキュリティイーと同じ機械が備え付けてあった。黒人係員に「すべての持ち物を台に乗せて」と言われる。ここを通ると、やっと入口の受付嬢と話すことが出来る。

               

              「パスポート盗難の件で来た」と彼女に伝えると、やっと内側からドアボタンを「ビー」と押し、もう一度外から私達がボタンをおして大使館内に入る。何個も鍵があるのは、やはりフランスらしい。中には仕切りのある机がたくさん並んでいた。入口のすぐそばには画像の悪いテレビが備え付けてあり、日本語放送が流れていた。

               

              旅券課で数枚の書類を渡された。誓約書、盗難届、パスポート再発行申請書などを書いて提出した。その時、大使館員が「パスポートをとるには、戸籍謄本か抄本が必要ですよ」と言った。えっ、あと一週間で帰国するし、おまけに相棒は天涯孤独の身、日本には頼める人もいない、物理的に無理。

               

              結局パスポートのかわりに渡航証明書だけを発行してもらうことにし、帰国してから戸籍謄本をパリに郵送することで解決した。これで、やっと一安心。少なくともフランスを出国して日本に辿りつくことが出来る。何故か、渡航証明書は帰国前日に発行されるという。というのも、その間にパスポートが見つかる可能性があるからだという。

               

              大使館員は「最近、日本人旅行者のパスポート盗難が頻発しているんですよ」と話していた。私が聞いた話だが、日本国パスポートは闇ルートでよい値段で売買されていると聞いた。貴重品は肌身離さずしまっておこう。これで、あとは帰国前日に大使館にくるのみ。これからどうしようかと考えた。一日遅れたが、やはりブルターニュまで電車で行くことに決めた。切符はモンパルナス駅で購入して、ホテルもついでに予約した。3日間の予定だ。やっとブルターニュへ出発。

              宝塚からの宅急便 No.24 文:吉田千津子 写真:奥村森

              2016.12.28 Wednesday 16:09
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                Le Mont St Michel モン サン ミッシェル

                 

                フランス旅行顛末記 モン・サン=ミッシェル

                 

                2011年5月18日早朝、モン・サン=ミッシェル行きの TGV(新幹線)に乗るためにモンパルナス駅に向かう。駅講内は荷物を持った沢山の人々でごったがえしていた。パリの駅は東京駅と違って行先で駅が異なるので注意が必要だ。ブルターニュ地方に行く列車はモンパルナス駅から出発する。

                 

                小さなキヨスクには30センチ以上もあるバゲットサンドが山のように積まれている。乗車前にチーズとハム入りのバゲットを一本ずつ買いこみ昼食に備える。TGV 車内は、ほとんど満席。パリ・モンパルナス駅から約2時間半で Rennes(レンヌ)に到着、そこからモン・サン=ミッシェル行きの大型バスに乗り換える。バスの乗車口で11.40ユーロの乗車券を買う。

                 

                さすがに観光地に行く乗り物、日本人の母娘や大きなバッグを持った青年がいた。5月は観光シーズンが始まっているらしく、バスはいろいろな国から訪れた観光客で満員だった。バスは私達を乗せてどんどん海岸線に向かう。やっと遠くの方に豆粒大の小さな島が見えて来た。

                 

                モン・サン=ミッシェルは江ノ島と同じだからと、耳にたこが出来るほど相棒から聞かされていた。バスはモン・サン=ミッシェル入口の真ん前に停車した。その反対側にも広大な駐車場があり、沢山の車で埋め尽くされていた。 以前は、こんなに近くまでは来られなかったらしいのだが、今は海を埋め立てて駐車場になっている。最近は、これが原因で潮の流れが変化し、砂がどんどん溜まって海が浅くなっているので、昔の姿に戻そうという運動が起こっている。現在は昔の姿に戻っているらしい。

                 

                訪れた観光客で、もうデパ地下の食品売り場のような混雑だ。風情も何もあったもんじゃない。道幅も狭いのでよけい込み合っているように感じる。道の両側には、レストラン、おみやげ店、それにブルターニュ名物のガレットを売る店が軒を連ねる。まるで江ノ島だ。店によっては下手な日本語でガレット3箱で21ユーロなどと書いてある所もある。いかに日本人が、ここにお金を落としているのかが伺える。

                 

                くねくねと曲がった石畳の路地を登ると、中腹にテラスがあって湾を一望出来る。遠浅の海が何処までも広がっていた。この日はとても暑くて汗がしたたり落ち頂上まで行く気にもならない。おまけに2つの小型スーツケースを両手に持ち、引きずりながらだから大変だ。

                 

                相棒は写真撮影で駆けまわっている。のどが渇いたのでちょっと飲物とクレープを食べようとレストランに入ったが、クレープは昼食時には食べられないと追い出されてしまった。クレープが食べられるのは午後3時以降らしい。仕方なく飲物だけを買い、入口近くの公衆電話の下にあるベンチに腰掛けて人間観察をすることにした。

                 

                そこに杖を持った老夫婦がやってきた。二人はもう80歳はとうに越えた感じのよい素朴な人達だった。海外に行くと急に社交的になる相棒が、早速彼らに「何処から来たのですか」と聞いた。すると「アンドラです」と答えた。相棒は「アンドラですか、懐かしいな」と言った。2人は「ヘエー、アンドラをご存知ですか」と言ってとても喜んだ。「アンドラといっても、ほとんどの人は何処にあるかを知らないんですよ」という話だった。昔、相棒はアンドラを旅して一枚の写真を撮っていたので鮮明に覚えていたのだった。

                 

                アンドラ公国はピレネー山脈中にあるミニ国家で、フランスとスペインの国境に接している。歴史は古く8世紀にフランスのシャルマーニュ王によって設立されたが、2国にまたがっていたため、何時もフランスとスペイン間で争奪戦が行われていた。1278年に双方が和解して以来、フランスとスペイン両国の統治となっている。そのせいで国家治安は、フランス国家警察とスペインのバルセロナ警察が一年毎に交替で守っているというから面白い。

                 

                言語はフランス語とスペイン語(カタルーニャ語)が通じるらしいが、私達が会った老夫婦はスペイン語で話していたので、私はポルトガル語とスペイン語をチャンポンにしたポルトニョールで会話した。 二人はとても熱心なカトリック信者らしく、足が悪いのにもかかわらず頂上に登り教会を見学してきたとのことだった。

                 

                そんなに小さな国でも、3月11日の東日本大震災の津波のことを知っていて「大変でしたね、貴方のところは大丈夫でしたか」と心配をしてくれた。私達も日本人の友人がいますよと話していた。一時間ほど四方山話をして「Bon Voyage」と言って帰っていった。その後に静岡からやって来たという団体旅行のおじさんは、一方的に自分の事と買物のことばかり話し「さよなら」も言わずに去っていった。相棒は「失礼な奴だなあ」と怒った。人間観察は楽しいが、午後4時のバスを逃したらサンマロまでのバスは、もう今日はない。急いで乗り場へと向かう。

                宝塚からの宅急便 No.25 文:吉田千津子 写真:奥村森

                2016.12.29 Thursday 09:30
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                  St Malo's Beach サン・マロの浜辺

                   

                  フランス旅行顛末記 サン・マロ

                   

                  2011年5月18日、バスは Dol-de-Bretagne(ドル・ド・ブルターニュ)駅まで約30分、とても小さな駅だが1日1回パリ行きの TGV が停車する。そこからサン・マロに向かう。駅で待っていると、私たち2人の前に地元民らしきふっくらとした人の良さそうなおばちゃんが立って、興味深かそうに東洋人の会話に耳をそば立てていた。

                   

                  もちろん内容は判らないが、時々聞こえるホテルの名前や地名を聞いて、私が間違ったことを言うと、彼女が「それはマドレーヌと発音するのよ」と訂正してくれる。相棒が「地元の方ですか」と尋ねると「ええ、生まれも育ちもサン・マロよ」と答えた。観光客ではない数少ない地元民だ。「私達も今晩はサン・マロに泊まります」と返事をした。

                   

                  「サン・マロで美味しいレストランがあったら教えてくれませんか」と聞いてみた。彼女は5人の子供がいて共働きをしているから余裕がないのでレストランには、ほとんど行かないとのことだった。何処の国も生活は大変なのだと感じた。20分程でサン・マロ駅に到着。そこで彼女は「Bon Voyage」と言って去っていった。地元の人と話をするのは旅のだいご味でもある。

                   

                  駅でサン・マロ海岸にあるホテルまで歩いて行けるかどうか尋ねてみる。荷物もあるし、遠いとのことなのでタクシーに乗ることにした。タクシーで20分位のところに予約したホテルはあった。ホテル前は砂浜だった、波の音がザァーザァーと聞こえた。私がイメージしていたブルターニュの海とは違い、空はどんよりと曇ってひとっ子一人いない寂しい浜辺、とりわけ感動するものもなく、ホテルのまわりは閑散としていた。

                   

                  このホテルは海岸沿いにはあるが、宿泊費をけちったせいで安普請のホテルだった。室内は設計ミスらしく便座の前が異常に狭く座ると壁に頭と膝を打ちそうになった。ベッドの寝心地は良かったので救われた。荷物をおいて街を散策しようと、ホテル受付に「何処で食事が出来るのか」と尋ねてみた。すると彼は「旧市街に行けば何でもありますよ」と言って小さな地図をくれた。長い海岸線に沿って15分ほど歩くと昔は海賊が使用していたという要塞が見えた。

                   

                  サン・マロは、ブルターニュ地方の北東に位置し、突き出た半島にある。石畳の美しい城壁の町である。16世紀には王に認められた海賊達が横行していたといわれている。港には沢山のヨットや船が停泊し、中には観光客用の海賊船などもあり賑わっていた。眼の前に高くそびえる石の城壁に囲まれた旧市街がある。

                   

                  入ってみるとレストラン、おみやげ屋、などがギュウギュウづめに並んでいた。特にここは港町なのでシーフードレストランが多く、余り多すぎてレストランを選ぶのに苦労する。今まで、日本へのおみやげを一つも買っていなかったので、ここで調達することにする。母と数人の友人たちへのおみやげを買う。やはり無難なところでガレットの詰め合わせを買った。

                   

                  菓子店には、色とりどりのマカロンやブルターニュ名物のバターをふんだんに使ったクイニー・アマンを売っていた。デザートに二個購入。とてもリッチで美味しかった。歩きまわっていたら、夕食時間となり物色に物色をかさねてレストランを選んだ。私達は定食を注文、3種類の中から好きなものを選ぶシステムになっている。

                   

                  私は海の幸のグラタン、白身魚とサラダ、それにタルト・タタンとコーヒー。相棒はチーズの前菜、鴨のテリーヌ、少し硬いビーフステーキとフレンチフライ、それにフォンダンチョコラとカフェ・エスプレッソ。フルコースで1人17ユーロだ。レストランの雰囲気も良く、お値段もお手頃でとても美味しく大満足だった。

                  宝塚からの宅急便 No.26 文:吉田千津子 写真:奥村森

                  2016.12.29 Thursday 11:59
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                    St Malo's Beach サン・マロの浜辺

                     

                    フランス旅行顛末記 サン・マロ

                     

                    2011年5月19日、朝早く海辺に出ると風が冷たかった。日中は暖いが朝夕は肌寒い。海岸沿の道を歩いていると、静かな浜辺にワイワイガヤガヤと声が聞こえる。その方向に行ってみると、グループの老若男女全員、黒白の縞のTシャツを着て砂浜に集まっていた。尋ねてみるとプロバンスからやって来たサッカー同好会の面々だという。みな砂浜で何をするでもなく楽しそうにワイワイ語らっている。

                     

                    昼食は旧市街で、そば粉のガレット、中身はラタトーユとサラミ、それに紅茶。フランスでは、ティーバッグの紅茶でもカフェ・エクスプレッソの倍の値段がするのには驚く。紅茶は高いので、フランスで絶対に飲まないことを決めていたのに、またオーダーしてしまった。2人で28ユーロだった。

                     

                    昼食後ホテルに帰る。今晩はマドレーヌ地区にある、今泊まっているホテルと同じ系列のホテルに移らなければならない。というのも今晩、このホテルは満室になるので仕方なく移動する。海岸近くから C−1 の La Saulaire 行のバスに乗って終点まで行くと、そこがマドレーヌ地区、15番目の駅だ。

                     

                    料金は1.20ユーロとパリの地下鉄回数券(カルネ)と同じ料金だ。パリの地下鉄とバス料金は一律で、日本と違いどんなに乗っても乗り継いでも駅から出なければ同じ料金なので嬉しい。バスはどんどんと内陸に向かって進む。やっと到着したところはショッピングセンターだけでホテルは見当たらない。

                     

                    花屋のおばさんに尋ねてみたが判らない。仕方なく荷物をひきながら、目の前に見える動物病院で聞くことにした。病院の先生はとても親切で、外にまで出てきて説明をしてくれた。私達の探しているホテルはショッピングセンターの反対側の敷地内にあるという。よーく目をこらして見ると奥の方にオレンジ色のそれらしき建物がわずかに見えた。やっと到着。ここの受付は親切だ。よく観察すると、このホテルは商業地区のショッピングセンターのど真中にある。

                     

                    観光客が絶対に来そうもない場所だ。とんだ所へ来てしまった。モンパルナス駅でホテルの予約をする時に3ツ星か2ツ星かと聞かれた時、「もちろん、2ツ星ホテルよ」とけちんぼの私が答えてしまったのが悪かった。そのせいで観光地ではない地区を紹介されてしまった。後の祭りである。

                     

                    窓からの眺めは広大な駐車場が見渡せ、左手にはスーパーマーケット・カルフール、右手にはメルセデスベンツの工場の旗が風にたなびいている。おまけに泊まり客はビジネスマンばかりでほとんど男の人だ。宿泊費は76ユーロと安い。「まっ、いいか」スーパーマーケット好きの私は半日スーパーめぐりをすることにした。どこの国に行ってもスーパーマケットに行くと、その国の生活が見えるので楽しい。反対に相棒は買物ぎらいなので不満そうだったが、他の選択はない。もう来てしまったので仕方ない。

                     

                    車もないし、スーパーやショッピングセンターの中をゆっくり時間をかけて午後を過ごす。昼食はガレットを食べたので、夜は倹約してカルフールでヨーグルト、ハム、バゲット、箱一杯のマッシュルーム、20個以上の束になったラデッシュ、それにドレッシングで6.20ユーロなり。こうして食べると安いし、旅で不足しがちな野菜も沢山とれるので健康的。

                     

                    水1.5リットルを2本サンマロの町中で買っておいた。というのもフランスでは日本のようにあちこちにコンビニはなく、特に地方に行くとほとんどないので、見つけた時に購入しておかないと買いそびれる。それに乾燥気候のフランスではノドが渇くので必需品。友人のフランス人は水道の水を平気で飲んでいるがカルシュウムが多いので避けた方が良い。明日はやっとパリに帰れる。

                    宝塚からの宅急便 No.27 文:吉田千津子 写真:奥村森

                    2016.12.29 Thursday 12:38
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                      Bateaux Mouches バトー ムーシュ

                       

                      フランス旅行顛末記

                      Bateaux-Nouches(バトー・ムーシュ)&イタリアン・レストラン

                       

                      2011年5月20〜21日、サン・マロ駅から TGV に乗ってパリに夕方戻る。バスでアレジアにあるクロードのアパートへ向かう。夕食はクロードが作ってくれた。ワイン、レタスとハムのサラダ、バゲットと別皿にチーズとフォアグラ入りのパテが乗っていた。フランス人家庭の定番夕食である。なかでも気に入ったのはレタスだ。というのも日本のものと違って肉厚でパリパリとしていて、とても美味しかった。

                       

                      フォアグラ入りのパテは、クロードの生まれ故郷、アキテーヌ地方のもので絶品だった。チーズはブリやシェーブル以外にも色々あり、今まで味わったことのないものもあった。何時もあまり見ないテレビなのに、今晩、クロードは夕食を早く済ませて見たいニュースがあると言ってソワソワしている。何だろうと尋ねてみると、IMFトップ、ストラス・カーンがNYでセクハラ容疑で逮捕されたからだという。それからは毎日毎日、フランスのニュースはこの話題で持ちきりになった。どこの国も人間は同じだと感じた。「人の不幸は蜜の味」。

                       

                      今日は、5月21日土曜日。クロードが昼食と夕食をご馳走してくれるという。というのも彼女は、家でほとんど料理をしない。ご主人はポーランドに単身赴任をしているので、家には彼女1人だからだ。大体何時も昼食は外食らしい。Parc Monsouris(モンスリ公園)の中を散策しながらレストランに向かう。園内は広く、沢山の木々が茂り緑で一杯だった。人はまばらでゆったりと時間は流れ、池にはのんびりと鴨の親子が日向ぼっこをしていた。

                       

                      レストランはテーブルが3つしかなく、小じんまりとしていた。私はアリゴというマッシュポテトとチーズを混ぜたものをオーブンで焼いた料理を食べた。クロードが「この料理はフランスでは典型的な家庭料理なのよ」と教えてくれた。壁にはクロードの描いた絵が2〜3枚かけられていた。彼女は、ここの主人と懇意で絵を掛けさせてもらっているらしい。昼食後クロードと別れた。

                       

                      何もすることがないので仕方なく、何度かパリに来ても乗ったことがなかった観光船、バトー・ムーシュに乗ることにした。相棒は御上りさんのようで嫌がっていた。「いくら隠しても、私達は御上りさんですよ」と私は言った。

                       

                      両替をしてから行きたいので地下鉄 Rosevelt Champ(ルーズベル シャン)で下車、まずは両替をしに BNP(フランス国立銀行)に行く。両替をする時には、慎重に両替所を選んだ方がよい。場所によって両替手数料が違うからだ。一度モンパルナス駅で仕方なく両替をしたら500ドルで20ユーロもの手数料をとられてしまった。今日は土曜日なので、銀行はやはり閉まっていた。

                       

                      先日、イケメン・モデルがプロモーションをしていたアバクロン&フィッチの建物の前を通ったが残念ながら今日は、上半身裸ではなく服を着たモデル達が若い女の子達と記念写真を撮っていた。Bateaux-Nouches(バトー・ムーシュ)乗り場は観光客であふれていた。次々と船がやってくる。

                       

                      私達は1時間10分の旅を選んで1人11ユーロを支払った。今日は暑いくらいなのでセーヌの川風が気もちいい。船は Port de Conference(ポール・ド・コンフェランス)の船着き場から出発して、右手にオルセー美術館を眺め、サン・ルイ島をひと周りし、帰りにはルーブル宮、エッフェル塔、シャイヨー宮を観ながら旅は終わった。

                       

                      夕食は、クロード御用達のイタリアン・レストラン。クロード家から徒歩で行けるので便利。レストラン・オーナーはイタリアからの移民で、フランスで生まれた息子と一緒に働いている。クロードと相棒がからかって、イタリアの俳優マルチェロ・マストロヤーニを知っているかと尋ねてみたが、知らなかったので相棒はガッカリしていた。

                       

                      私は3センチ幅のトマトとソーセージのパスタを注文、塩加減は最高だった。相棒はアーティチョーク入りのパスタのクリームあえ。これも味見をしたら美味しかった。クロードは4種のチーズがのったシンプルピッツァを食べていた。もちろん赤ワインを注文して。

                       

                      私達は余り飲まないので彼女は1人でほとんどを飲み干した。クロードは上機嫌だった。デザートはティラミス、最後にカフェ・エクスプレッソでしめた。今日は美味しい食事で贅沢な一日を過ごした。


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