親の責任

2016.12.23 Friday 15:40
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    南大沢日記

     

     

    親の責任

     

    Pasadena Kids festa パサディナ 子供フェアー

    Pasadena Kids festa パサディナ 子供フェアー

     

    最近の日本人はどうしてしまったのだろうか、と思うことが度々ある。あの礼儀正しい、思いやりのあった日本人は何処にいってしまったのか。日本社会の何かがガラガラと崩れ落ちて行くのを感じる。

    毎日、新聞やテレビで流される事件や事故のニュースを見ていると、人災と思われるものが多々ある。

     

    親の不注意で事件に巻き込まれる子供達。パチンコに熱中して子供を車の中に何時間も放置してしまう親、道路を横断するのに子供の手をつながない親、バスから降りる時、先に子供を降ろして左右をみずに危うく車にひかれそうになっている子供。

     

    公園の遊具で遊んでいた子供がケガをしたり、死亡事故が発生すると日本中の遊具が使用禁止になる。ビルの回転扉の事故が起きると全ての扉が危険とされ使用出来なくなる。何処に生活していても何時も危険と隣あわせだ。やはり注意を払って生活することが大切だと思う。特に小さな子供を持っているお母さん達には、もっと子供に注意を払って欲しい。

     

    ベビーカーを押しながら子供を見ずにケイタイに夢中になっている母親、買い物に夢中で子供をほったらかしにし、エスカレーターで遊ぶ子供に気付かない母親。事故が起こると、何時でも人のせいにし、注意書きが書いてなかった、柵がなかったと責任を転嫁する。

     

    電車での「飛び乗りは危険ですから止めてください、手を挟まれないようにご注意ください」とか電車に乗っている間中アナウンスされるのは嫌になる。しかし、人によってはこれを言わないと怒る人達もいるらしい。いいかげん日本人も大人になって人に頼らず、一人ひとりが責任を持って自分のことは自分で守る人間をめざしたらどうかと思う。

     

    長年アメリカに住んで思ったのは、子供は小さい時から厳しく躾られている。ファミリーレストランでさえも、走りまわる子供を見たことがない。もし、そんなことをしていたら即刻、親にたしなめられるかレストランのスタッフに注意される。親も子供がある年齢に達するまでは責任を持って育てる。

     

    こんな事件があった。アメリカに住み始めてまもない日本人夫婦がスーパーマーケットに子供と一緒に夜間出掛けた。子供が寝てしまったので、ほんの短時間、子供をそのままにし、買物を済ませて車に戻た。すると、警察官が来ていて逮捕されてしまった。

     

    カルフォルニア州では季節、時間を問わず1分たりとも子供をある年齢になるまでは1人にすると犯罪になるのだ。勿論1人でお留守番などもっての他。それで学生のベビーシッター制度がうまれた。登校についても小学生は必ず誰かが送り迎えするか、スクールバスの停留所まで送る。もし出来ない場合は、同じ学校に通うお母さん達と順番を決めて送り迎えしていた。

     

    今は昔の日本と違い、知らない人と喋るなと教えられる物騒な世の中になってきている、だからこそ親がもっと子供に注意を払う必要があるのだ。

     

    文:吉田千津子 写真:奥村森

     

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    やっぱり、ブラジルが好き

    2016.12.23 Friday 15:21
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      南大沢日記

       

       

      やっぱり、ブラジルが好き

       

      Borinho de  bacalhau たら入りのコロッケ

      Borinho de  bacalhau たら入りのコロッケ

       

      最近、たびたびブラジルが話題にのぼる。私がブラジルに住んでいた1960年代は、日本人にとってブラジルといえば、アマゾン、原住民、大蛇、コーヒー位しか知らなかった。今はサッカーをきっかけとしてブラジル料理、音楽(サンバ、ボサ・ノバ)が日本社会にも少しずつ浸透して来たことは、とても嬉しい。

       

      私にとってブラジルは、第二の故郷だ。私の住んでいた町はブラジルの一番南にある、Rio Grande do Sul(リオ・グランデ・ド・スル)州の州都 Porto Alegre(ポルト・アレグレ)であった。ブラジルといえども、この州では冬には雪が降ったりもする。

       

      イタリアやドイツからの移民が多く、イタリア移民は、とても美味しいワインを沢山生産しているし、ドイツ移民は靴やバッグを作って輸出している。ご存じのようにブラジルは南半球にあるので、季節は日本と正反対になる。8月が真冬で2月が真夏だ。

       

      カーニバルが開催されるのは真夏の2月。クリスマスはサンタが汗をダラダラ流しながらやって来る。ソリの代わりにサーフィンに乗ってくるのである。ブラジルは人種のルツボと言われ、世界中の人種が混血して成り立っている。基本的にはコスモポリタン人である。日本と違い多民族移民国家なので様々な文化や言語が混じり合い興味深い。

       

      イタリア、スペイン、ポルトガル、ドイツ、中国、韓国、レバノン、ハンガリー、勿論日本も含む世界中からの移民の集まり。日産自動車のカルロス・ゴーン氏もレバノン系のブラジル人だ。ブラジル人は、とても気さくで、人なつっこいので、すぐに Amigo(アミーゴ)といって仲良くなるので余り自分が外国人であることを感じないですむ。

       

      文:吉田千津子 写真:奥村森

       

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      阪神淡路大震災体験記

      2016.12.23 Friday 14:59
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        南大沢日記

         

         

        阪神淡路大震災体験記

         

        Hanshin Awaji Earthquake disaster 阪神淡路大震災の現場

        Hanshin Awaji Earthquake disaster 阪神淡路大震災の現場

         

        1995年1月17日午前5時46分、突然ベッドがグルグル回転する感覚、そして振り落されそうな揺れで目を覚ました。一体何が起きたのか判らず、ただベッドにしがみつくだけで精一杯だった。揺れは、もの凄く長いように感じられた。やっと止まった時、初めて地震だと気づいた。

         

        次の瞬間、私のベッドの下で寝ていた犬のドンを思い出した。真っ暗な中、大声で叫んだ「ドーン」。揺れと物の落下の凄まじい音、その後の異常な静けさが不気味な感じだった。暗闇の中でベッドに飛び乗ってきたドンを抱きかかえた。ドンはブルブルと震えていた。次に頭に浮かんだのが二階で寝ている弟のことだった。

         

        崩れ落ちた物で足の踏み場もなく、思うように部屋から出られない。気ばかりが焦り頭が真っ白になるが、僅か3メートルほどの階段下まで随分時間がかかった。階下から大声で弟の名を呼んだ。しかし、返事がまったくない。10回ほど叫んだ時、やっと弟の声がした「大丈夫、生きている」。

         

        脱出してきた弟は仕事に疲れ、こたつに足を入れて寝ていたら2メートル先に置いてあった大型テレビが飛んできて、足を挟まれたので脱出に時間がかかったのだと言う。大きな揺れの後にも次々と余震が続いた。弟は、出口確保のために玄関の戸を開け放した。外は真っ暗で冷たい風が家の中に流れてきた。

         

        玄関にあった厚底のブーツを見つけて直ぐに履いた。そして、ガスの元栓を締めようと台所に向った。台所は割れた食器などが山積、夜明けの光がガラクタをうっすらと照らしていた。元栓を締めようとしたその時、再びグラッと余震が襲った。すると、つけてもいないガスが突然パッと点火した。多分、点火用の種火が衝撃で作動したに違いない。

         

        台所は瓦礫の山で靴を履かないと足を怪我してしまう。床から膝のあたりまで壊れた食器でいっぱい。居間は天井板が剥がれて垂れ下がり、父のビデオコレクションや本が床いっぱいに埋め尽くす。私の寝ていた寝室は、箪笥の上に置いていた洋酒のびんが割れてウイスキーの海、部屋中ウイスキーの香りが充満していた。

         

        実家と同じ敷地内に住んでいるもう1人の弟夫婦の家は、幸運なことに余り被害もなかったが、電気、水、ガスは勿論止まっているので、一応避難場所となっている宝梅中学校に行くことにした。私と2人の弟、義理の妹、それに犬のドンの計4人と1匹で中学校の講堂に行くと、そこには既に家族やペットを連れて避難してきた人々でいっぱいだった。

         

        講堂に入ったがスペースは皆がやっと座れる程度の場所しかなく、横になることなど到底出来なかった。板の間は寒いので弟が家から布団や毛布を車につんで講堂に持ち込み寒さをしのいだ。校庭には、車の中で避難している人も沢山いた。暫らくすると炊き出しが始まり、おにぎりが1人に1個ずつ配られた。慌てて作ったのだろうか、米に芯があってまずかったが、文句を言うものは誰もいなかった。

         

        余震は続きグラッとするだけで、その度にワッーとかキャーとか悲鳴をあげた。でも、家にいて家具などが倒れてくることを考えれば、この冷たい板の間のほうがよっぽど有難かった。一番困ったのは、やはりトイレの問題だった。学校のトイレの数は限られており、水洗便所はすぐ使用不能になってしまったが、知恵の働くひとがプールの水をみつけて、それを利用してバケツで水をトイレに運んでいた。

         

        電話で一番通じたのは公衆電話で、そこには長い列が何時も出来ていた。1995年当時は、今のように携帯電話が普及していなかったので携帯も通じたらしい。今は、ほとんどの人が携帯を使用しているので緊急事態が発生した場合、一斉に皆が通話するとパンクして不通になるのではないかと思う。最近、公衆電話がどんどんと取り除かれているが、緊急時の際にはきっと困るのではないかと危惧する。

         

        夜も明け揺れも少しずつ収まり始めたので、被害の少なかった弟夫婦の家に私と下の弟とドンが身を寄せることになった。電気は震災後4〜5時間で復旧したのには驚いた。寒かったのでコタツに入りテレビをつけた。画面にはあちらこちらからモウモウと煙を上げて燃えている神戸が映し出されていた。初めは映画のシーンではないかと目を疑ったが、それが現実だとわかると唖然とした。

         

        燃えさかる長田区周辺、丸ごと倒れた三宮のビル、倒壊した高速道路、そこにぶら下がるバス、全てが破壊されていた。幸いにも私達家族は、誰一人けがもしなかった事は幸いだった。その上、運良く両親は震災の起こる2日前から山形の親戚のところに遊びに行っていたので、水、ガスが復旧するまでの約2ヶ月間、親戚宅に厄介になっていた。水のないときは、1人でも家族が少ない方が楽だ。

         

        トイレは我が家の場合、幸い家に庭があったので皆で話し合い、小便は庭で、大便はたまたま母が風呂のお湯を抜かずにおいてあったので、バケツで1回ずつ運んで使用した。この水は水道が復旧するまでトイレに使用できた。食事は母が買い置きしていたカンズメなどを食べ、煮炊きはカセットコンロを使った。水は貴重なので、皿や器はティッシューペパーやキッチンタオルで拭いた。

         

        水は、近くの中学校に給水車が決まった時間にやって来るので、ポリタンクやパケツに入れて家まで運んだ。重いので家が遠い人やお年よりには、とても苦痛だったと思う。それ以来我が家は、ペットボトルを常時備えることにした。緊急持ち出用バッグの中には懐中電灯、ローソク、マッチ、カンパン、携帯ラジオ(これは大変役に立ちます)、小銭(公衆電話用)、缶きり、下着、三角巾、アルミフォイル(これはお皿のかわりに使える)、ラップ、携帯ナイフなどを入れている。

         

        震災後、トラウマとなって2、3年は何時でも逃げられるように洋服を着て寝ていた。阪神淡路大震災で亡くなった方は6千人以上、毎年1月17日には神戸で慰霊祭が行われている。災害は忘れた頃にやって来る。亡くなった方々の命を無駄にしないためにも私達は何時起こるかわからない地震に備える必要がある。

         

        文:吉田千津子 写真:奥村森

         

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        Thanksgiving Day

        2016.12.23 Friday 14:00
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          南大沢日記

           

           

          Thanksgiving Day

           

          Thanksgiving Day food 感謝祭の準備

          Thanksgiving Day food 感謝祭の準備

           

          11月になると思い出すことがある、Thanksgiving Day(感謝祭)である。感謝祭はアメリカ人にとっては大切なイベントの一つであり、それは毎年11月の第4木曜日に行われる。この日のために、彼らは1〜2週間前から七面鳥、パンプキンパイ、クランベリー・ソース、ヤム(さつまいもに似たいも)などの準備にとり掛かる。

           

          七面鳥はスーパーマーケットによっては50ドル、100ドル以上の食料品を買った人に「お買い上げの方には無料の七面鳥を差し上げます」との広告をするので、主婦たちは値段を見比べながらスーパーを選ぶ。

           

          たいていの七面鳥は冷凍されているので2〜3日前から解凍する必要がある。解凍が終わったらオーブンで焼き上げるが、なにしろ10キロ以上もある七面鳥を夕方のディナーに間に合わせるには朝から焼きはじめなければならないので大変だ。

           

          私も一度七面鳥を焼こうとしたが、うっかりして解凍が遅れ、その日に間に合わなかったことがあった。それ以来、我が家では七面鳥のかわりに何時も簡単なハムを焼くことにしていた。七面鳥を焼く係りは、何故か男の役目となっている。今は亡き隣家のパピーも毎年感謝祭の日には、朝から腕をふるっていた。勿論、夕方には私はちゃっかりとパピーの家族の一員として、彼の焼いた美味しい七面鳥のご相伴にあずかっていた。

           

          クランベリー・ソースは、1センチくらいの赤い実で感謝祭やクリスマスには欠かせない果実である。この実を砂糖で煮て七面鳥と一緒に食べると、甘酸っぱい味と七面鳥との相性は抜群である。私達は、粒のあるクランベリー・ソースを Real(本物)クランベリー・ソース、ゼリー状のものを Artificial(人工)クランベリー・ソースと勝手に呼んでいた。

           

          ヤムは、マシュマロをのせてオーブンで焼く。パンプキンパイは沢山のホイップクリームを乗せて、この日ばかりは皆ダイエット返上で家族や親戚が集まってワイワイガヤガヤと食事をするのである。勿論食事の前には感謝の祈りを忘れない。

           

          もうひとつ Thanksgiving Day で思い出すものは、アメリカン・フットボールである。この日は一日中フットボール試合が放映され、ビールを片手にポップコーンを食べながら男達はテレビの前に釘づけになる。フットボール・ウィドー(フットボール未亡人)という言葉が生まれたぐらいだ。

           

          このシーズンが始まるとテレビにへばりつく旦那に嫌気がさして、離婚する夫婦が増えると聞いたことがある。感謝祭が終わるとクリスマス商戦が始まり、あちらこちらで飾りつけされる。いつも楽に駐車できたパーキング場も、獲物を狙らう鮫のようにぐるぐると回り、駐車場所を探す車でいっぱいになる。こんな思い出も今となっては懐かしい。

           

          文:吉田千津子 写真:奥村森

           

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          友人ケイチャンのモッタイナイ精神

          2016.12.23 Friday 11:06
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            南大沢日記

             

             

            友人ケイチャンのモッタイナイ精神

             

            Garage sale ガレージセール

            Garage sale ガレージセール

             

            私は子供の頃、父の転勤で2〜3年ごとに引越しをした。小学校3回、中学校3回、高校2回と日本中を転々としていた。父の転勤場所は兵庫、大阪、香川、愛媛、愛知、岡山県とさまざまで、再度住んだ場所もある。中学校時代には10カ月で転校する事になり、ちょっと嫌になった。

             

            引越しは悪いことばかりではない、そのお陰で引っ込み思案だった性格も高校生になった時には別人のように外交的になっていた。友達をつくるのも早かったが、忘れるのも早かった。そんなわけで日本にいる友人は極端に少ない。

             

            友人のケイチャンとは、めずらしく数十年の付き合いである。といっても海外生活が多かったこともあり、年に何度かの手紙と年賀状、クリスマスカードのやりとりぐらいだった。最近2人とも60代に近づいたせいか、メールや電話をする機会が増えた。

             

            ケイチャンは男の子3人、女の子3人の大家族である。子供のいない私には、6人の子供を育てることを考えるだけでも気の遠くなるような話である。ケイチャンの子育ては苦労が多かったと思う。少子化が進む日本にあっては表彰されてもよい。

             

            先日、一枚の見慣れない女の子の写真がメールで送られてきた。ケイチャンの孫の写真で、どこか見覚えのあるロングドレスを着ている。ケイチャンいわく、このドレスは私が30年前に一番上の娘にプレゼントしたものだという。

             

            30年に渡り5人(娘3人に孫2人)に大切に着てもらっているのを聞いてびっくりした。こんなに1枚の服を大事にしてもらえていることに嬉しく思い感謝した。このケイチャンのモッタイナイ精神、物を大事にする考えは見上げたものだ。メディアでは、マータイさんの「モッタイナイ」運動が世界に広がっている。

             

            私の母の時代は、物も少なくモッタイナイ精神が普通だったが、今の日本は物があふれ、使えるものでもすぐに捨ててしまう風潮がある。以前、世田谷に住んでいた頃、3〜4月の引っ越しシーズンになると、まだ使える電化製品がゴミ集積所に山のように捨てられていた。この浪費社会に待ったをかけるモッタイナイ精神を、私達日本人が推進すればゴミの少ない世界が実現するに違いない。

             

            文:吉田千津子 写真:奥村森

             

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            アメリカの経済対策

            2016.12.23 Friday 10:44
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              南大沢日記

               

               

              アメリカの経済対策

               

              American House アメリカの家

              American House アメリカの家

               

              2010年9月29日から一週間、ロスアンゼルスに行ってきた。毎年2回のアメリカ旅行は恒例となっている。着いた週の月曜日は華氏113度(摂氏44度)を記録したという。カルフォルニアは日本と違い乾燥しているので湿気の多い日本の44度とは違うが、それでも市街では初めてのことだという。日本も2010年の夏は猛暑だったので、世界中異常気象になっていることは間違いない。

               

              アメリカも日本と変わらず、不景気風が吹いている。6ヶ月前には大型家電店だった店が、今回行ってみるとスーパーマーケットになっていた。ところが週末のファミリーレストランのブランチは大変なにぎわいで、何処が不景気なのかと目を疑ってしまう。日本もファーストフード店は不況しらずと聞く。

               

              夕方、ニュースをみているとコンベンション・センターに朝から珍しく大勢の人がつめかけて、長蛇の列をつくっている。彼等は家のローンが払えなかったり、2〜3ヶ月延滞していて、このままだと家を失ってしまう人達だ。プライムローンやリーマンショック、様々な問題が起こるなかでレイオフされたり、職を失うアメリカ人が増えている。

               

              この人達を救済するために9月30日から数日間、国が銀行と交渉し救済対策を講じたのだ。例えば、10年前に家を購入した人の金利は5%だったが、今は2.5%から1.5%になっている。それに家の価値も以前よりも下がっているので銀行と話し合い、現在の家の価値に見合った支払いと金利の見直しをすることによって、毎月のローン額を下げ、家を失う人々を救おうという作戦だ。

               

              家がフォルクロージャー(差し押さえ)になってしまうと、ますます不景気におちいるからだ。インタビューされた主婦は「これで、毎月1千ドルもローンが減って、家を失う心配がなくなりホットしています」と答えていた。

               

              日本の新聞には、今日も競売物件の知らせが載っている。日本政府も、こんな粋な計らいをする国家になったら競売にかかる家も減り、ローンの支払いに困っている人々を少しでも助けることが出来るのではないかと思った。

               

              文:吉田千津子 写真:奥村森

               

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              かけがえのない友人の死

              2016.12.23 Friday 10:16
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                南大沢日記

                 

                 

                かけがえのない友人の死

                 

                Pappy

                Pappy

                 

                2009年6月、私はかけがえのない友人を失った、100歳だった。彼の名は、Percy Becker。みんなは、彼をPappy(パピィー)と呼んでいた。彼と知りあったのは、30年以上も昔、ロサンゼルスと日本を仕事で忙しく飛び回っていた頃だ。

                 

                ある朝、「ハァーイ」と声をかけてくれたのがベッケル夫妻だった。2人ともネブラスカ出身、とても気さくで話し好きだった。すでに退職して年金暮らしだったが2人の生活はとても楽しそうで、私も老後は彼らのような人生をすごしたいと何時も思っていた。

                 

                1年のうちの3〜4ヶ月はキャンピングカーに乗ってアメリカ全土を旅行。行く先々で沢山の友人を作っていた。ロスアンゼルスの自宅にいる時も、朝からスケジュールがいっぱい。決してボーッと座ってテレビなどを観ない。

                 

                朝の運動は2人で近所を一周して、前庭に投げ込まれる新聞を各家の玄関のドア前におく。アメリカの新聞配達は車の窓から玄関めがけて投げるからだ。日本のように丁寧にポストに入れてはくれない。アメリカの新聞は日本のものよりぶ厚く、新聞受けに入らないからだ。

                 

                パピィーが退職したのを期に妻のビューラも主婦業を退職、朝、昼の食事は各自が作り、夕食はビューラが作るのだ。パピィーの朝食は何時もオートミールと果物。昼食は前夜に残ったミートボールサンドなどを食べていた。妻のビューラはガールスカウトの連中と昼食だ。

                 

                生活は質素そのもの、そして毎週木曜日が買出しの日。木曜日は、新聞のフード欄に添付されるクーポン券が利用できるからだ。彼はそれを丁寧に切り抜きスーパーマーケットへ持って行くと、何セントか割引される。ダブルクーポンの日に重なると、それが2倍となるからたまらない。その日を待っているアメリカ人は相当多い。パピィーもその中のひとりで「ごらん、今日は5ドルも倹約したぞ」とレシートを自慢げに私に見せるのであった。

                 

                お気に入りのワーゲンも全て自分の手で整備をするし、2〜3年に1度は家の内外の壁をペンキで塗りかえる。屋根の修理、台所、浴室のリフォームもお手の物だった。私には彼がスーパーマンに見えた。アメリカでは人件費が高いので、なるべく人に頼まず自分でする人が多い。

                 

                我が家の雨漏りがひどくなり、パピィーと一緒に屋根に登りコールタールと格闘しながら修理したことを思い出す。彼の自慢は、子供のころから病気ひとつしたことがないことだ。処方箋の薬も飲んだことがないし、入院もしたことがない。

                 

                何時も考えがポジティブで、私が必要なときには必ず助けてくれた。その頃、私はアメリカ人の夫との離婚問題もあり、最高の相談相手だった。自分の父より身近で、いろいろな話をした。その後アメリカに行った時には、必ずパピーの家を訪ねた。

                 

                娘のバーバラによると亡くなる3日前まで元気で散歩し、最後の2日だけ病院に入ったと聞いた。彼の最初で最後の入院だった。

                 

                文:吉田千津子 写真:奥村森

                 

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                悲しいモラルの低下

                2016.12.22 Thursday 17:39
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                  南大沢日記

                   

                   

                  悲しいモラルの低下

                   

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                  長年使用していた携帯電話のバッテリーが弱り、充電できなくなったので買い換えることにした。店を訪ねると店員が「無料で音楽が聞けるOOサービスをオプションで付けましょう」と言う。私は「そんな機能は必要ない」と断った。電話やテレビで音楽を聴くのは邪道だと思っているからだ。

                   

                  「電話は単なる通信機器だからいらない」と私が何度言っても、彼はしつこく引き下がらない。そして「3ヶ月間は無料ですから、必要がなければ3ヶ月後においで下されば契約解除できます」とスッポンのように食いついて放さない。

                   

                  とうとう根負けして、その勧めに乗ってしまった。冷静に考えると、あの時もっと強行に断れば良かったと思うが後のまつり。3ヶ月経って店を訪ねると「2ヶ月間は無料とは言ったが、3ヶ月間とは言っていない」と嘘ぶく。請求書には、すでに料金が自動引き落としされている。

                   

                  「これでは詐欺ではないか、たとえ小額だとしても嘘をついて客を騙すのはよくない」語気を強める。店員は「誤解を与えるような説明をして申し訳ない」とまるで私が理解力の足りない人間だといわんばかりである。

                   

                  その嘘が証明されたのは、「私は忘れっぽいから、3ヶ月後に解約と書いておいて」と購入時に、彼から一筆書いてもらった領収書が残っていたからだ。それでも私の聞き間違いだと譲らない。その態度がますます癇にさわった。「はっきりした証拠があるのに非を認めない、こうなったら出る所にでましょう」。さすがの彼も「売り上げを伸ばすために嘘をついてしまった」と詫びた。

                   

                  最近よく感じるのだが、自分の失敗を人のせいにする人が多い。「こんな事件を起こしたのは親のせいだ、こんな結果になったのはあの人のせいだ」と何でも他人の責任にして謝らない。そういう不届きものが、どんどんと増殖しているのが悲しい。

                   

                  文:吉田千津子 写真:奥村森

                   

                  (重要)ここに掲載する記事、写真等は全て著作物です。

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                  言語

                  2016.12.22 Thursday 17:12
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                    南大沢日記

                     

                     

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                    Bamboo 竹林

                    Bamboo 竹林

                     

                    楽天やユニクロが社内公用語を英語にすると発表して話題になっている。日本人は、どちらかというと外国語アレルギーだと思う。それはヨーロッパのように隣接した国がなく、島国で隔離されているからかも知れない。

                     

                    私は人生の半分を海外で暮してきたおかげで、英語とポルトガル語を話すことが出来る。しかし、今回ニュースになった楽天やユニクロでの社内英語公用語については、ちょっと違うような気がする。この2社の内のどちらかは忘れたが、2年以内に英語をマスターしないと首になるという話も聞いた。果たして英語ができると、その人は世界に通用するグローバルな人間なのだろうか?

                     

                    グローバルな人間とは、異文化の違いを互いに理解し合って共生できる人のことであり、言語を話せるだけの意味ではない。ただ言語を話せるだけでは片手落ちのような気がする。まずは、日本人として日本語、文化、歴史を勉強して、ちゃんと日本人として確立された人格形成ができてから、他の言語を学ぶほうが良いと思う。国籍の分からない根無し草の人間を作ってもどうしようもない。

                     

                    海外に住んで、つくづく思うのは、いかに自分が日本のことを知らないかということである。日本好きのアメリカ人から色々質問され、あたふたとして困ったことがあり、自分の不勉強を恥じたものだ。言語というものは、単に伝達の道具であり、その背後にある生活、文化、考え方などを理解することによって、やっとその言葉が完成するのだと思う。

                     

                    テレビで英語の出来る幼児が得意そうに、脳のシステムを英語で外国人の先生と質疑応答していたが、あれはただの言葉遊びで脳のシステムを理解して話しているわけではない。勿論小さい子供の脳はやわらかく、吸収力や好奇心が旺盛なのは理解できる。だが、憶えるのも早いが忘れるのも早いのである。

                     

                    最近、若い人達の国語力や常識のレベルが低下しているように感じる。私の姪が、小学一年生になった時、その教科書のうすっぺらい事、私の子供時代と比べると比較にならない。日本語の教育をないがしろにして、外国語を学んでも二兎を追うものは一兎も得ずになるのではと危惧する。

                     

                    文:吉田千津子 写真:奥村森

                     

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                    公衆電話

                    2016.12.21 Wednesday 11:16
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                      南大沢日記

                       

                       

                      公衆電話

                       

                      Stanton Av

                      Stanton Av. Glendale スタントン通り グレンデール

                       

                      1989年、長年住みなれたロスアンゼルスから帰国したとき、電話が必要となり(その頃、携帯電話はまだ普及していなかったので家庭用電話だった)、近所の家電量販店に買いにいった。私はシンプルな電話機が欲しかったのだが、そのようなものは1台もなかった。

                       

                      すべての電話機には、ボタンがやたらと付いて煩雑きわまりない。店員に「話をするだけのシンプルなものはないの?」と尋ねても、「何を言ってるんだ、日本の電話機はこうなんだ」と馬鹿にされた。腹が立ったので彼に「それじゃ、この機能を全部使いこなせる人はいるの?」と聞いてみた。すると、「イヤ、それはいないでしょう」との返事。

                       

                      必要ない人には余計な機能をつけず、シンプルなものを作ったらどうなのだろう。その時は仕方なしにボタンの少ない安価なものを買ったが、それでも2万6千円もした。値段もアメリカに比べたらベラボウに高い。

                       

                      日本人は金持ちだなと思った。その頃、アメリカの電話機は20ドル位から購入でき、日本円にして5000円も出せば良いものを買うことが出来た。勿論日本の電話機のように多機能ではないが、シンプルでとても使いやすいものであった。

                       

                      以降、毎年ロスアンゼルスを訪れているが、改めて電話代の安さにビックリする。私が住んでいた頃には、日本はアメリカの4倍の電話料金であったことを思いだす。今回5ドルのテレホンカードをチャイニーズ・マーケットで購入したら、これでアメリカから日本に2時間50分もかけられるのである。

                       

                      このテレホンカードは地域別になっていて、アジア、ヨーロッパ、アメリカ国内、アフリカなど様々な種類がある。自分がかける地域カードを買えばよい。日本も以前から比べると安くなったが、まだまだ高いのが実情だ。毎日の生活費は安いにかぎる。

                       

                      話は変わるが、ある事件をきっかけに100歳以上のお年寄りが多数行方不明になっていたのが判明した。朝日新聞(2010年8月13日付)によると279名もの不明者が見つかったという。長寿国と称された日本は、このような現実みのない統計の上に成立っていたことが暴露された。真実を知れば、世界一の長寿国と浮かれている場合ではない。今こそ、基本を大切にした社会づくりが必要なのではないか。

                       

                      文:吉田千津子 写真:奥村森

                       

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                      のら猫

                      2016.12.21 Wednesday 10:50
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                        南大沢日記

                         

                         

                        のら猫

                         

                        Ayumu Stray cat あゆむ オス 2ヵ月半 野良猫 「保護猫広場ラブとハッピー」 東京都日野市南平

                        Ayumu Stray cat あゆむ オス 2ヵ月半 野良猫 「保護猫広場ラブとハッピー」 東京都日野市南平

                         

                        我家では猫を一匹飼っていた、名前は「タヌー」。ちょっとフランス語きどりでつけた。本当はタヌキ顔をしていたのでタヌキにしようと思ったが、それでは余りに可哀想なのでキをとってタヌーとなった。

                         

                        1994年のある夏の夜、タヌーは、当時世田谷にあった我家に客人と一緒に現れ、そのまま居ついた。正真正銘の野良出身である。野良猫を見ると、ほっておけない性分は子供の頃から治らない。我家には何時も色んな動物が拾われて来た。犬、猫はもちろんのこと一度は弟が近所の広場から子ヤギを拾ってきて母が困っていた。

                         

                        タヌーのあとも次々と猫を拾った。病気になり捨てられたブランド猫が多かった。雪が降った寒い朝、草むらにうずくまる灰色の猫を見つけた。ロシアン・ブルーで、目やにだらけでショボショボの目がつぶらな瞳になるようにとの願いをこめ「ツブラ」と命名した。

                         

                        年老いて歯もボロボロ、猫エイズにもかかりガリガリに痩せて食欲もなかった。近所の獣医さんに毎週点滴をしてもらったが、そのかいもなく半年後に死んでしまった。次の猫はシャム猫、夏の暑い日にノミだらけで瀕死の状態だった。何とか猫好きの郵便屋さんから、わずかなキャットフードをもらいながら生き延びていたらしい。郵便屋さんに感謝の気持ちを込めて「ポスト」と名づけた。獣医さんに駆け込んだが、一週間目に主人に看取られながら天国に逝ってしまった。

                         

                        3番目に私が発見したのは、小さな三毛猫で暖かな春の日、道路のど真ん中で寝そべっていた。もう死んでいるのかと思ったが、呼ぶとムクッと起き上がる。道路の真ん中では車にひかれてしまうので、横に寄せたが又寝そべるので仕方なく保護。

                         

                        やせている他は病気もなさそうなので一安心。しかし栄養不良で足もとがおぼつかない。フラフラしているので「フラ」と命名。人なつこい猫なので、きっと迷い猫にちがいないということになり、フラちゃんの写真を撮ってビラを作り、近所の電柱など数ケ所に貼ってみた。

                         

                        数ヶ月たち、ビラも剥がされボロボロになった頃、一本の電話。フラちゃんの飼い主からだった。フラちゃんは我が家に数ヶ月逗留し飼い主のもとへ帰っていった。ハッピーエンドのケースであったが、間もなくして「死んだ」という知らせを受けた。今ツブラとポストは調布の動物霊園で眠っている。

                         

                        統計によると18万匹の犬猫が、毎年殺処分されているという。この世の中から一匹でも野良猫や野良犬がなくなるように人間は責任を持って飼ってほしい。ブランド犬や猫を買うのなら一匹でも保健所に行く犬猫たちを助けてやって欲しいと思うのは私だけだろうか。地球は人間だけのものではなく、全ての生き物のためにあるのだから。

                         

                        文:吉田千津子 写真:奥村森

                         

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                        行列好きな日本人

                        2016.12.21 Wednesday 10:20
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                          南大沢日記

                           

                           

                          行列好きな日本人

                           

                          Farmers Market Los Angelesファーマーズ・マーケット ロサンゼルス

                          Farmer's Market Los Angeles ファーマーズ・マーケット ロサンゼルス

                           

                          ラジオをきいていたら大崎にある有名ラーメン店が、大繁盛を理由に閉店するという。とても変な話なのでよくよくきいてみると、毎日沢山の客がつめかけ長蛇の列ができる。待ち時間が1〜2時間は普通、近所からは「喧しい、タバコをポイ捨てして道路を汚す」など店に苦情が相ついだことが原因だという。

                           

                          それにしても日本人は行列をして待つのが好きらしい。炎天下でも木枯らし吹きすさぶ冬でも。デパ地下でもよく行列を目にする。その先には焼きたてのパン、作りたてのケーキ、限定品の食品などがある。

                           

                          私の義理の妹は長い行列を見つけると必ず並ぶのだという、先に何があるのか分からなくても、まるで食料事情の悪い国のようだ。私も食べることは大好きだが、長蛇の列なら他に行く。また次の機会でも別にかまわないからだ。

                           

                          長年住んでいたロスアンゼルスでは、日本で見るような長蛇の列をレストランでは見たことがなかった。週末は何処のレストランでも平日より大勢の客が詰めかけるが、待つのはレストラン内(椅子が備え付けてある)かレストランに併設されているバーで何かを飲みながら待つ場合が多い。

                           

                          しかし、最近異変が起きている。ロスアンゼルス郊外のアルカディア(中国人のビバリールズと呼ばれている)の中華レストランの状況はちょっと違う。土、日曜日ともなると日本と同じように長蛇の列がレストランの外まで伸びている。1時間待ちも、ものともせずに並んでいる。

                           

                          日本人と中国人に共通するアジア人特有の忍耐強い性格が行列をつくらせているのかもしれない。そういえば、私はとてもせっかちなので行列アレルギーである。行列に並ぶべきか否かは私にとっては問題ではない。

                           

                          文:吉田千津子 写真:奥村森

                           

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                          日米デジタル事情

                          2016.12.21 Wednesday 09:03
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                            南大沢日記

                             

                             

                            日米デジタル事情

                             

                            Hollywood ハリウッド

                            Hollywood ハリウッド

                             

                            2011年7月、アナログテレビが全てデジタル化された。我家のアナログテレビには、葬式写真のような黒枠が出来ていた。コマーシャルの時は以前のように見えるのだが、番組が始まると急に画面が小さくなった。

                             

                            何しろ我家のテレビは、14インチでおまけに二人とも目が弱ってきているので大変見えにくい。テレビが壊れたのかと一時思ったが、ラジオでアナログ化促進のため黒枠を付けているのだと知った。その黒枠の上下に、毎日しつこく「このテレビは来年7月には見られなくなります」とテロップが流れる。

                             

                            一足先にデジタル化に踏み切ったアメリカはこうだった。ロスアンゼルスに住む友人アリスに聞いてみた。アリスのテレビは未だアナログだったが、買い換えることなくチューナーを付け観ることが出来た。

                             

                            アメリカ政府はデジタル化移行の前年に、チューナー購入のため、60ドルの小切手を全国民に送付したという。不届き物は、そのお金を生活費に使った輩もいたらしい。勿論新しいテレビを買った人もいるが、まだ使えるアナログ・テレビを無駄にせずチューナーを設置するだけで十分なのである。

                             

                            日本政府は、ほとんどチューナーのことを説明もせずに「エコポイントが付きます、早く新しいデジタルテレビの購入を」と騒ぎ立てていた。新しい物を買って、どんどん古い物を捨てるアメリカ消費文化は今、日本社会がそのお株を取ってしまっているように感じる。ゴミ集積場にテレビの山が出来ていたに違いない。エコポイントで反エコロジーな現実が見えてくる。

                             

                            文:吉田千津子 写真:奥村森

                             

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                            盲導犬

                            2016.12.21 Wednesday 08:41
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                              南大沢日記

                               

                               

                              盲導犬

                               

                              Dog 犬

                              Dog 犬

                               

                              京王線南大沢駅は、都心から遠いので身体の不自由な人やお年寄りにとっては席に座らないと厳しい。車両には「おもいやりゾーン」があり、こういう人たちのために優先席が用意されている。

                               

                              帰路につくため乗車したのは夕刻だった。中高生の下校時間と重なったのでかなり混んでいた。僕は、新宿から間もない明大前駅から乗車したので優先席に座ることができた。優先席は行儀よく腰掛けると4人は座ることが出来る。調布駅で横にいた2人が下車、代わりに男子高校生が、その場所に1人で2席を独占して座った。

                               

                              茶髪の彼はパンツが見えるほどズボンを下げ、胸をはだけ、大股開きで足を組んで座った。近くの乗客は関わると厄介だから見てみぬふりをしている。

                               

                              途中駅から盲導犬(白いラブラドール)と目の不自由な外国人女性が乗車してきた。盲導犬は彼女を素早く「おもいやりゾーン」に誘導した。僕が席を譲ろうと思った、その瞬間、男子生徒の前に座り、組んだ足に前足で3度、ポン、ポン、ポンと触れた。

                               

                              周りの乗客は、固唾を呑んで見守っていた。寝たふりをしていた高校生はしぶしぶ席を立った。外人女性が「サンキュー」とひとこと言うと、高校生はバツが悪そうに去っていった。

                               

                              もし誰かが、その青年に無理やり席を立たせていたら、恐らく喧嘩になっていただろう。相手が犬ではどうしようもない。僕は、的確な判断をする盲導犬の素晴らしさに感動した。

                               

                              文と写真:奥村森

                               

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                              友人の死

                              2016.12.21 Wednesday 07:02
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                                南大沢日記

                                 

                                 

                                友人の死

                                 

                                Prayer 祈り

                                Prayer 祈り

                                 

                                2010年7月、友人で編集プロダクションを経営していた佐藤珠樹さんが亡くなった。享年49歳、あまりに短かい人生だった。この年の4月に掛かりつけの医師に勧められ、精密検査を受け末期癌であることが判明、その直後に電話をもらった。

                                 

                                「あの〜、やばいことになりました」

                                「どうしたの」

                                「え〜、癌を宣告されました」

                                 

                                僕は直ぐに会社に駆けつけ、佐藤さんの気もちを少しでも和らげることが出来ればと考えた。そして進行中の仕事を健康状態が安定するまで代役できないものかと伝えた。彼のショックは大きいようだったが、いろいろのことに平静を保とうと努めているのがわかった。

                                 

                                間もなくして佐藤さんは、南大沢にあった僕のマンションを訪ねてきた。これまでも何度か家に泊まり、近くのスーパー温泉でストレスを発散させるのが慣習だった。その日、夕暮れの露天に置かれる畳に二人で裸で寝ころびながら人生や仕事について語り合った。

                                 

                                僕も4年前に癌を宣告された経験があった。その頃の気もちを佐藤さんに伝えた。「癌と知って衝撃は受けたけど、僕も波乱万丈の人生だったから、これで死ねるのなら楽になれるとも思ったなあ」。

                                 

                                「・・・・、僕にもそれはありますね」

                                「入院で病室が一緒だった患者は、どこか達観していた。だけど、生きることを諦めてるようにも見えた。そんな中で生還したのは、医師と患者が信頼しあって二人三脚で病気に立ち向かった人だけだよ」

                                「・・・、そうでしょうね」

                                 

                                その後、佐藤さんはいろいろな病院を訪れ医師の診断を仰いだり、インターネット情報を収集していたが、入院に至ったのは6月末となぜか遅れた。その間、電話やメールのやりとりでは「元気です、奥村さんは大丈夫ですか」と自分より人を気づかうのであった。

                                 

                                これまでの仕事を振り返っても、クライアント、カメラマン、ライター、デザイナーなどの我がままを一手に引き受け、怒ることなく我慢を重ねて仕事を貫徹するのが佐藤珠樹さんの誰にも真似ることの出来ない凄さだった。

                                 

                                末期癌を宣告されても、病床中の父親や社員の今後を心配して全力を尽くしていた。「こんなに優しい人をどうして神様は召してしまうのか」そう思ったが、再起の表情を眺めると穏やかで一点の曇りもなかった。

                                 

                                僕は、佐藤珠樹さんの生涯は幸せだったと信じることにした。そして、彼の天命は短かったけれど、僕は長生きして彼の分まで生きることを誓った。

                                「佐藤さん、有難う。僕が君のところに行くまで待っていて下さい。また、温泉に行こうな」。

                                 

                                文と写真:奥村森

                                 

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                                泣き面にカラス

                                2016.12.20 Tuesday 14:18
                                0

                                  南大沢日記

                                   

                                   

                                  泣き面にカラス

                                   

                                  イメージ

                                   

                                  2010年7月は、ムシムシとした暑い日が続いた。杉並にあるカルチャーセンター、松庵舎で写真教室を終えて井の頭線・三鷹台駅へと向かっていた。

                                   

                                  疲れきっていたのでうつむいてヨロヨロと歩いていると、突然頭のてっぺんに「ビシャ」コップ一杯ほどの液体が降ってきた。初めは何が起きたか理解できなかったが、しばらくすると悪臭が漂い、鳥に小便をかけられたのだとわかった。

                                   

                                  上方を見渡したが、もうそこに犯人の姿はない。これだけの分量から察すると、恐らくカラスの仕業に違いない。悪気はないのだろうが、カラスが人の迷惑など考えるはずもない。最近は、カラスにも劣る人間が増殖している。

                                   

                                  人の好意を無にして、平気で後ろ足で砂をかけるやからがなんと多いことか。ある意味カラスより悪質である。「あ〜あ、カラスにまで馬鹿にされるとは情けない、泣きっ面にカラスのション便」である。

                                   

                                  文と写真:奥村森

                                   

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                                  八王子市鑓水

                                  2016.12.20 Tuesday 10:42
                                  0

                                    南大沢日記

                                     

                                     

                                    八王子市鑓水

                                     

                                    Mt.Fuji 富士山

                                    八王子市鑓水

                                     

                                    今は宝塚に移転したが、2009年から2013年までは、東京都八王子市鑓水で暮らしていた。京王線南大沢が最寄駅である。以前は日野市に住んでいた。引越の手間や費用を考えると近場が良いと思ったからだ。転居を決めてから、日野市周辺の不動産屋を次々と訪ねて物件を探した。しかし、条件に適した物件は、なかなか見つからなかった。

                                     

                                    僕は、カメラマンの仕事をしているから機材が多く、通常サイズのマンションでは荷物の隙間で暮らす生活を強いられる。ある日、情報誌を何気なく見ていると広いマンションが掲載されていた。URが管理する南大沢周辺の物件だった。すぐに現地案内所を訪ねることにした。案内所は、南大沢駅から巨大なアウトレットを通り抜け、首都大学付近の美しい桜並木沿いにあった。

                                     

                                    これまで訪ねた不動産屋は傲慢で入居者を客とも思わぬ姿勢が際立っていた。だが、ここは違う。親身に入居者の立場で相談に応じてくれた。幾つかの物件を見て、10階にあるマンションに決めた。天気のよい日なら、ベランダから富士山や丹沢の山々が望めるのが嬉しい。近くには2つのスーパーがあり歩いて2分の場所にあるから、とても便利だ。

                                     

                                    マンションは多摩丘陵にあり、猛暑でも避暑地のような涼しい風が通り抜け、エアコンを使うことはめったにない。小山内裏公園など自然豊かで、毎日の散歩が楽しかった。

                                     

                                     

                                    文と写真:奥村森

                                     

                                    (重要)ここに掲載する記事、写真等は全て著作物です。

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                                    Calender
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