画家・越後光詞さん

2018.09.09 Sunday 06:30
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    宝塚からの宅急便

     

     

    画家・越後光詞さん

     

    画家・越後光詞 Koji Echigo

    越後光詞さん

     

    1995年、友人の西佳彦さんの紹介で越後光詞さんと出会った。東京のギャラリーで個展を開催していた。モダンな姿が強く印象に残った。先日、久しぶりに西さんと会った。西さんの両親は幼い頃離婚、越後さんの家族に育てられたのだという。多感な時期に越後さんは話相手となり、孤独に襲われる西さんを救った。現在、西さんは競争の厳しいテレビ業界で本格派のディレクターとして活躍している。


    改めて越後光詞さんの作品を眺めると、優しいながらも秘めたる強さを感じる。西さんは、この絵を眺めて勇気づけられたのだろう。今も西さんは越後さんに感謝と尊敬の念を抱いている。                             

    画歴
    札幌、東京、京都、大阪などで個展開催
    巨大絵画制作や様々なジャンルのアーティストとのコラボレーション
    子どもや音楽アーティストとワークショップで絵画制作
    ジンバブエの子ども達との絵画ワークショップ
    児童会館の子供達と会館20周年記念作品を合同制作

    展覧会
    札幌 ・大同ギャラリー個展、市民ギャラリー1階全室使用個展、札幌パークホテルギャラリー個展、時計台ギャラリー個展、さいとうギャラリー個展、札幌市芸術の森工芸館ベストポケットギャラリー個展、札幌市資料館個展、コンチネンタルギャラリー個展、ギャラリーエッセ個展、 小樽 ・さとう画廊、宮井額縁店、三越ギャラリー、北一ガラスギャラリー、堺町浪漫館、北の誉酒造「酒泉館」石倉回廊、運河プラザ3番庫ギャラリー全室個展、京都 ・堺町画廊二人展、ヤマモトギャラリー二人展、東京 ・渋谷神宮前ギャラリーY&Y個展、新宿・ポルトリブレ二人展

    フェンスアート
    中島児童会館工事用フェンス 全長120M壁画制作、札幌市中央区南1条西2丁目まるいちさいとうビル建設工事用フェンス、札幌市芸術の森アートホール建設工事用フェンス215M壁画制作

    ワークショップ他
    大阪港区旧加藤汽船ビル1Fアートイベント参加、札幌琴似コンカリーニョ 巨大絵画制作 児童とワークショップ、小樽倉庫1 ライブペイント、白老飛生芸出祭参加、ジンバブエの子ども達と共同絵画制作、札幌宮の沢児童会館20周年記念作品 児童と共同絵画制作

     

    文と写真:奥村森

     

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    保護猫広場ラブとハッピー

    2017.01.06 Friday 11:25
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      宝塚からの宅急便

       

       

      保護猫広場ラブとハッピー

       

      Hacchi 保護猫広場ラブとハッピーの看板猫 ハッチ

      Hacchi 保護猫広場ラブとハッピーの看板猫 ハッチ

       

      2015年11月20日、「保護猫広場ラブとハッピー」が東京都日野市南平にオープンした。保護猫広場を主宰する酒井裕見子さんが、猫の保護を始めたのは2000年の事件がきっかけだった。

       

      2匹のノラが虐待され、3本足になった猫事件からだ。その中の1匹は、お腹に子を身ごもっていた。後に、この猫たちをラブとハッピーと皆が呼ぶようになり、それに因んで施設の名称とした。

       

      ひとりでも多くの人に、猫を大切にする気もちを持って欲しい、1匹でも多くの猫を救いたい。これ以上ノラが増えないよう去勢手術を施し、傷を負った猫たちの治療に努めた。同じ活動をする仲間との交流も深まり、情報交換や助け合いも活発になった。

       

      ネットワークのなかに「きもと動物病院」の木本先生がいた。開業時から保護猫値段を設定、安価で去勢やワクチン注射をしてくれたので助かった。だが、酒井さんは活動に限界を感じ始めていた。その頃、近隣で同じ活動をする動物管理責任者の資格を持つ舟崎真理さんを始めとする仲間達と出会った。

       

      すでに酒井さんと舟崎さんの家には、多数の保護猫で溢れ、もう限界だった。同じ目的をもった者同士が意気投合、保護猫広場を設立することにした。

       

      まずは施設の場所探し、余程の理解者でない限り貸して貰えないと覚悟はしていた。しかし、たまたま訪れた動物好きの不動産屋さんが、同じく動物好きのビル所有者、多田眞砂子さんを紹介してくれた。

       

      次に、第一種動物取扱登録書や動物取扱標識などを東京都から認可を得なくてはならない。こちらも既に日野市三沢で保護施設を運営していた「にゃんぷく」の八木さんが懇切丁寧に教えてくれたのでスムーズに手続きが進んだ。

       

      開設するやいなや、保護されたノラが次々と運ばれてきた。最初は険しい表情をしていた猫たちも、時の経過と共に驚くほどゆったりとして優しい表情に変わっていく。痛々しい傷跡だけが過去の厳しい生活を推測させた。

       

      ラブとハッピーの気もちが人の輪を作り、出来上がった保護猫広場、これからの活動は里親会の随時開催、ペットホテル運営、猫の一時預かりと生涯預かり、捕獲相談などがメインだが、寄付だけに頼らず独自の営業展開で定収入確保を目指すため、猫カフェや手作りグッズの販売も手掛ける。

       

      里親は、届けることが可能な地区に限定、これは猫の住環境をチェックするためだ。高齢者の場合は、その猫を引き取り継承できる家族がいること。厳しい制約だが、これも猫たちの将来を思っての優しい心遣いである。

       

      保護猫広場ラブとハッピー ホームページ

      http://lovetohappy.com/

       

      保護猫広場ラブとハッピー の猫ちゃんたちの画像

      http://www.officeokumura.com/001-c-cat000kensaku.html

       

      文と写真:奥村森

       

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      ロスアンゼルス最新事情 コヨテに襲われたモニカの愛猫・マックス

      2017.01.03 Tuesday 15:00
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        宝塚からの宅急便

         

         

        ロスアンゼルス最新事情 コヨテに襲われたモニカの愛猫・マックス

         

        ロサンゼルス

        ロサンゼルス

         

        2013年10月、ロスアンゼルスのサンタ・モニカに住む友人のモニカを訪ねた。いつもロスアンゼルス到着当日は、彼女の家に泊まらせてもらう。彼女の家に着くと何時も迎えに出てくる猫のマックスの姿が見えない。

         

        「マックス!」と呼ぶと犬のようにトコトコと走って来るとても可愛い二毛猫だ。今日は天気が良いので散歩にでも行っているのかと思っていた。そうこうしていると、彼女が勤めから帰ってきて、早く夕食を食べに行こうと急かすので、ファミリーレストランに向かった。そこで、彼女は驚くべき話を始めたのである。

         

        それは、私がロスアンゼルスに着く4日前の金曜日のことだ。マックスがコヨテに襲われて食べられてしまったのだという。「えっ〜サンタ・モニカの町の中にコヨテなんかいるの」と叫んでしまった。

         

        そういえば私は、ロスアンゼルス郊外のグレンデールに住んでいたことがあった。家は、観光名所のグリフィス・パークの裏側にあり、自然豊かな場所だった。ある朝、道路の真ん中を歩く茶色の犬を見つけた。すると隣のおじさんのパピィが、あれはコヨテだよ教えてくれたのを思い出した。ロスアンゼルスにはコヨテが出没する地域が多い。

         

        モニカの家の近くには浄水場があり、そこにコヨテが群れで住んでいて、夜な夜な町におりて来ては近所の犬や猫を襲って食べてしまうらしい。サンタ・モニカでも多くのペットが犠牲になっているとのニュースを聞いていたモニカは、夜は絶対にマックスを外に出さないよう注意をしていたが、その時に限って朝早く外に出してしまったらしい。

         

        その日は、御主人のメディカル・チェックの日で朝4時ごろ2人で起床、マックスも一緒に起きて外に出たがったので出したのだという。冬の4時はまだ暗い。マックスは毎朝早く起きて、7時頃に朝ご飯をねだるのが習慣だった。

         

        しかし、その日は何時までたっても帰って来ない。さすがにモニカも心配になり、あちらこちら近所を捜しまわったが、ナシのつぶて。夜になってもマックスは姿を現さなかった。その夜、ご主人と一緒に迷い猫のビラを作って、翌日近所に配ることにした。

         

        ビラを近所に配る前に、ヒューメイン・ソサエティー(捨てられたり、迷子になった犬や猫などを保護して、里親を探す施設)に出掛けてマックスが保護されていないかを調べる必要がある。2人は、そこを尋ねたがマックスの姿は無かった。その話を聞いていた1人の係員が「ところで、マックスの毛色は?」と尋ねた。

         

        「白と茶の二毛猫です」と答えると、彼はちょっと口ごもったように「ちょっと待って下さい。昨日そんな猫を見かけたような・・・・」と話すのである。「見てみますか?」と彼らに聞いた。何か悪い予感がする二人は覚悟の上で確認する事にした。

         

        係員が持って来たものを見たとたん、2人は息をのんだ。マックスが、尻尾と後ろ足だけの無残な変わり果てた姿と化していた。それはマックスに間違いなかった。係員の説明によると、前日友人宅の近所の人から連絡があり、庭に猫の身体の一部が落ちているから回収してくれとの依頼電話があったという。

         

        モニカ夫妻には子供がなく、マックスを我が子のように可愛がっていたので家に帰って2人でオイオイ泣いてしまったそうだ。モニカは余りの悲しさで、マックスが使っていたものや、彼を思い出させるものはすべて次の日に捨ててしまったという。そのせいで、家の中にはマックスのものは何ひとつ無くなっていたのだった。

         

        その話を聞いた夜、私も余りのショックで眠れず、ウトウトしてベッドの中で耳を澄ますと、遠くでコヨテの遠吠えが聞こえた。それはマックスが外に出た時間と同じ午前4時だった。

         

        文:吉田千津子 写真:奥村森

         

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        ヤギの話

        2017.01.03 Tuesday 14:18
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          宝塚からの宅急便

           

           

          ヤギの話

           

          山羊

          山羊

           

          朝日新聞のコラムでヤギのおもしろい話を読んで昔のことを思い出した。昭和27年頃、生まれて間もない私の弟の顔全体に湿疹ができ、かくと皮膚が赤くなり、ボロボロと剥けて可哀そうな状態だった。母乳を飲んではいたが充分ではなく、牛乳も一緒に飲んでいた。医者の診断では、アレルギー体質なのではないかという事だった。

           

          塗り薬を塗っても一向に良くならなかった。母は近所の人からヤギ乳を勧められた。栄養的にも優れているので、線路の向こうにある農家から茶色のビンに入ったヤギ乳を毎日配達してもらうようになった。ヤギ乳は消化されやすく、アレルギー源もないうえ、おまけに栄養は母乳の2倍もあるという。弟はしばらく飲んでいたら、知らない間に湿疹は嘘のように消えていた。

           

          朝日新聞によると昭和50年代、今では高級住宅街となっている目黒区柿の木坂に日本初の「ヤギ乳処理工場」が設立されたという。現在、日本のヤギ頭数は、推定約2万頭で昭和57年当時は68万頭ものヤギが飼われていたという。その8割がミルク搾乳用だったとは驚く。草を食べさせるだけで飼えるヤギの別名は「貧者の乳牛」とは良く言ったものだ。

           

          時々、私も弟が飲みきれない搾りたてのヤギ乳を飲んでみたが、生ぬるく、青臭い香りがしたのを覚えている。余り美味しいものではなかったような気がする。ヤギで思い浮かぶのは、沖縄料理の「ヤギ汁」である。沖縄の人々はヤギを今でもよく食べる。最近沖縄にヤギ牧場ができ、ヤギ乳はもとよりヨーグルト、チーズなども作っているという。

           

          ヤギ乳といえば、フランスでは何処に行ってもヤギのチーズ「Chevre シェーブル」を作っていて、とても美味しい。かたちは乳牛のチーズよりも小さく、白く柔らかいチーズである。ポルトガルのコインブラを訪ねた時には、レストランでヤギのローストを案内人のクリスチーナが「ヤギの料理はグルメなのよ」と言いながら美味しそうに食べていたのを思い出す。アメリカのスーパーでもアレルギーの子供用にヤギ乳は売られている。

           

          鹿児島大学農学部の中西教授によると、牛に比べてあまり場所も取らない上、タンパク質豊富、糞は堆肥になり、草も食べるので草取り不要ということもあって、ヤギは世界中で増え続けているという。それなのに何故、日本だけが激減しているのかと疑問を投げ掛けている。

           

          特にヤギは、エコロジー的に考えてもとても優秀な家畜だ。最近増加しているアトピー疾患にもヤギ乳は良いのではないか。これからの食糧難時代を危惧する前に、もっとヤギを飼うことを奨励してみたらどうだろうか。

           

          文:吉田千津子 写真:奥村森

           

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          ちょっといい話

          2017.01.03 Tuesday 13:49
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            宝塚からの宅急便

             

             

            ちょっといい話

             

            Dog 犬

            Dog 犬

             

            私は無類の動物好きで子供の頃から捨て犬や猫を拾ってきた。あげくのはては、一度ヤギを拾ったこともあった。そんなわけで我家には何時も動物がいた。2年前の東日本大震災では、置き去りにされ鎖に繋がれたまま死んでいった飼い犬や家猫達が野生化して増殖し続けるている現状、やせ細った牛があちこち彷徨っている話を聞くと何とかしてやりたいと心が痛む。日本では毎年、何10万匹の犬や猫が殺処分されていると聞く。

             

            2013年6月24日付の朝日新聞で「捨て犬もアテネ市民」という見出しが目に入った。ギリシャは、すでに経済が危機的状況で生活が大変なこともあり、捨てられる犬猫が急増しているという。しかし、アテネでは日本のように殺処分はしないそうだ。

             

            まず、捨てられた犬猫をシェルターで保護し、その間に予防注射や去勢、避妊手術をほどこし、首にマイクロチップのIDを付けて住民(犬?猫?)登録する。この間に里親が決まれば引き取られるが、そうでない場合は再び路上に出されて、地域犬・猫として生活をするのである。

             

            餌をやるのは、住民や動物愛護団体にまかされる。この「アテネ方式」と呼ばれる方法は2003年から始まった。これまでの10年間に4400匹が保護され、その内の1000匹が里親に引き取られたという。ギリシャは財政危機で動物愛護関連の予算も半分に削られてはいるようだが、それでも獣医師会や動物愛護団体などが協力して、これまでどうりの対応をすると書かれていた。

             

            日本はギリシャに比べれば、アベノミクスとかで政府は経済的に上昇気流だと自慢しているが、今なお東日本大震災で災害を受けた人々の救済もままならない現状である。動物にやさしく出来ない国はイコール人間にもやさしく出来ない国なのではないだろうか。私は経済危機にあっても生き物にやさしいギリシャが好きになった。人間も動物も地球上の生き物なのだから。

             

             

            文:吉田千津子 写真:奥村森

             

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            体操教室

            2017.01.03 Tuesday 12:54
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              宝塚からの宅急便

               

               

              体操教室

               

              Takarazuka city sports center 宝塚市立スポーツセンター

              Takarazuka city sports center 宝塚市立スポーツセンター

               

              私と相棒は毎週一回、スポーツセンターの体操クラスに通っている。約1時間半のクラスでは毎回違ったスポーツ競技をする。先日は、カーリングならぬカローリングという競技をした。カーリングの室内版でカーリングと同じような柄の付いた色とりどりのローラーを床にすべらせ、先にある的をめがけて入れるのである。

               

              でも、氷の上のカーリングで見るような箒でローラーの前をシャカシャカと忙しくはく必要はない。簡単そうに見えても中々難しい。このクラスは60歳以上との制限はあるが、その他は何もない。40人余りが毎週集まるが、何故か女性ばかりで唯一、黒一点が私の相棒である。そのせいで、おばさん化しているおじさんは、増々おばさん化に拍車がかかる。

               

              何しろ関西のおばちゃん達はエネルギーが有り余っている。先生が競技のルールを説明していても、お構いなしにワイワイ、ガヤガヤと話をしている。2人の先生は勿論私達より若いので、どうしても遠慮がちに「聞いていますか!!」とやさしく言うだけなので、ぜんぜん効果がない。

               

              私達の町・宝塚は、あの有名な手塚治虫が育った町で「手塚治虫記念館」もある。そのため宝塚をアトムの町として売り出そうとしている。それを広めるために「アトム体操」なるものを必ず毎回する。私の一番お気に入りポーズはニワトリが羽根をパタパタするような格好である。

               

              何時も一番後で体操をしているので、前の人達を見渡せる。そのポーズが始まると、皆一斉にニワトリの様に腕を肩まで上げパタパタと忙しく動かしているのを見ると、どんなおばちゃんでも、とても可愛く見えるのである。

               

              ちなみに、私の相棒の好きなポーズは両手を前にならえをして握った手をパッと開くところで、それはアニメのアトムが今から悪を懲らしめるぞと言うときのポーズを連想させるからだという。毎週1回の体操を馬鹿には出来ない。相棒の体は以前より柔らかくなって来たし、やはり体操をするだけでも気分が爽快になる。

               

              文:吉田千津子 写真:奥村森

               

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              緊急速報!!「蛍発生」

              2017.01.03 Tuesday 12:34
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                宝塚からの宅急便

                 

                 

                緊急速報!!「蛍発生」

                 

                Shirase river 白瀬川

                Shirase river 白瀬川

                 

                初夏になると、我マンション入口の掲示板に速報「蛍発生」の張り紙が出る。引っ越してきた当初は、これを見て一瞬何か緊急事態でも発生したのかと驚いたが、その後は、また蛍の季節がめぐって来たのかと感慨深い。

                 

                大体、緊急速報といえば、地震や事故といった災害や良くないことが多いが、これは嬉しい緊急速報である。蛍の発生場所は、我マンション前の白瀬川。余り水量が多くなく川の中には草が生い茂っているところもある。それが蛍にとっては良いのかもしれない。夜になると近所の人達が数少ない蛍を見ようと集まってくる。

                 

                そんなある夜、母と一緒に行ってみた。一番多いとされる白瀬橋の辺りから見てみると、ポァーポァーと光が点滅している。何か宝物探しでもするように「あっ、あそこ!!見えた見えた」と3人で喜んでしまった。確認出来たのは5〜6匹だが、何しろ街灯や車が引っきり無しに通るので明るすぎて蛍の光が見えずらい。暗ければ多分もっと数が見えるとは思うのだが残念だ。

                 

                蛍といえば思い出すことがある。20年ほど前、縁あって新潟県の安塚町(現在は上越市)に築150年の茅葺家屋を借りていた。その頃は東京暮らしだったので、時々友人と一緒に訪れていた。丁度6月に行く機会があり、町役場の滝沢さんが「夜になると蛍が観られますよ」と教えてくれた。私たちは暗くなるのを楽しみに蛍が現れるのを待った。

                 

                しかし、何時になっても現れない。翌日、滝沢さんに「蛍なんていないじゃないの」と詰め寄った。すると滝沢さんが「蛍の呼び方を知らないからですよ」と言う。勿論こちらは知らない。蛍なんて子供の頃見たきりで、その後、蛍鑑賞のチャンスは一度もなかった。滝沢さんは「今夜8時ごろになったら車のヘッドライトをパチパチ点滅させて下さい、そうしたら蛍が仲間だと勘違いしてやって来ますよ」と言うのである。

                 

                「へえー、そんな事あるの」と私達は半信半疑で夜を待った。いよいよヘッドライトをつけてパチパチと点滅してみる。すると「何ということでしょう」山の向こうから蛍が車のライトにつられて、どんどんと飛んでくるではないか。

                 

                そして友人の白いシャツは蛍で埋め尽くされ、それは星を散りばめたようにポーッ、ポーッと光り出した。こんな光景は初めてである。滝沢さんの言ったことは本当だった。私達にとって、この貴重な体験は後にも先にもこれ1度だけである。

                 

                文:吉田千津子 写真:奥村森

                 

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                所変われば品変わる

                2017.01.03 Tuesday 12:09
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                  宝塚からの宅急便

                   

                   

                  所変われば品変わる

                   

                  Night view & airplane of Takarazuka from Sakasedai 宝塚の夜景

                  Night view & Airplane of Takarazuka 宝塚の夜景と飛行機

                   

                  2012年に東京から関西に引っ越して驚いた。所変われば品変わるという言葉があるが本当に、これが同じ日本なのかと思うことが多々ある。その一例として、とうてい想像も思いつかない、難読地名や町名が非常に多い。

                   

                  それでは、気がついたものを書き連ねてみるので読んで頂きたい。兵庫県宝塚市在住なので近隣にあるものだけである。

                  1−伊孑志 2−波豆 3−清荒神 4−売布 5−昆陽池 6−栢堂 7−夙川 8-十三 9-御影(読み方回答は最後にあります)

                   

                  私は阪急電車沿線に住んでいるが、駅名もおもしろい。こちらに来て一番気に入っているのが「雲雀丘花屋敷(ひばりがおかはなやしき)」。駅名から優雅なお屋敷町を想像するが、知人に聞いてみると特別とりたててどうという町ではないと言う。

                   

                  隣の駅は「小林」と書いて(おばやし)、仁川と書いて(にがわ)、隣町は「三田」と書き(さんだ)、東京ではミタと読む。暴力猿ともみじのてんぷらで有名なのは箕面(みのお)、何時も、難しい読み名の代表格が宍粟(しそう)である。人生長く生きていても、まだまだ知らない事が山程あることを痛感する。

                   

                  (読み方回答)

                  1−いそし 2−はず 3−きよしこうじん 4−めふ 5−こやいけ 6−かやんどう 7−しゅくがわ 8−じゅうそう 9−みかげ

                   

                  文:吉田千津子 写真:奥村森

                   

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                  Beatrice Douillet ベアトリス・ドゥイエ

                  2017.01.03 Tuesday 11:37
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                    宝塚からの宅急便

                     

                     

                    Beatrice Douillet ベアトリス・ドゥイエ

                     

                    Beatrice Douillet ベアトリス ドゥイエ

                    Beatrice Douillet ベアトリス ドゥイエ

                     

                    ベアトリスと出会ったのは、1996年の初夏であった。私と相棒は、アート雑誌の取材でパリに来ていた。取材費を切り詰めるため、街外れにあるベルシーのホテルに泊まっていた。その日も取材を終え、地下鉄のシャラントン・エコール駅で下車、ホテルに向かっていた。

                     

                    もう街は暗くなり始めていた。途中、全面ガラスばりのアトリエが目に入った。そこには、大きなキャンバスに向かって絵を描いている女性がいた。私の相棒は日本にいると無愛想なのだが、海外に出るとやたらとお喋りになり愛想がよくなる。言葉が通じなくてもヘッチャラなのだ。

                     

                    彼は「あ、そうだ彼女を取材しよう」とガラス窓にペタッとはりつき、指でトントントンと叩いた。そして、中に入って良いかとのジェスチャーをしたのである。ジェスチャーは万国共通、すると彼女がドアの方に足早にやって来て見知らぬ外国人の私達を招き入れてくれた。私だったら何処の馬の骨かも分からない人を中には入れないだろうし、おまけに東洋人なんてもってのほかだ。

                     

                    とにかく、私は彼女とのインタビューの約束を取り付け、2日間でインタビューと写真撮影を終えた。ベアトリスは、絵画、立体、イラスト、コラージュ、エコアート、何でもこなすアーティストである。しかし、芸術家は、どこの国に行っても一部の人を除いて皆貧乏暮しをしている。彼女の作品の発想はユニークで色彩がとても綺麗なのが特徴だ。「もし将来、機会があったら日本で個展を開ければいいね」と話をした。

                     

                    しかし、今の私達には個展を開いてあげられる当てもない。漠然と夢の様な話をしていただけだった。それから暫くして、彼女の記事がアート雑誌に掲載された。その後は、彼女からパリや欧州各地で開かれる個展やグループ展の知らせが届いた。フランスを代表する新聞 Le Monde 紙のアートコラム記事の切り抜きも送られてきた。しかし、それ以上の進展はなかった。

                     

                    それから時が流れ、相棒がたまたま仕事で知り合った人が偶然にも画廊を持っていることがわかり、急遽ベアトリスの作品をそこで発表させてもらうことになった。2012年の11月のことである。ベアトリスは約1ヶ月の予定で来日、個展を開催した。沢山の来場者で個展は盛況だった。

                     

                    彼女のモットーは倹約で、それを個展と旅行にすべてあてるという暮らしぶりだ。そのため衣服はほとんどフリーマーケットで購入、それを自分好みの服に仕立て上げる。たとえば、綺麗な糸で刺繍をしたり、色とりどりのボタンに付け替えたり、2枚のセーターの虫食いのところを除いて色違いの袖を付け、一枚のきれいなセーターに仕上げたりと手間をおしまない。彼女の衣服は何処にも売っていない、この世に一つしかない逸品である。我が家の壁には、ベアトリスの作品が飾ってある。毎朝それを見るたびに彼女のことを思い出す。

                     

                     

                    文:吉田千津子 写真:奥村森

                     

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                    保護猫クロちゃん

                    2017.01.02 Monday 14:51
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                      宝塚からの宅急便

                       

                       

                      保護猫クロちゃん

                       

                      Kuro クロ

                      Kuro クロ

                       

                      東京から関西への引越しともなると事前に引越し先に何度か通わなければならない。そこで問題になるのが保護したノラ猫のクロちゃんを何処に預けるかということ。ペットホテルでは、狭いケージに入れっぱなしで可哀想だし、それに料金も馬鹿にならない。そこで八王子市南大沢でノラ猫の面倒をみている木村さんに相談すると、用事が終わるまで預かってもらえることになった。

                       

                      これで一安心だが、我が家にいる時のように一晩中ギャーギャー騒いだら迷惑をかけるのではと気づかいながら出発した。2〜3日して帰ってみると、木村さんいわく、夜はおりこうさんにして静かに寝ていましたよと言う。

                       

                      えっ本当なの、私達に心配をかけまいと、そう言っているだけじゃないのと疑った。もしそうだとしたら、我が家でもそうして欲しいなとの思いも空しく、案の定夜になりケージに入れると力一杯暴れて、木村さんに借りたケージの隙間に体を入れて外に脱出していることもあった。

                       

                      何しろ7キロの巨漢猫である。それが全力でケージを押し開けるのだからたまらない。何度クロちゃんを元いた南大沢のスーパー前に連れて行って置いてこようと思った事か。しかし、木村さんから保護を頼まれ引き受けたからには責任がある。

                       

                      木村さんによるとクロちゃんは、もと家猫で、その飼い主が引っ越すときにクロちゃんを置いていったらしい。その後は近所の人や木村さんのグループの猫おばさん達のお世話になり、元気に自由猫生活をしていた。我々は、元飼い主の二の舞をしたくはない。

                       

                      外猫になって約5年、推定年齢は10歳位ではないかとの話だった。その頃、すでにクロちゃんは一目おかれるボス猫に成長していた。しかし、外猫生活もそんなに楽じゃない。中学生のワルガキ達にいじめられたり、スーパーの外で働いているおじさんに蹴られたりしていたのを見たことがある。雨が降るとビショビショのぬれ鼠。

                       

                      初めは、そんなクロは人と目を合わさなかった。目をみると必ず顔をそらす。きっと色々大変だったのだろう。とうとう引越しの日がやってきた。引越し屋さんの来る前日にクロは木村さん宅に一時避難させた。荷物がすべて運び出され、関西に車で向かう途中クロを木村さん宅へ迎えに行った。

                       

                      木村さん宅のケージにへばりついて、離れようとしないクロ。それを無理やり引き離し、やっとのことでぺット用バッグに押し込んだ。クロちゃんは観念したようだった。いよいよクロちゃんを連れて引越しスタート。途中クロちゃんはニャンともいわず静かにバッグの中にいた。8時間の長旅にも耐え、元気に宝塚の新居に着いた。

                       

                      玄関に入ると腰を低くして尻尾をさげ、抜き足差し足のヘッピリ腰でゆっくりと中に入って行く。好奇心と恐怖心が入り交っている歩き方だ。新しい家に早く慣れてくれればと思った。東京の家にやっと慣れたと思ったのも束の間、また新しいところへ引っ越しでクロちゃんも楽じゃない。人間でも新しい土地に慣れるのは時間がかかる。ましてや猫は家に付くと言う。

                       

                      引越し2日目の朝、クロちゃんの大暴れの洗礼を受ける。玄関前の廊下に簡易寝床と水、フードを置き、とじこめて置いたのだが、起きてビックリ廊下は水浸し、その上ダンボールで作ったクロちゃんの寝床が見るも無残にぬれてペッチャンコ。その上、水をふくんで何倍にも膨れ上がったキャットフードが所狭と散らばっていた。

                       

                      これを毎日されたらたまらない、とるものもとりあえずケージを買いに走った。2階建てのケージが欲しかったのだが、売り切れ。仕方なく高さ180センチもある3階建のケージを買った。選んでいる場合ではない。緊急事態発生、とにかくケージを買わなければいけない。

                       

                      2時間以上もかけて、やっとケージの組み立てが完成。クロちゃんを中に入れてみる。大きなケージにクロちゃんも満足の様子。一安心。ところが夜になり、クロちゃんは悪魔へと大変身。一晩中鳴きやまない。特に私達の足音がするとすぐに目を覚ましてニャーニャーと鳴きはじめる。クロは外猫生活が長かったせいか、非常に音に敏感であった。それは驚くほど。

                       

                      日中は家の中に放しておいて、なるべく運動させるようにした。朝起きるとブラシをする。ブラシをされるのは大好きらしく大人しくしていた。遊んでやろうとすると7キロの巨漢のせいか、すぐに疲れてしまいテーブルの下へ隠れてしまう始末。

                       

                      一方、私は室内に積み上げられたダンボールを開けては片づける、気の遠くなるような毎日を送っていた。ある朝ダンボールの隙間に水溜まりを見つけた。こんなところに水はない。案の定クロちゃんが自分のテリトリーを主張するための大量のオシッコだった。

                       

                      一度すると、また同じ場所にするのが常と聞いているので、臭いがのこらないように一生懸命に拭いたが効果はなかった。家中を自分のテリトリーにすべく、今度は私のベッドのまん真ん中にかりん糖のようなウンコを2本、相棒のベッドの上にもウンコのプレゼント。これじゃ引越し早々、おちおち休んでもいられない。

                       

                      これがやわらかウンコだったらと思うとゾッとした。幸いシーツの洗濯だけで助かった。クロをベッドのところに連れて行き「ここにウンコをするんじゃないの」とお尻をペンペンしてもクロは何で怒られるのという顔をしていた。何時までこんなことが続くのやら。引越しの片付けと洗濯の日々が続いていた。疲れきっていた。私達は真剣にクロちゃんを車に乗せて東京の元いた場所においてこようと何度思ったことか。人間と猫との根競べだった。

                       

                      2〜3か月たつと、やっとオシッコ・ウンコ攻撃は止まった。クロちゃんもやっと、のんびりと窓ぎわで日向ぼっこをしてくつろぐ姿を見せ始めた。それでも、外出時と寝る時は3階建のケージに入れることは忘れなかった。やっと私達の気持をクロが判ってくれたような気がした。不敵な面構えのクロちゃんが尻尾をクエスチョンマークの様にたて、走って逃げる後ろ姿はコロコロとして可愛かった。

                       

                      毎日、左目をふいてやるのも日課だった。他の猫にケンカをしてやられたのか、石でも投げられたのか定かではないが、眼球に傷がついていて、何時もダラダラと膿のような液体が流れ出ていた。図体は大きいが色々なハンディをクロちゃんはおっていた。木村さんいわく、肉球からバイ菌が入って1ヶ月入院を余儀なくされた時にクロちゃんが猫エイズの保菌猫であることが判明した。猫エイズは人間には感染はしないが、猫同士、ひっかいたり、噛まれたりするとうつるらしい。

                       

                      11月になってフランスからアーティストの友人ベアトリスが東京で個展をするためにやって来ることになった。私達の発案での個展だったので責任がある。期間中は宝塚と東京を行ったり来たりの生活となる。クロのこともあるので、変わり番子に行くことにした。どうしても2人共東京に居る必要のあるときは近所に住んでいる猫好きの弟に世話を頼んだ。

                       

                      せっかく日本にきたのだからと、ベアトリスは一週間ほど画廊を抜けだし京都見物することにした。その帰りに我が家に2日間泊まった。彼女も動物好きでクロちゃんはつきまとっていた。ベアトリスはクロちゃんを「クホ」「クホ」と呼んだ。「KURO」の「RO」はフランス語ではロではなくホと発音するらしい。

                       

                      それがおかしくて時々私も「クホ」と呼んだりしていた。1ヶ月のクロのお留守番生活は終わった。後に気付いたのは、クロが以前にもまして、おりこうになり、無駄に鳴かなくなっていたことである。相棒がいうには、私の弟が特別な秘薬を留守中にクロに飲ませたんじゃないかといって笑った。

                       

                      12月になり、いよいよ寒さも本格的になった。我が家は六甲山の山裾にある。そのせいで下界よりも2〜3度気温が低い。毎晩クロちゃんはテント型をした寝ぐらの中に大判のホカロンを2枚敷き詰めて寝ていた。ごはんは我が家にやって来た当時は、何をやってもガツガツと食べていたが、落ち着いてからは食欲も普通になっていた。

                       

                      2013年1月に入り、毎日寒い日が続き、クロは日中暖房のある部屋で小さな行李の中に毛布を敷いて、その下に電気マットを入れてぬくぬくと過ごしていた。今、思い出してみると、時々クシャンとクシャミをしていた事があった。その時はクロ自身の毛が鼻にでも入ったぐらいにしか思っていなかった。

                       

                      朝3階建のケージから勢いよくドンドンと降りてきて、前足をつっぱり、お尻を高く上げて伸びをするのが日課だった。私たちが外出先から帰って来ると、必ず廊下と居間の間にある、ガラス戸に迎えに来たクロの影が動くのが見えた。クロは窓とカーテンの間に入るのが好きで何時もそこで、ひなたぼっこをしていた。まさか、クロが病気になるなんて考えもしていなかった。元気に暮らしていると思っていた。

                       

                      ところが1月の末、ちょっと食欲がなくなり、寝ている時間が多くなったような気がした。猫はよく寝るのでネコというというのを聞いたことがある。その週は相棒が東京で仕事があり、電話で「クロが何だか元気がなく、食欲もないみたい」と話したことを思い出す。

                       

                      相棒が東京から帰った次の日、早速クロを獣医さんのところに連れて行った。血液検査では、少し肝臓の数値が悪いぐらいで、特に悪い所はないとの診断だった。一安心。ところが食欲は戻らない、7キロもあった体も心なしか、痩せた感じがする。

                       

                      アメリカにいる、動物好きのシャーロン(彼女は捨て猫ばかりを6匹も飼っている)に「クロが食欲不振なんだけど、何かいい方法はない」とメールをしてみた。次の日「うちの子は人間用の食べ物をやると、すぐに元気になるわよ」と言ってきた。人間用のツナかん、マグロのお刺身など色々試してみたが、少し口をつけるが駄目だった。

                       

                      今まで、ピンクだった片方の耳や肉球、鼻の先は少しずつ色を失っていった。余りに元気がないので、獣医さんに相談して、一日おきに点滴で栄養を補給することになった。クロは自分が病気だと判っていたのか、大暴れをするどころか、一度も暴れることもなく、驚くほどおとなしく点滴をされていた。獣医さんに褒められたぐらいだ。今、思い起こしてみるとクロはその時、すでに衰弱していて、暴れたくても暴れられなかったのかもしれない。

                       

                      それでも、クロは毎朝のケージの3階からドンドンと降りてきては伸びをした。家の中を歩き回ってもいた。ただ食欲だけが回復しない。何回目かの点滴の時、先生が点滴で栄養が足りているので食べないのかもしれないということで、薄く紙のように切った1センチ四方のとり肉を無理やりピンセットで食べさせた。クロちゃんは、首を少しふったが、小さな破片を飲み込んだ。家でも試して下さいとのことだったので、やってみたが気持ち悪そうに何度口に押し込んでも、吐き出した。

                       

                      体重はどんどんと減ってゆき5キロになっていた。窓べで弱々しくたたずむクロちゃんは以前の精悍な面影はなかった。最後の一週間は、毎朝起きてクロが息をしているか心配で夜中に起きてケージの中のクロを何度も様子を見に行った。元気だった頃とちがいグッタリとしているクロ。もし喋ることができたら、何をいうのだろうか。夜中に行くと、ゆっくりと目を開けてこちらを見るクロ。「クロ早く元気になって、また一緒にあそぼ」と心の中で話しかける。今、思い出しても涙が出る。水曜日の朝、今まで歩いていたクロが寝たきりで起きて来ない。

                       

                      「クロ」と呼んでも反応が悪い。緊急事態だ。すぐに獣医さんのとことへ。しかし、病院では原因を調べるためと血液検査、お腹のエコーと山のような検査を次々とする。私達もクロちゃんの為だと思っていたが、良く考えてみると、あの状態で検査のためとはいえ、血を何度も採血されたら弱った体にもっと負担をかけ、良くなるものも良くならなかったのではないかと後悔している。

                       

                      あのまま、そっとしておいてやった方が良かったのではないか。どちらが良かったのかは今となっては判らない。結局、検査はしたものの本当の原因は何も判らなかった。午前中に病院に入り、気がついたら午後五時をまわっていた。外はもう真っ暗だった。クロをキャリーバッグに入れる時、先生が「今日が山場でしょう」とボソッと言った。クロの体はグニャリとして何時もより重く感じた。家に帰り、すぐに暖かくした行李の中に寝かせた。クロはハアハアと苦しそうな荒い息をしていた。

                       

                      「クロ、クロ」と呼んでも、もう答える気力はなかった。ときおり、こちらを見る目だけが「苦しいよ」と訴えていた様だった。どんどんと呼吸は荒くなり「ギャーギャー」と今までに鳴いたこともない叫び声をあげた。私はどうしてよいのか判らず「クロチャーン、クロチャーン」と泣きながらクロの名前を呼びながら、クロの体をさすることぐらいしか出来なかった。苦しそうなクロを見ながら「クロが死んだらどうしよう。でもこんなに苦しんでいるのなら早く楽にさせてあげた方がいいのか」頭の中は混乱した。

                       

                      相棒と私は行李の中で苦しむクロちゃんには何もしてあげられない、その無力さだけが残った。どれだけの時間が経ったのか、とうとう最後まで叫び声をあげて苦しみながら逝ってしまったクロ。「クロちゃん、ごめんね。最後の日あんなに色々検査をさせてしまって、あのままそっとしておいてあげていたら、こんなに苦しまなかったかもしれない」後悔だけが残った。クロはあっけなく逝ってしまった。もう呼んでも走っては来ない。

                       

                      クロちゃんが逝った日は2月13日くしくもヴァレンタインデーの一日前だった。クロの死をクロを知っているベアトリスに報告した。彼女はメールでこう書いて来た。「2月13日はフランスでは聖ベアトリスの日です。クロちゃんは、この日を選び、聖ベアトリスに見守られて天国に旅だったのですから、悲しまないで下さい」と。

                       

                      文:吉田千津子 写真:奥村森

                       

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                      関東から関西へ

                      2017.01.02 Monday 13:52
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                        宝塚からの宅急便

                         

                         

                         

                        関東から関西へ

                         

                        Hankyu line Sakasegawa station 阪急電車 逆瀬川駅

                        Hankyu line Sakasegawa station 阪急電車 逆瀬川駅

                         

                        2012年、兵庫県宝塚市に引っ越してきた。これまでの人生で海外生活を除けば、ほとんど東京での暮らしだった。良しにつけ悪しきにつけ、東京人としての習慣が体に染み込んでいるのは間違いない。そんな僕が、慣れない関西に住むのだから戸惑うのは当然である。

                         

                        関東と関西では文化が異なり、基本的な考え方やマナーなどで大きな違和感を感じることが多い。外国人なら、お国柄の違いと諦められもするが、同じ日本人となると、そうはいかない。

                         

                        初めのうちは理不尽と思っても、これから暮らす所だから事を荒立てないようにと我慢をしてきた。だが、堪忍袋の緒が切れる事もあった。転居して間もない頃、近くにある兵庫県の保養施設を見つけ、利用しようと車で出掛けた。この施設には温泉があり、湯ぶねからの眺めは絶景、しかも入浴料が500円と安価なのも魅力だ。温泉好きの僕は、施設の常連になろうと思った。

                         

                        3度目に訪れたのは日曜日だった。いつもはガラガラの駐車場だが、今日はいっぱいだ。受付カウンターに何処に停めたらよいが尋ねようと、邪魔にならない場所に車を停めた。その時である、送迎バスの運転手が近づいてきて「どかんかい、そこは停めたらあかんとこや」と怒鳴る。どこに停めたらよいのか丁重に聞いても「邪魔やから、帰らんかい」と追い払う仕草をする。

                         

                        さすがに腹が立った僕は「客に向かって、そんな言い方はないだろう」と語気を強めた。すると、「なんやて」と物凄い形相でにらみつける。僕は、怖くなって車を降りて受付に駆け込んだ。若いマネージャーが僕の話を聞いて冷静な対応をしてくれたので事なきを得たが、運転手は「こいつ客やないで」と大声でわめきたてる。

                         

                        どうして客と思われなかったのだろうか。いろいろ推測すると、僕のカーナンバーが東京であったのと東京弁を喋った事に起因していたようだ。その後、車のナンバーを神戸に変えると、そうした事件に遭遇する事はなくなった。

                         

                        大阪では、ライバル意識と地元愛から東京人に対して排他的な行動をとる人が多いと聞かされた事はあったが、宝塚でも同じなのかと唖然とした。

                         

                        文と写真:奥村森

                         

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                        category:宝塚からの宅急便 | by:tanukuro2013comments(0) | -

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