宝塚からの宅急便 No.7 文:吉田千津子 写真:奥村森

2016.12.21 Wednesday 10:50
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    Ayumu Stray cat あゆむ オス 2ヵ月半 野良猫 「保護猫広場ラブとハッピー」 東京都日野市南平

     

    のら猫

     

    我家では猫を一匹飼っていた、名前は「タヌー」。ちょっとフランス語きどりでつけた。本当はタヌキ顔をしていたのでタヌキにしようと思ったが、それでは余りに可哀想なのでキをとってタヌーとなった。

     

    1994年のある夏の夜、タヌーは、当時世田谷にあった我家に客人と一緒に現れ、そのまま居ついた。正真正銘の野良出身である。野良猫を見ると、ほっておけない性分は子供の頃から治らない。我家には何時も色んな動物が拾われて来た。犬、猫はもちろんのこと一度は弟が近所の広場から子ヤギを拾ってきて母が困っていた。

     

    タヌーのあとも次々と猫を拾った。病気になり捨てられたブランド猫が多かった。雪が降った寒い朝、草むらにうずくまる灰色の猫を見つけた。ロシアン・ブルーで、目やにだらけでショボショボの目がつぶらな瞳になるようにとの願いをこめ「ツブラ」と命名した。

     

    年老いて歯もボロボロ、猫エイズにもかかりガリガリに痩せて食欲もなかった。近所の獣医さんに毎週点滴をしてもらったが、そのかいもなく半年後に死んでしまった。次の猫はシャム猫、夏の暑い日にノミだらけで瀕死の状態だった。何とか猫好きの郵便屋さんから、わずかなキャットフードをもらいながら生き延びていたらしい。郵便屋さんに感謝の気持ちを込めて「ポスト」と名づけた。獣医さんに駆け込んだが、一週間目に主人に看取られながら天国に逝ってしまった。

     

    3番目に私が発見したのは、小さな三毛猫で暖かな春の日、道路のど真ん中で寝そべっていた。もう死んでいるのかと思ったが、呼ぶとムクッと起き上がる。道路の真ん中では車にひかれてしまうので、横に寄せたが又寝そべるので仕方なく保護。

     

    やせている他は病気もなさそうなので一安心。しかし栄養不良で足もとがおぼつかない。フラフラしているので「フラ」と命名。人なつこい猫なので、きっと迷い猫にちがいないということになり、フラちゃんの写真を撮ってビラを作り、近所の電柱など数ケ所に貼ってみた。

     

    数ヶ月たち、ビラも剥がされボロボロになった頃、一本の電話。フラちゃんの飼い主からだった。フラちゃんは我が家に数ヶ月逗留し飼い主のもとへ帰っていった。ハッピーエンドのケースであったが、間もなくして「死んだ」という知らせを受けた。今ツブラとポストは調布の動物霊園で眠っている。

     

    統計によると18万匹の犬猫が、毎年殺処分されているという。この世の中から一匹でも野良猫や野良犬がなくなるように人間は責任を持って飼ってほしい。ブランド犬や猫を買うのなら一匹でも保健所に行く犬猫たちを助けてやって欲しいと思うのは私だけだろうか。地球は人間だけのものではなく、全ての生き物のためにあるのだから。

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    宝塚からの宅急便 No.40 文:吉田千津子 写真:奥村森

    2017.01.02 Monday 14:51
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      Kuro クロ

       

      保護猫クロちゃん

       

      東京から関西への引越しともなると事前に引越し先に何度か通わなければならない。そこで問題になるのが保護したノラ猫のクロちゃんを何処に預けるかということ。ペットホテルでは、狭いケージに入れっぱなしで可哀想だし、それに料金も馬鹿にならない。そこで八王子市南大沢でノラ猫の面倒をみている木村さんに相談すると、用事が終わるまで預かってもらえることになった。

       

      これで一安心だが、我が家にいる時のように一晩中ギャーギャー騒いだら迷惑をかけるのではと気づかいながら出発した。2〜3日して帰ってみると、木村さんいわく、夜はおりこうさんにして静かに寝ていましたよと言う。

       

      えっ本当なの、私達に心配をかけまいと、そう言っているだけじゃないのと疑った。もしそうだとしたら、我が家でもそうして欲しいなとの思いも空しく、案の定夜になりケージに入れると力一杯暴れて、木村さんに借りたケージの隙間に体を入れて外に脱出していることもあった。

       

      何しろ7キロの巨漢猫である。それが全力でケージを押し開けるのだからたまらない。何度クロちゃんを元いた南大沢のスーパー前に連れて行って置いてこようと思った事か。しかし、木村さんから保護を頼まれ引き受けたからには責任がある。

       

      木村さんによるとクロちゃんは、もと家猫で、その飼い主が引っ越すときにクロちゃんを置いていったらしい。その後は近所の人や木村さんのグループの猫おばさん達のお世話になり、元気に自由猫生活をしていた。我々は、元飼い主の二の舞をしたくはない。

       

      外猫になって約5年、推定年齢は10歳位ではないかとの話だった。その頃、すでにクロちゃんは一目おかれるボス猫に成長していた。しかし、外猫生活もそんなに楽じゃない。中学生のワルガキ達にいじめられたり、スーパーの外で働いているおじさんに蹴られたりしていたのを見たことがある。雨が降るとビショビショのぬれ鼠。

       

      初めは、そんなクロは人と目を合わさなかった。目をみると必ず顔をそらす。きっと色々大変だったのだろう。とうとう引越しの日がやってきた。引越し屋さんの来る前日にクロは木村さん宅に一時避難させた。荷物がすべて運び出され、関西に車で向かう途中クロを木村さん宅へ迎えに行った。

       

      木村さん宅のケージにへばりついて、離れようとしないクロ。それを無理やり引き離し、やっとのことでぺット用バッグに押し込んだ。クロちゃんは観念したようだった。いよいよクロちゃんを連れて引越しスタート。途中クロちゃんはニャンともいわず静かにバッグの中にいた。8時間の長旅にも耐え、元気に宝塚の新居に着いた。

       

      玄関に入ると腰を低くして尻尾をさげ、抜き足差し足のヘッピリ腰でゆっくりと中に入って行く。好奇心と恐怖心が入り交っている歩き方だ。新しい家に早く慣れてくれればと思った。東京の家にやっと慣れたと思ったのも束の間、また新しいところへ引っ越しでクロちゃんも楽じゃない。人間でも新しい土地に慣れるのは時間がかかる。ましてや猫は家に付くと言う。

       

      引越し2日目の朝、クロちゃんの大暴れの洗礼を受ける。玄関前の廊下に簡易寝床と水、フードを置き、とじこめて置いたのだが、起きてビックリ廊下は水浸し、その上ダンボールで作ったクロちゃんの寝床が見るも無残にぬれてペッチャンコ。その上、水をふくんで何倍にも膨れ上がったキャットフードが所狭と散らばっていた。

       

      これを毎日されたらたまらない、とるものもとりあえずケージを買いに走った。2階建てのケージが欲しかったのだが、売り切れ。仕方なく高さ180センチもある3階建のケージを買った。選んでいる場合ではない。緊急事態発生、とにかくケージを買わなければいけない。

       

      2時間以上もかけて、やっとケージの組み立てが完成。クロちゃんを中に入れてみる。大きなケージにクロちゃんも満足の様子。一安心。ところが夜になり、クロちゃんは悪魔へと大変身。一晩中鳴きやまない。特に私達の足音がするとすぐに目を覚ましてニャーニャーと鳴きはじめる。クロは外猫生活が長かったせいか、非常に音に敏感であった。それは驚くほど。

       

      日中は家の中に放しておいて、なるべく運動させるようにした。朝起きるとブラシをする。ブラシをされるのは大好きらしく大人しくしていた。遊んでやろうとすると7キロの巨漢のせいか、すぐに疲れてしまいテーブルの下へ隠れてしまう始末。

       

      一方、私は室内に積み上げられたダンボールを開けては片づける、気の遠くなるような毎日を送っていた。ある朝ダンボールの隙間に水溜まりを見つけた。こんなところに水はない。案の定クロちゃんが自分のテリトリーを主張するための大量のオシッコだった。

       

      一度すると、また同じ場所にするのが常と聞いているので、臭いがのこらないように一生懸命に拭いたが効果はなかった。家中を自分のテリトリーにすべく、今度は私のベッドのまん真ん中にかりん糖のようなウンコを2本、相棒のベッドの上にもウンコのプレゼント。これじゃ引越し早々、おちおち休んでもいられない。

       

      これがやわらかウンコだったらと思うとゾッとした。幸いシーツの洗濯だけで助かった。クロをベッドのところに連れて行き「ここにウンコをするんじゃないの」とお尻をペンペンしてもクロは何で怒られるのという顔をしていた。何時までこんなことが続くのやら。引越しの片付けと洗濯の日々が続いていた。疲れきっていた。私達は真剣にクロちゃんを車に乗せて東京の元いた場所においてこようと何度思ったことか。人間と猫との根競べだった。

       

      2〜3か月たつと、やっとオシッコ・ウンコ攻撃は止まった。クロちゃんもやっと、のんびりと窓ぎわで日向ぼっこをしてくつろぐ姿を見せ始めた。それでも、外出時と寝る時は3階建のケージに入れることは忘れなかった。やっと私達の気持をクロが判ってくれたような気がした。不敵な面構えのクロちゃんが尻尾をクエスチョンマークの様にたて、走って逃げる後ろ姿はコロコロとして可愛かった。

       

      毎日、左目をふいてやるのも日課だった。他の猫にケンカをしてやられたのか、石でも投げられたのか定かではないが、眼球に傷がついていて、何時もダラダラと膿のような液体が流れ出ていた。図体は大きいが色々なハンディをクロちゃんはおっていた。木村さんいわく、肉球からバイ菌が入って1ヶ月入院を余儀なくされた時にクロちゃんが猫エイズの保菌猫であることが判明した。猫エイズは人間には感染はしないが、猫同士、ひっかいたり、噛まれたりするとうつるらしい。

       

      11月になってフランスからアーティストの友人ベアトリスが東京で個展をするためにやって来ることになった。私達の発案での個展だったので責任がある。期間中は宝塚と東京を行ったり来たりの生活となる。クロのこともあるので、変わり番子に行くことにした。どうしても2人共東京に居る必要のあるときは近所に住んでいる猫好きの弟に世話を頼んだ。

       

      せっかく日本にきたのだからと、ベアトリスは一週間ほど画廊を抜けだし京都見物することにした。その帰りに我が家に2日間泊まった。彼女も動物好きでクロちゃんはつきまとっていた。ベアトリスはクロちゃんを「クホ」「クホ」と呼んだ。「KURO」の「RO」はフランス語ではロではなくホと発音するらしい。

       

      それがおかしくて時々私も「クホ」と呼んだりしていた。1ヶ月のクロのお留守番生活は終わった。後に気付いたのは、クロが以前にもまして、おりこうになり、無駄に鳴かなくなっていたことである。相棒がいうには、私の弟が特別な秘薬を留守中にクロに飲ませたんじゃないかといって笑った。

       

      12月になり、いよいよ寒さも本格的になった。我が家は六甲山の山裾にある。そのせいで下界よりも2〜3度気温が低い。毎晩クロちゃんはテント型をした寝ぐらの中に大判のホカロンを2枚敷き詰めて寝ていた。ごはんは我が家にやって来た当時は、何をやってもガツガツと食べていたが、落ち着いてからは食欲も普通になっていた。

       

      2013年1月に入り、毎日寒い日が続き、クロは日中暖房のある部屋で小さな行李の中に毛布を敷いて、その下に電気マットを入れてぬくぬくと過ごしていた。今、思い出してみると、時々クシャンとクシャミをしていた事があった。その時はクロ自身の毛が鼻にでも入ったぐらいにしか思っていなかった。

       

      朝3階建のケージから勢いよくドンドンと降りてきて、前足をつっぱり、お尻を高く上げて伸びをするのが日課だった。私たちが外出先から帰って来ると、必ず廊下と居間の間にある、ガラス戸に迎えに来たクロの影が動くのが見えた。クロは窓とカーテンの間に入るのが好きで何時もそこで、ひなたぼっこをしていた。まさか、クロが病気になるなんて考えもしていなかった。元気に暮らしていると思っていた。

       

      ところが1月の末、ちょっと食欲がなくなり、寝ている時間が多くなったような気がした。猫はよく寝るのでネコというというのを聞いたことがある。その週は相棒が東京で仕事があり、電話で「クロが何だか元気がなく、食欲もないみたい」と話したことを思い出す。

       

      相棒が東京から帰った次の日、早速クロを獣医さんのところに連れて行った。血液検査では、少し肝臓の数値が悪いぐらいで、特に悪い所はないとの診断だった。一安心。ところが食欲は戻らない、7キロもあった体も心なしか、痩せた感じがする。

       

      アメリカにいる、動物好きのシャーロン(彼女は捨て猫ばかりを6匹も飼っている)に「クロが食欲不振なんだけど、何かいい方法はない」とメールをしてみた。次の日「うちの子は人間用の食べ物をやると、すぐに元気になるわよ」と言ってきた。人間用のツナかん、マグロのお刺身など色々試してみたが、少し口をつけるが駄目だった。

       

      今まで、ピンクだった片方の耳や肉球、鼻の先は少しずつ色を失っていった。余りに元気がないので、獣医さんに相談して、一日おきに点滴で栄養を補給することになった。クロは自分が病気だと判っていたのか、大暴れをするどころか、一度も暴れることもなく、驚くほどおとなしく点滴をされていた。獣医さんに褒められたぐらいだ。今、思い起こしてみるとクロはその時、すでに衰弱していて、暴れたくても暴れられなかったのかもしれない。

       

      それでも、クロは毎朝のケージの3階からドンドンと降りてきては伸びをした。家の中を歩き回ってもいた。ただ食欲だけが回復しない。何回目かの点滴の時、先生が点滴で栄養が足りているので食べないのかもしれないということで、薄く紙のように切った1センチ四方のとり肉を無理やりピンセットで食べさせた。クロちゃんは、首を少しふったが、小さな破片を飲み込んだ。家でも試して下さいとのことだったので、やってみたが気持ち悪そうに何度口に押し込んでも、吐き出した。

       

      体重はどんどんと減ってゆき5キロになっていた。窓べで弱々しくたたずむクロちゃんは以前の精悍な面影はなかった。最後の一週間は、毎朝起きてクロが息をしているか心配で夜中に起きてケージの中のクロを何度も様子を見に行った。元気だった頃とちがいグッタリとしているクロ。もし喋ることができたら、何をいうのだろうか。夜中に行くと、ゆっくりと目を開けてこちらを見るクロ。「クロ早く元気になって、また一緒にあそぼ」と心の中で話しかける。今、思い出しても涙が出る。水曜日の朝、今まで歩いていたクロが寝たきりで起きて来ない。

       

      「クロ」と呼んでも反応が悪い。緊急事態だ。すぐに獣医さんのとことへ。しかし、病院では原因を調べるためと血液検査、お腹のエコーと山のような検査を次々とする。私達もクロちゃんの為だと思っていたが、良く考えてみると、あの状態で検査のためとはいえ、血を何度も採血されたら弱った体にもっと負担をかけ、良くなるものも良くならなかったのではないかと後悔している。

       

      あのまま、そっとしておいてやった方が良かったのではないか。どちらが良かったのかは今となっては判らない。結局、検査はしたものの本当の原因は何も判らなかった。午前中に病院に入り、気がついたら午後五時をまわっていた。外はもう真っ暗だった。クロをキャリーバッグに入れる時、先生が「今日が山場でしょう」とボソッと言った。クロの体はグニャリとして何時もより重く感じた。家に帰り、すぐに暖かくした行李の中に寝かせた。クロはハアハアと苦しそうな荒い息をしていた。

       

      「クロ、クロ」と呼んでも、もう答える気力はなかった。ときおり、こちらを見る目だけが「苦しいよ」と訴えていた様だった。どんどんと呼吸は荒くなり「ギャーギャー」と今までに鳴いたこともない叫び声をあげた。私はどうしてよいのか判らず「クロチャーン、クロチャーン」と泣きながらクロの名前を呼びながら、クロの体をさすることぐらいしか出来なかった。苦しそうなクロを見ながら「クロが死んだらどうしよう。でもこんなに苦しんでいるのなら早く楽にさせてあげた方がいいのか」頭の中は混乱した。

       

      相棒と私は行李の中で苦しむクロちゃんには何もしてあげられない、その無力さだけが残った。どれだけの時間が経ったのか、とうとう最後まで叫び声をあげて苦しみながら逝ってしまったクロ。「クロちゃん、ごめんね。最後の日あんなに色々検査をさせてしまって、あのままそっとしておいてあげていたら、こんなに苦しまなかったかもしれない」後悔だけが残った。クロはあっけなく逝ってしまった。もう呼んでも走っては来ない。

       

      クロちゃんが逝った日は2月13日くしくもヴァレンタインデーの一日前だった。クロの死をクロを知っているベアトリスに報告した。彼女はメールでこう書いて来た。「2月13日はフランスでは聖ベアトリスの日です。クロちゃんは、この日を選び、聖ベアトリスに見守られて天国に旅だったのですから、悲しまないで下さい」と。

      category:Cat 猫 | by:tanukuro2013comments(0) | -

      宝塚からの宅急便 No.47 文:吉田千津子 写真:奥村森

      2017.01.03 Tuesday 15:00
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        Shadow of stained glass ステンドグラス投影

         

        ロスアンゼルス最新事情 コヨテに襲われたモニカの愛猫・マックス

         

        2013年10月、ロスアンゼルスのサンタ・モニカに住む友人のモニカを訪ねた。いつもロスアンゼルス到着当日は、彼女の家に泊まらせてもらう。彼女の家に着くと何時も迎えに出てくる猫のマックスの姿が見えない。

         

        「マックス!」と呼ぶと犬のようにトコトコと走って来るとても可愛い二毛猫だ。今日は天気が良いので散歩にでも行っているのかと思っていた。そうこうしていると、彼女が勤めから帰ってきて、早く夕食を食べに行こうと急かすので、ファミリーレストランに向かった。そこで、彼女は驚くべき話を始めたのである。

         

        それは、私がロスアンゼルスに着く4日前の金曜日のことだ。マックスがコヨテに襲われて食べられてしまったのだという。「えっ〜サンタ・モニカの町の中にコヨテなんかいるの」と叫んでしまった。

         

        そういえば私は、ロスアンゼルス郊外のグレンデールに住んでいたことがあった。家は、観光名所のグリフィス・パークの裏側にあり、自然豊かな場所だった。ある朝、道路の真ん中を歩く茶色の犬を見つけた。すると隣のおじさんのパピィが、あれはコヨテだよ教えてくれたのを思い出した。ロスアンゼルスにはコヨテが出没する地域が多い。

         

        モニカの家の近くには浄水場があり、そこにコヨテが群れで住んでいて、夜な夜な町におりて来ては近所の犬や猫を襲って食べてしまうらしい。サンタ・モニカでも多くのペットが犠牲になっているとのニュースを聞いていたモニカは、夜は絶対にマックスを外に出さないよう注意をしていたが、その時に限って朝早く外に出してしまったらしい。

         

        その日は、御主人のメディカル・チェックの日で朝4時ごろ2人で起床、マックスも一緒に起きて外に出たがったので出したのだという。冬の4時はまだ暗い。マックスは毎朝早く起きて、7時頃に朝ご飯をねだるのが習慣だった。

         

        しかし、その日は何時までたっても帰って来ない。さすがにモニカも心配になり、あちらこちら近所を捜しまわったが、ナシのつぶて。夜になってもマックスは姿を現さなかった。その夜、ご主人と一緒に迷い猫のビラを作って、翌日近所に配ることにした。

         

        ビラを近所に配る前に、ヒューメイン・ソサエティー(捨てられたり、迷子になった犬や猫などを保護して、里親を探す施設)に出掛けてマックスが保護されていないかを調べる必要がある。2人は、そこを尋ねたがマックスの姿は無かった。その話を聞いていた1人の係員が「ところで、マックスの毛色は?」と尋ねた。

         

        「白と茶の二毛猫です」と答えると、彼はちょっと口ごもったように「ちょっと待って下さい。昨日そんな猫を見かけたような・・・・」と話すのである。「見てみますか?」と彼らに聞いた。何か悪い予感がする二人は覚悟の上で確認する事にした。

         

        係員が持って来たものを見たとたん、2人は息をのんだ。マックスが、尻尾と後ろ足だけの無残な変わり果てた姿と化していた。それはマックスに間違いなかった。係員の説明によると、前日友人宅の近所の人から連絡があり、庭に猫の身体の一部が落ちているから回収してくれとの依頼電話があったという。

         

        モニカ夫妻には子供がなく、マックスを我が子のように可愛がっていたので家に帰って2人でオイオイ泣いてしまったそうだ。モニカは余りの悲しさで、マックスが使っていたものや、彼を思い出させるものはすべて次の日に捨ててしまったという。そのせいで、家の中にはマックスのものは何ひとつ無くなっていたのだった。

         

        その話を聞いた夜、私も余りのショックで眠れず、ウトウトしてベッドの中で耳を澄ますと、遠くでコヨテの遠吠えが聞こえた。それはマックスが外に出た時間と同じ午前4時だった。

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