宝塚からの宅急便 No.3 文と写真:奥村森

2016.12.21 Wednesday 07:02
0

    Prayer 祈り

     

    友人の死

     

    2010年7月、友人で編集プロダクションを経営していた佐藤珠樹さんが亡くなった。享年49歳、あまりに短かい人生だった。この年の4月に掛かりつけの医師に勧められ、精密検査を受け末期癌であることが判明、その直後に電話をもらった。

     

    「あの〜、やばいことになりました」

    「どうしたの」

    「え〜、癌を宣告されました」

     

    僕は直ぐに会社に駆けつけ、佐藤さんの気もちを少しでも和らげることが出来ればと考えた。そして進行中の仕事を健康状態が安定するまで代役できないものかと伝えた。彼のショックは大きいようだったが、いろいろのことに平静を保とうと努めているのがわかった。

     

    間もなくして佐藤さんは、南大沢にあった僕のマンションを訪ねてきた。これまでも何度か家に泊まり、近くのスーパー温泉でストレスを発散させるのが慣習だった。その日、夕暮れの露天に置かれる畳に二人で裸で寝ころびながら人生や仕事について語り合った。

     

    僕も4年前に癌を宣告された経験があった。その頃の気もちを佐藤さんに伝えた。「癌と知って衝撃は受けたけど、僕も波乱万丈の人生だったから、これで死ねるのなら楽になれるとも思ったなあ」。

     

    ・・・・、僕にもそれはありますね」

    「入院で病室が一緒だった患者は、どこか達観していた。だけど、生きることを諦めてるようにも見えた。そんな中で生還したのは、医師と患者が信頼しあって二人三脚で病気に立ち向かった人だけだよ」

    「・・・、そうでしょうね」

     

    その後、佐藤さんはいろいろな病院を訪れ医師の診断を仰いだり、インターネット情報を収集していたが、入院に至ったのは6月末となぜか遅れた。その間、電話やメールのやりとりでは「元気です、奥村さんは大丈夫ですか」と自分より人を気づかうのであった。

     

    これまでの仕事を振り返っても、クライアント、カメラマン、ライター、デザイナーなどの我がままを一手に引き受け、怒ることなく我慢を重ねて仕事を貫徹するのが佐藤珠樹さんの誰にも真似ることの出来ない凄さだった。

     

    末期癌を宣告されても、病床中の父親や社員の今後を心配して全力を尽くしていた。「こんなに優しい人をどうして神様は召してしまうのか」そう思ったが、再起の表情を眺めると穏やかで一点の曇りもなかった。

     

    僕は、佐藤珠樹さんの生涯は幸せだったと信じることにした。そして、彼の天命は短かったけれど、僕は長生きして彼の分まで生きることを誓った。

    「佐藤さん、有難う。僕が君のところに行くまで待っていて下さい。また、温泉に行こうな」。

    category:Life 人生 | by:tanukuro2013comments(0) | -

    宝塚からの宅急便 No.11 文:吉田千津子 写真:奥村森

    2016.12.23 Friday 10:16
    0

      Pappy

       

      かけがえのない友人の死

       

      2009年6月、私はかけがえのない友人を失った、100歳だった。彼の名は、Percy Becker。みんなは、彼をPappy(パピィー)と呼んでいた。彼と知りあったのは、30年以上も昔、ロサンゼルスと日本を仕事で忙しく飛び回っていた頃だ。

       

      ある朝、「ハァーイ」と声をかけてくれたのがベッケル夫妻だった。2人ともネブラスカ出身、とても気さくで話し好きだった。すでに退職して年金暮らしだったが2人の生活はとても楽しそうで、私も老後は彼らのような人生をすごしたいと何時も思っていた。

       

      1年のうちの3〜4ヶ月はキャンピングカーに乗ってアメリカ全土を旅行。行く先々で沢山の友人を作っていた。ロスアンゼルスの自宅にいる時も、朝からスケジュールがいっぱい。決してボーッと座ってテレビなどを観ない。

       

      朝の運動は2人で近所を一周して、前庭に投げ込まれる新聞を各家の玄関のドア前におく。アメリカの新聞配達は車の窓から玄関めがけて投げるからだ。日本のように丁寧にポストに入れてはくれない。アメリカの新聞は日本のものよりぶ厚く、新聞受けに入らないからだ。

       

      パピィーが退職したのを期に妻のビューラも主婦業を退職、朝、昼の食事は各自が作り、夕食はビューラが作るのだ。パピィーの朝食は何時もオートミールと果物。昼食は前夜に残ったミートボールサンドなどを食べていた。妻のビューラはガールスカウトの連中と昼食だ。

       

      生活は質素そのもの、そして毎週木曜日が買出しの日。木曜日は、新聞のフード欄に添付されるクーポン券が利用できるからだ。彼はそれを丁寧に切り抜きスーパーマーケットへ持って行くと、何セントか割引される。ダブルクーポンの日に重なると、それが2倍となるからたまらない。その日を待っているアメリカ人は相当多い。パピィーもその中のひとりで「ごらん、今日は5ドルも倹約したぞ」とレシートを自慢げに私に見せるのであった。

       

      お気に入りのワーゲンも全て自分の手で整備をするし、2〜3年に1度は家の内外の壁をペンキで塗りかえる。屋根の修理、台所、浴室のリフォームもお手の物だった。私には彼がスーパーマンに見えた。アメリカでは人件費が高いので、なるべく人に頼まず自分でする人が多い。

       

      我が家の雨漏りがひどくなり、パピィーと一緒に屋根に登りコールタールと格闘しながら修理したことを思い出す。彼の自慢は、子供のころから病気ひとつしたことがないことだ。処方箋の薬も飲んだことがないし、入院もしたことがない。

       

      何時も考えがポジティブで、私が必要なときには必ず助けてくれた。その頃、私はアメリカ人の夫との離婚問題もあり、最高の相談相手だった。自分の父より身近で、いろいろな話をした。その後アメリカに行った時には、必ずパピーの家を訪ねた。

       

      娘のバーバラによると亡くなる3日前まで元気で散歩し、最後の2日だけ病院に入ったと聞いた。彼の最初で最後の入院だった。

      category:Life 人生 | by:tanukuro2013comments(0) | -

      Calender
         1234
      567891011
      12131415161718
      19202122232425
      2627282930  
      << November 2017 >>
       
      Selected entry
      Category
      Archives
      Recommend
      Link
      Profile
      Search
      Others
      Mobile
      qrcode
      Powered
      無料ブログ作成サービス JUGEM