『アトリエ 唯』 Handcraft Artist 唯 容子(ゆいようこ)さん

2020.07.29 Wednesday 10:40
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    高品質できれいな作品を顧客に提案したい

     

     

    阪急電車・逆瀬川駅を下車して住宅街に向かう路地を100メートルほど進むと、小さいながらも実に個性的な手芸工房『アトリエ唯』がある。ここを主宰するハンドクラフト・アーティスト、唯 容子さん。彼女がデザイン、制作した作品を展示販売している。通常のショップとの違いは、オーダーメードで顧客が希望するものなら何でも制作してくれるのが魅力だ。

     

    両親のうしろ姿

     

    容子さんは、兵庫県姫路市で二人姉妹の妹として生まれた。姫路市出身の父、健一さんは木工職人、大阪府出身の母、美智子さんは川柳作家、両親のDNAをいっぱい受け、彼女は、ハンドクラフト・アーティストの道を歩むことになる。

     

    両親ともに家が貧しかったので、中学校までしか卒業が叶わなかったが、そんな逆境を乗り越える才能が二人に備わっていた。それは職人に欠かせない器用さであった。

     

    健一さんは仕事に必要ならば独学で建築士の資格をも取得するほどの努力家だった。とにもかくにも図面通りきっちりとした仕上げをする職人肌だった。

     

    一方、美智子さんは、絵、書道、俳句、短歌などの趣味があり、最終的には川柳作家となった。その他にも編み物、縫物、押絵、千切り木工など、ありとあらゆる手工芸を嗜む手先を持っていた。美智子さんの口癖は「誰もしない事をしなきゃ面白くない」芸術肌の性格だった。

     

    容子さんは両親のうしろ姿を見ながら育った。小学校時代には既に、自分のカーディガンを作る腕前だった。

     

    憧れの森英恵

     

    容子さんは手芸が好きではあったが、その道に進もうとは思っていなかった。ごく一般的な高校に進学して、大学は社会学部を専攻した。会社勤めを目指すためだ。卒業してからは、いろいろな職業を体験したが、どうも歯車に終始する仕事は好きになれなかった。

     

    20〜25歳の頃、仕事が終わって家に帰るとミシンで自分の洋服を作るようになった。だが、洋裁学校に通う気はなかった。習わなくても専門書を読めば何でも理解でき、型紙も制作出来る自信があったからだ。

     

    ある日、勤め帰りに洋裁教室を覗いてみた。予想通り、知っていることばかりで学ぶことはなかった。容子さんの能力を知った講師は、「私の手伝いをしてもらえないか」と声を掛けた。

     

    当時、講師はジバンシー・オートクチュールに意欲を燃やしていた。その手助けをして欲しいというのだ。襟ぐりをミリ単位で調整、芯の貼りつけなど、スーツの表からはまったく見えない裏側の技、途轍もなく細やかで丁寧な作業が求められた。また、講師から華やかなフランス・オートクチュール情報と森英恵の話題を聞かされた。そして、いつしか容子さんは、ファッションデザイナー、森英恵に憧れを抱くようになる。

     

    1977年、ファッション業界で最も権威あるフランス・オートクチュール協会から、森英恵がアジア人として初めて会員に推挙された。彼女には、感性だけでなく基礎技術も備わっていた。容子さんがめざす理想の姿だった。発想から制作まで、すべてコナせる人間、その代表が森英恵であった。「森英恵をめざそう」と心に誓うのだった。

     

    『アトリエ唯』

     

    結婚、そして離婚、シングルマザーに

     

    容子さんは27歳の時、イギリスからやって来た教師と結婚。彼とは日本で6年間、その後3年間イギリスで暮らした。容子さんは、食事の支度そっちのけで寝ても覚めても洋裁に没頭していた。彼は「君の夢を叶えるためなら何処へでもいくよ」と優しい言葉を掛けてくれた。容子さんは、その言葉に甘えていた。

     

    夢追い人の容子さんだったが、子供のいる温かい家庭も欲しかった。30歳の時、長男が誕生し、翌年長女を授かった。大喜びしたが現実は厳しかった。育児に追われ、結果として夢は片手間となった。

     

    長男が6歳、長女が5歳になった時、教育は日本で受けさせたいと考え、夫の祖国イギリスから日本に帰国した。夫は家事や育児に協力的で順風満帆な家庭に思えた。しかし、長男が中学交に入学する頃、彼は生活にストレスを抱え疲れ果て苦しんでいた。二人は離婚という苦渋の選択をした。

     

    小、中学生の子を抱えるシングルマザーとして生活を始めた。派遣社員、工場ライン勤務など、出来る事は何でもした。

     

    夢の道『アトリエ 唯』

     

    長女が専門学校に入学して手が離れてから、自分の将来について考える時間ができた。勤めは一生続けてはいられない。もう一度、自分の特技を生かす仕事に戻らなければと、容子さんは兵庫県西宮北口駅近くにあるサイズ直しや継ぎ当てをする小さな店を訪ねた。自分の能力を考えると不本意ではあったが、これしかなかった。

     

    いざ始めてみると、これまで経験したことのない貴重なノウハウを習得することが出来た。財布の出し入れなどで擦り切れた背広のポケットの修復、本や教室では習う機会のない技能だ。修復をきれいに仕上げるだけでなく、いかに早くできるか、この店が勝負する差別化戦略だった。

     

    店には経験豊かなベテランがいて、そのノウハウを事細かに教えてもらえた。今まで触れたことのない特殊な素材と出会えたことも勉強になった。例えば、特殊素材をミシンで縫う時、紙を脇に置いて伸びたり歪んだりしないようにするコツを学んだ。

     

    革のカバンやベルトは、一度穴が開いてしまうと修復不可能となる。容子さんは積極的に誰もが嫌がる仕事に取り組んだ。給料をもらいながら勉強できる事を有難いと思った。この店で5年間働き、技術の引き出しを膨らませた。その後、神戸にある友人の店の手伝いを5年間して、宝塚に『アトリエ 唯』をオープンした。

     

    容子さんは「作品は人柄そのもの、ちゃんとした綺麗なものを作りたい。いいものにはオーラがある」と語る。彼女は典型的な職人気質、とつとつと語る口調が信憑性を高める。

    父譲りの正確さ、母の夢を追う容子さん、「これからは図面のないオブジェに挑戦したい。また、異分野アーティストとコラボレーションして、一緒に展覧会もしたい」と抱負を語る。

     

     

    オブジェ作品

     

    『カメレオン』

     

    『とかげ機戞◆惴い離僖ぅ蹈奪函Ε灰好廛譟

     

    『とかげ供戞◆惴い硫従僂泙錣掘戞文楜劼らの注文で制作)

     

     

    ハンドクラフト作品

     

    『犬の化粧回し』、『パソコンケース』(ハッピ布を使用)

     

    『スツール』と『スリッパ』(ジーンズ布使用)

     

     

     

    『アトリエ 唯』の仕事

    洋服の修理 サイズ直し、きものリメイク、ペット洋服、バッグ、

    インテリア小物、コスプレ衣装、オブジェ、装飾品 他

    Instagram:https://www.instagram.com/atelier._.yui/?hl=ja

     

    665-0022宝塚市野上町1−2−8−201

    Mail: snouzelen@yahoo.co.jp

     

     

     

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